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◇
じゃあ風呂借りるな、と言った市川の声で、僕は自分が市川に風呂を勧めたことに気付いた。
市川と僕の経歴が、頭の中で交差する。
『俺が小さい頃から父さんはいなくて』
『春休みになってから急に、理事長が家に来て………』
『俺が経営してる古賀学園ってとこがあるんだけど』
『俺の父さんが、俺に高校行かせてやりたいって』
『家柄で差別するような環境で、その名字はやりにくいから』
『龍馬のために、用意してみたよ』
その時、風呂場から悲鳴が聞こえた。
「市川?」
「ききききき木崎ぃぃぃ!!」
リビングから扉を開けると、腰にタオルを巻いた市川が飛び出してきた。
「何だ」
「シンガポール! シンガポールが!」
「は? あぁ、マーライオンか」
円形の風呂の中心にある、小型のマーライオン。
市川はそれを見て驚いたらしい。
「何でマーライオン!?」
「あぁ、やっぱりこれも全室完備なわけじゃないんだな」
「ビックリしたマジでビックリした心臓口から出た」
叔父の小粋な計らいに呆れる僕と相反して、何故か僕にすがる市川。マーライオンと過去に何かあったのだろうか。
僕よりもやや小さいため、"白金の"つむじが見える。
「僕はお前に驚いたが」
濡れた市川の髪は、あの野暮ったいワカメブラックではなく、白金に輝いていた。
ところどころ黒が残っているため、おそらくカラースプレーで黒く染めていたのだろう。
分厚いレンズの眼鏡を外した市川は、綺麗な顔をしていた。
長い睫毛。厚い二重の瞼。
肌は白く、紅い唇が際立って見えた。
隠していたのか、この容姿を。
市川は暫く訳が分からないという表情を浮かべていたが、やがて再び「きぃやぁあああ!!!」と叫ぶと、風呂場に消えてしまった。
何のための変装かは知らないが、どこに逃げても此処は僕の部屋である。
上がってくるまで待とう。
ソファに身を投げると、どっと疲れが出た。
今日は色々なことがありすぎたのだ。
『そこの社長さんとの間に俺が産まれたんだって』
『中学の頃はグレたよ』
『春休みになってから急に、理事長が家に来て………』
違和感をぬぐい去ることが出来ず、市川の言葉が頭の中をぐるぐると回る。
『俺の父さんが、俺に高校行かせてやりたいって』
何かが欠けてる気がする。
どこかで繋がる気がする。
『お前、月兎に似てる』
噛み合わせの悪いパーツの間に、別の何かが入るはずだ。
『兄弟とか従兄弟、いるか?』
あ。
『市川を親衛隊から擁護しなくてはいけない』
パチン、と頭の隅で何かが弾けた。
ここ数日間の出来事が、僕の中で綺麗な円を描いた。
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