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「髪の毛チョーダイ」
明日の天気を訊ねるような気軽さで、ハサミ片手に迫ってくる荒北を横目で見やる。
語尾にハートマークでもついていそうなくらいご機嫌な荒北につられて口の端をつり上げれば、おや、という顔をされた。
荒北に向けた目を、読み途中の雑誌に戻すと、はさみをそのままにことりと肩に頭を預けてくる。
少し硬めの黒髪がくすぐったくて身をよじれば、ふざけた荒北にぐりぐりと首を攻撃された。
夜中で気分がハイになっているのか、さほど面白いことでもないのに、ひとしきり二人で笑い転げて改めてソファで身を寄せ合う。
「ついでに枝毛切っといてくれたら、くれてやってもいいショ」
「そう言うことじゃねーヨ」
あーあ、と笑みの中にちょっと詰まらなさそうな顔をして、右手のはさみをもてあそぶ。
髪の毛が欲しいんじゃなかったのかと首を傾げていれば、裕ちゃんって新興宗教にだまされそう。と失礼なことを言ってきた。
シャキ、シャキ、シャキン。
はさみの音が深夜の静寂を切り裂く。
二人の趣味を合わせてつくりあげた部屋に反響して戻ってくる音は、ひどく耳に響いた。
「小指か迷ったんだけどォ」
「ハッ?!」
「裕ちゃんは毛の方がらしいかと思って」
物騒な単語が聞こえた気がして振り向いても、何でもないかのように荒北が言葉を続けるから、おとなしくなるしかない。
「愛し合っている二人が指や髪を切ったりして、愛情の変わらないことを示すこと。また、その証」
心中ってそういう意味もあるらしーヨ、面白おかしそうな顔で荒北が笑う。
愛情の変わらないこと。その証。
「指輪とか、そういうンじゃなくてサァ。裕ちゃんがこの1年で伸びた髪だけ残して、全部刈り取って捨てちまいてェンだよネ」
その意味は、と少し考えて、あまりの愛おしさに細身の体をぎゅうぎゅうと腕に抱き込む。
ァニすんだヨ!と抗議の声は、今だけ聞こえない振りをする。
この1年で伸びた髪は、荒北と過ごした時間だ。
荒北の作った飯や、一緒に食べにいった料理屋の栄養を存分に蓄えて伸びた髪。
IHの後、ひょんなことから付き合い始めて、それから国を越えた遠距離恋愛。大学の4年間は1年に1度会えれば御の字で。
就職は海外のメーカーの技術部に配置されるという荒北を、あの手この手でイギリスに呼び、晴れて同棲までこぎ着けたときは、今まで自由に会えなかった分、ぽっかりとあいていた穴がピッタリ塞がったような充足感だった。
二人で家具を選び、配置を考え、家事の役割分担を決めて。
仕事の休みが不規則な巻島と、決まった休みの荒北ではなかなか一緒にゆっくり過ごすことはできないけれど、家に帰ればパートナーが待っているというのは、それだけで日常にハリができた。
「ヤストモの髪、すぐ伸びっから、もうこれは俺でできてると言っても過言じゃねーナ」
「ソクバクする男は嫌われっぞ」
「嫌なのかヨ」
「裕ちゃんならイーヨ」
腕の中から首を伸ばして、ちゅっとかわいらしいキスを仕掛けてくる荒北にお返しとばかりに唇に噛み付いて、右手のはさみを後ろに束ねた髪に添える。
深いキスに目元を赤く染めながらも、嬉しそうに笑う荒北と目を合わせて、笑い返す。
ジャキン。
鈍い音とともに過去がなくなって、荒北以外のすべてを切り落としてしまえば、こんなにも軽い。
これからは荒北とともに年を取って、荒北で満たされたまま、死んでいくのだろう。
「心中しちゃったネ」
「お互い知らなかった頃には戻れねーショ」
「裕ちゃんしか要らないヨ」
「クハ、俺もヤストモ以外は要らねえナ」
過去の自分よさようなら。
二人きりのこれからよ、こんにちは。
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