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うぶめ


姑獲鳥(うぶめ)は人の子を誘拐し、好んで自分の養子にしてしまう妖である。
姑獲鳥(こかくちょう)とも呼ばれる鬼鳥で、産女と字を当てることもあり、昼間は人間の姿をしていて、夜になると羽毛を着て変身する。自分の子供にしたいと思った子供の衣服に己の血を目印に付け、その子を攫いにくるのだという。

だから、無闇に外に出てはいけない、夜はおとなしく寝床で寝ていてほしいと先程から延々、もう耳たこになりそうなくらいの説教を聞いている。
だが左右から降ってくる雷とは別に、己には暖かい火鉢やら、冷えぬようにと暖かな掻い巻きが着せられていて、いつものことだとはいえ、この兄や達にはどうも頭が上がらないのだった。

「聞いてるんですか、若だんな」

じっと押し黙ったまま、説教を聞いているだけの若だんなを、兄やである佐助が覗き込んでくる。

(ここで私が口を開いたってきっと、兄や達は聞いちゃぁくれないよ)

年が明ける前の長崎屋の離れで、兄や達の説教を聞きながら、断固として口を開くもんかと一太郎は決め込んでいた。

(心配してくれるのはわかるけど……けどさ!)

自分に甘く、優しい兄や達の心配もわかる。わかるが、些か説教が長いので嫌気も差してくる。それに加えて、もうすぐ十八になるというのにいまだに兄や達は自分を子供扱いしたきりだ。
それに腹が立って、無駄に言い訳を繰り返すのは止めようと、一太郎の口は堅く閉じたきりだった。
だがこれに、今度はもう一人の兄やである仁吉が黙っていなかった。
じっと押し黙って一太郎が下を向いたままなので、身体が冷えたのではないか、熱はないか、薬湯を持ってくるかと騒ぎ始めたのだ。黙(だんま)りを押し通すと決心した矢先ではあるが、こうなると野放しにするのは不味い。仕方なく、一太郎は薬湯を取りにいこうとする仁吉の袖を引き止めて、まだ拗ねた顔で兄や達を見上げた。

「なんでそうなるんだい、仁吉。私は大丈夫だってば!」

「どこが大丈夫なんです? 雪空の夜に、庭先に出ようとするなんて、とても大丈夫とは思えませんよ」

若だんなに袖を掴まれた仁吉は、一旦足を止めて座りなおすと、心配そうに若だんなの顔を覗き込む。本当に、とても真面目な面持ちで仁吉が見つめてきたので、一太郎は申し訳なさそうに小さくうなだれた。

「いや、だから、それはっその……」

言葉に詰まる若だんなを助けようとしたのか、ここで、今までずっと黙って兄や達と若だんなのやりとりを見ていた小鬼達が、離れの隅から集まってきた。

「雪が見たかったんですよ。ねぇ、若だんな」

鳴家の言葉に、ぎくりと一瞬、若だんなの肩が強張る。見れば、佐助と仁吉は顔を見合わせた後で、新しいしかめ面を若だんなに向けた。

「雪が見たいんですか? でも若だんな、まだ降っていないようですが」

「何も今夜中に降るとは限らないでしょう。明日の朝、起きてからゆっくり御覧になればいいじゃないですか」

「……それじゃあ、積もらなかったら見れないじゃないか」

上目遣いで佐助と仁吉を見返しながら、若だんながぼそりと呟く。その様子を見た手代達は、すんの間考えた後で、若だんなの不機嫌の理由に思い当たったようだった。

「確かに最近は積雪に乏しいですがね。若だんな、そんなに雪が恋しいんですか」

この仁吉の問いに、若だんなは黙ったまま小さく頷いた。
先に寝込んでからしばらく、空から降ってくる雪というものを、若だんなは久しく目にしていなかった。最近若だんなの調子はあまり良くない。それ故に寝込んでいることが多く、朝になって積もった雪を離れから見る事はあっても、雪が降っている庭に出してもらえることは一度もなかったのだ。雪片すら触らせてもらえていないことが、若だんなの不機嫌の原因だった。
しかしそうわかって、良い顔をする兄や達ではない。
雪に触るということは、すなわち外に出るということで、姑獲鳥のことがなくとも病弱である若だんなにはとても、勧められるような話ではなかった。

(さて、兄や達はどうするかね……)

どちらも一歩も引かないと、火鉢を挟んで向かい合うことしばし。再び離れの隅で、小鬼達がぎゃいぎゃい騒ぎ始めた。やかましいと佐助が制しようとしたのを、上手く避けて逃げてきたらしい鳴家が一匹、誇らしそうな顔をして若だんなの膝に上がる。

「嬉しそうだね。鳴家、どうしたんだい?」

「若だんな、雪ですよ!たった今、降り始めたので」

それだけ告げると、鳴家は若だんなの膝から降りて、佐助に捕まっていない仲間と共に駆けていく。「ゆきだ!ゆきだ!」と言いながら騒ぐのをみると、どうやら久しぶりの雪が鳴家達も嬉しかったらしい。

「ああ、本当だ……」

鳴家達が開け払った障子と板戸の向こう側に、ちらちらと舞う白いものを見て、若だんなは思わず膝立ちをして目を凝らした。
だがすぐに、冷気が入り込んでは不味いと、仁吉が素早く閉めようと障子に手を掛けたのだが……仁吉はすっと若だんなに目をとめると、障子に掛けたその手を放した。続いてすぐに、佐助が溜息をついてから立ち上がる。それから仁吉と二人して、火鉢の前で丸くなる若だんなを取り囲んだ。

「何……」

兄や二人に取り囲まれ、驚いた若だんながおろおろしていると、佐助が仁吉の背にひょいと掻い巻きを着たままの若だんなを乗せる。若だんなが寒くないようにと、厚手の羽織を若だんなを背負った仁吉に被せた。さらに寒くないようにと、その上から自分の羽織も被せる。
雪を目にした若だんながあまりにも切なげだったので、一太郎にそれはそれは甘い甘いの兄や達は、渋々折れたのだった。

「いいですか、若だんな。少しの間だけですよ。気分が悪くなったら、すぐに言って下さいね」

「しっかり掴まっていて下さい。今日だけですからね、若だんな」

兄や達の忠告に、若だんなは笑顔で何度も頷いた。
佐助が先だって障子と板戸を開ける。流石に師走の夜空の下、顔に当たる風は痛い程に感じたが、それよりも雪に触れることがこの上なく嬉しい。
仁吉がその背を気遣いながら、ゆっくりと庭に足を降ろした。舞い落ちる雪も、話す息も白い。

「ひゃぁ、本当に雪だよ!」

仁吉の背にいる分、いつもよりも空が近いと若だんなは感じた。久しぶりに見上げる空は黒く曇っているが、そこから降りてくる雪の白さとの対比が美しかった。

「この様子だと、明日には積もりますかね」

渋々若だんなを連れ出した仁吉も、はしゃぐ若だんなを見て顔をほころばせている。その足下で、鳴家がぎゅいぎゅいかしましい。

「鳴家は風情がないですねぇ。ただやかましいだけで」

いつの間にか佐助が隣にきていて、浅く若だんなの月代や肩に積もる雪片を、手ぬぐいで払いながらそう呟いた。
雪の夜はとても静かだ。確かに少し、騒がしい鳴家達は風情にかけているのかもしれない。だが、よく耳を澄ますと、鳴家のやかましいのだけではない。遠くの方から、何やら赤子の泣き声のようなものが聞こえた。

「何かな? あの声は」

もっともっとよく澄ますと、微かに女性の声も聞こえる。気になって仁吉に尋ねると、手代は可笑しそうに笑った。

「多分、姑獲鳥のものでしょう。やれ珍しい、小雨の夜を好む妖なのに。どうやら姑獲鳥も、この雪が嬉しいようだ」

聞けば、姑獲鳥は小雨の夜を好んで子を抱く婦人に化けて「子供を抱いてくれ」と頼み込んでくることもあるのだという。博識だといわれる白沢がその本性である仁吉の話では、姑獲鳥は小雨の日を好んでいるということだから、わざわざ今夜出てきたのはきっと、この雪につられてのことに違いなかった。

「やっぱり妖達も、雪が降れば嬉しいんだ」

鳴家達だけではなく、もしかしたら皆そうなのかもしれないと、知り合いの妖達を頭に浮かべながら若だんなが頬を緩ませる。それを見た仁吉が、笑顔のまま「そうかもしれませんね」と言ったので、若だんなはちょいちょいと仁吉の頬を突いて尋ねた。

「仁吉も嬉しいかい?」

その背から覗き込むように聞けば、降りしきる雪に目を向けた後で、仁吉が若だんなを見やる。
負ぶっているために白い息がかかる程、すぐ前に兄やの顔があった。

「それは、もちろん。嬉しいですよ」

相変わらずの男ぶりで、微笑むその様は降り続く雪よりも美しい。そう若だんながつい見惚れている間に、仁吉はその足を離れへと向け始めた。
はっとして若だんなが気がつくと、そこはもう板戸の前だった。

「……もう終わりなのかい」

そう零しながらも、若だんなは素直に仁吉の背から降りた。
一度駄目と言われたのにもかかわらず、ほんの一時でも雪に触らしてもらえたのだ。今夜はそれで、満足しなくてはならない。

「雪を見て、若だんなが喜ばれるのも嬉しいことです。でもやはり、若だんなに元気でいてもらうのが一番、あたし達は嬉しいですよ」

そう言って、仁吉が離れの中へと若だんなを促す。
兄やである仁吉にこう言われてしまっては、もう頷き従うしかなかった。

「若だんな」

仁吉に優しく呼ばれ、佐助に優しく背を押される。
肩に乗っていた雪片は、離れに入るとすぐに、溶けて消えてしまった。



2008.0303

参考:百鬼解読/多田克己



あきゅろす。
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