誓い手 若だんなが死ぬほどの目に遭った。 (あたしとしたことが、若だんなを守れなかったなんて) もう幾度と繰り返すこと星の如く、仁吉の心は晴れなかった。 ぼてふりに襲われたあの時、僅かながらでも確かに隙ができた。己はどうなっても、若だんなだけは救わなくてはとぼてふりの足にしがみ付いたのだ。「逃げて下さい」と、仁吉は若だんなを促した。 だが若だんなは逃げなかったのだ。 自分をぼてふりから助けようと、兄やを独り残して逃げることを、一太郎はよしとしなかった。 (若だんな…) 晒もとうに取れた仁吉は、目の前で寝ついている若だんなに付きっきりでいた。しかしもっぱらまだ休んでいた方がいいと周囲に言われるので、あまり長く付き添うことはできない。今回の看病を仕切っている佐助の手が薄くなった時が、若だんなの側にいられる、最近の仁吉にとっては貴重な一時だった。 「若だんな」 時折、静かに呼びかけてみるが、程よく若だんなは眠りへと誘われているらしく、その瞼は閉じられたままだった。その優しげな、自分達が側に仕え、何よりも大切に大切に育ててきた若だんなの寝顔を見ているだけで胸が締め付けられた。 (あたしは……あたしは) 今の己の内に海があるとすれば、風は死闘の如く雲とぶつかり合い、波は怒り狂ったように大地を侵しているだろう。歯痒い。なんとも歯痒かった。白沢ともあろう自分が、一番大切な人を傷つけてしまったのだ。仁吉はやるせなかった。 「兄…や……仁吉、かい?」 そううなだれていると突然、か細い、けれども仁吉の好きな若だんなの優しげな声が自分を呼んだ。 「一太郎ぼっちゃん…っ」 無我夢中なまま、開かれた瞳の主を覗き込んだ。そのうっすらと開かれた瞳に、仁吉の姿が写し出される。 「寝ていてばかりで、すまないね」 そう小さく苦笑してみせてから、もう仁吉は大丈夫なのかと一太郎は心配そうに尋ねた。 「あたしはもうなんとも。若だんな、あまり無理をして話してはいけません。ゆっくり休んでいて下さいな」 兄やの仁吉がそう言うと、もうずっとこれきりではつまらないと、若だんなは頬を膨らませた。だがその拍子に呼吸がむせ返ったらしく、若だんなは咳き込んでしまった。 「若だんなっ」 慌てて仁吉は楽になるよう、手拭いで一太郎の口元を抑えた。……程なくして一太郎が落ち着き、情けなさそうに一言「仁吉、すまないね」と告げた。 その儚げな物言いに、思わず仁吉の目頭が熱くなる。込み上げ、流れてしまいそうになるものを抑え込み、そのかわりに若だんなの瞳に頭を深く下げた。 「申し訳ありません。あたしが……あたしがっ!」 「仁吉や。お前のせいじゃないよ」 辛そうな仁吉を宥めようと、若だんながそっと床から腕を伸ばし、優しく手代の袖を力無く引っ張った。 「お前のせいじゃない」 気にしなくていいんだよと、若だんなは優しく仁吉に告げる。 「若だんな………」 袖を掴んでいる手を、仁吉はそっと両手で包み込んだ。この上なく、この若だんなが貴い。もう絶対に、傷つけてはならない。 (若だんな、あたしは…) 包み込んだ手のひらから、ほんの少しでもいい、若だんなにこの胸の内が伝わればいいと思った。 「ありがとうね仁吉」 そう、弱く若だんなが微笑んだ。それを見た仁吉の頬が、ほんの少しだけ和らいだ。それと同時に胸から溢れんばかりの想いが、仁吉に募るのだった。 (…あたしはもう、絶対に) それは、声にならない程仁吉に募る。 (絶対に、この手を放したりはしないよ) そう誓ったのだ。 誰でもなく、自分自身に。 |