◇LIQUID AND SOLID
再スタートと朱染
?視点
一瞬、振り上げられた手が動こうとしているのが見えた。
その光景が写真で撮ったように目に焼き付けられて、
ああ、殴ろうとしている。頭がそこまで考えた時。
バシッ!
聞くというよりは頭に直接音がたたきつけられたみたいだった。
ぐらりと意識がぶれる。血が血管を通るかすかな振動でさえ、ガンガンと中から飛び出そうとしているかのように痛む。
どうして、どうして!
喉は首を絞められたように圧迫されていて、言葉になれなかった声がかすかな隙間からこぼれだしてゆく。
すがりつくように見上げた彼の顔は、とても冷ややかだった。
「何故、そんな事をした。」
何故?なぜって
「だって、だって、愛してくれないから!」
緊張しすぎて強張っていた喉を、大声で無理やり押し出すようにして叫ぶ。
わかってくれる。そう信じていたのに。
それまで無表情だった彼の表情が、心底嫌なものを見てしまったかのように歪んだ。
「何故、お前を愛さなくちゃいけない?
何時、俺がお前を愛していると言った
俺はお前を、心底嫌っているよ。今は殺したいぐらいだ」
そんな・・・そんな・・・!
あんなに喜んでくれたのに!
全部‘アレ’のせいに決まってる!
やっぱり殺しておくべきだった!!
許さない、絶対に…!
「やっぱり‘アレ’のせい…?」
「アレだと?よくそんなことが言えるな。お前が言う‘アレ’のお陰で今生きられているというのに。」
‘アレ’のお陰?
違う違う!心の底では私に気持ちがあるからに決まってる!
「違う!!あなたが少しでも愛してくれてるから!!」
「……そうか。君がそこまでだとは思わなかった。今一度二人の関係を見直そうか。さあ、車に乗って」
やっぱり!やっぱりわかってくれた!
もう頬は痛まなかった。
彼に開けてもらったドアから助手席に乗り込む。
「ちょっと時間がかかるけどいいかい」
「全然。」
運転する彼の横顔を見ながら、この心にあふれそうな思いをどう彼に伝えるかで頭が一杯だった。
朱く染まった空は目に沁みて、目尻からこぼれた涙が音も立てずに消えた。
――――――−−・・
オレンジ色の電灯がもうずっと流れている。
高速道路にのってもうだいぶ時間がたった。
外は真っ暗だけど、明るい地上から星は見えない。
「どこへ向かってるの?」
彼は迷いもなく車を走らせていたのだけど、流石に気になって聞いてみる。
「とても奇麗な夜景が見える所だ。穴場でね、人も少なくて話し易いだろう」
「そう、あとどれくらいかかる?」
「2時間くらいだ」
夜景の見える場所から再スタートだなんて、とてもロマンティックだと思ったけど。
ちょっと恥ずかしくて言えなかった。
だんだんと彼の横顔を見つめているのも恥ずかしくなってきて、
静かに流れる音楽を聴きながら目をつぶると眠たくなってきた。
「着いたら起こしてね」
そういうのが限界で、気付けば目の前はもう真っ暗だった。
――――――−−・・
ふわり、意識が浮上する。
ゆりかごに揺られているみたいに、体が動いている。
固まってしまった瞼を無理やりこじ開けてみると、
彼の顔が見えた。
彼は機嫌良さそうに微笑んでいて、目を覚ましたのに気づいていない様子だ。
お姫様だっこのまま、どこかに移動している。
このまま、この幸せな時間を壊したくなくて、寝たふりをする。
ああ、このまま時が止まってしまえばいいのに!
そう思っていると、上から声がした。彼の優しく、低い声。
いつも落ち着かせてくれる、彼の…。
「本当に、君がそこまで頭が悪いとは思わなかったよ」
……………え?
眼を開けた瞬間、目に入ったのは、
彼の満面の笑み。
森。
空。
海。
崖。
私は空を飛んでいた。
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