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寒さ知らず


「やっぱり冬は、寒いねえ」

そう呟いたのは、最近調子がいいからと母屋で夕餉を済ませ、たった今離れに戻ってきたばかりの若だんなだ。
歩きなれた庭先を渡っただけであるのに、流石に霜月の夜は寒いと、離れの火鉢にくっつきながら苦笑する。
そんな若だんなの呟きを漏らさず耳にした佐助は、若だんながしまった!と後悔する間も与えずに、分厚い掻い巻きを若だんなに着せてよこした。既に二枚、着ている上にである。

「やはり、離れで夕餉を召し上がった方がよかったんじゃないですか?」

そうすれば母屋に渡る為、わざわざ外に出なくてすむ。若だんなの為にと、離れにたっぷりとくべてある火鉢の火も落とす必要がなくなり、若だんなが寒い思いをする事はなくなると佐助が薦める。

「調子がいい時くらい、おとっつぁんやおっかさんと一緒に食べたいよ。それに、冬が寒いのは当たり前の事さね」

さらにもう一枚と掻い巻きを手にしようとする佐助を宥め、火鉢の周りにいる小鬼達を若だんなは眺めやる。火鉢の横でうとうとしている鳴家や、若だんなが着ている掻い巻きの下に潜り込む鳴家など、皆暖かそうにぎゅいぎゅいかしましい。

「冬の夜は静かなのがいいよな。うるさいのが、鳴家の他はいなくなる」

そう言って離れの隅にある屏風から出てきたのは、屏風のぞきだ。
寒い冬には些か似合わぬ市松模様を火鉢越しにゆらめかせ、馬鹿にされたと怒った足下の鳴家には構うことなく、障子を指差してにやりと笑う。

「今夜は降るかもな」

「本当?」

屏風のぞきの言葉に惹かれた若だんなが、庭先を覗こうと火鉢の側を離れ立ち上がる。屏風のぞきに天の気を読むことなど到底できはしないが、その戯れ言が叶うに足る程の寒い夜であった。雪がちらつく事もあるかもしれない。

(確かに今日は、一日中お江戸の空も暗かったし)

そうと決めたら行動に移すのが良い。若だんなは急いて障子戸に手を伸ばした。だが、それを見咎めた佐助が一瞬で若だんなの背後に迫った。そうして若だんなにもう一枚掻い巻きを被せながら、少し怒ったように、けれども優しい声音で言い聞かせてくる。

「こんな時間に外になんて出たら、風邪をひきますよ。熱が出ます。息が止まってしまうかもしれません」

大真面目に若だんなの身を案じてくる兄やに、一太郎は幾重にも重なり着込んだ掻い巻きをもぞもぞと引きずりながら、あのねえと、振り返って兄やを見上げた。

「ちょいと自分の家の庭先を見てくるだけじゃないか。こんな事で倒れたら、私は厠にも行けないよ」

だがそんな言葉は耳に入らないようで、佐助は障子と己との間に若だんなを挟んだまま、まるで岩のように動かないのであった。
一太郎は兄やと向き合ったまま、見つからぬよう、障子戸に手をかけようとそっと後ろ手に腕を動かそうとして……掻い巻きが厚くなりすぎて、手が後ろまで回らないことに気がついた。
これ以上押し問答をしてみても、今日は己の負けかなと若だんなが諦めかけた時、足下で何かが蠢く気配がした。

(あれ? 鳴家かしら)

掻い巻きは着丈が長いので、もしやその裾で小鬼を潰してしまっていたのかと若だんなが辺りを見渡した刹那!
重なり膨れ上がった背中の掻い巻きが触れていた筈の、若だんなの背後で閉じられていた障子戸がいきなり開いたのだった。

「わ、あっ?」

そのままぐらりと後ろに傾き、掻い巻きを着てるとはいっても倒れ込む際に走るであろう痛みに備えて若だんなは目を瞑ったが、その身に受けた衝撃はなんとも柔らかなものであった。

「鳴家が急に出てきたと思ったら……若だんな、どうされたんです? 寒い廊下になんぞ出たら、手足が凍ってしまいますよ」

ちょうどよいところに離れへと帰ってきた仁吉が、突然目の前に現れた掻い巻きの塊もとい、若だんなを抱き留めてくれたのだった。

「おや、仁吉だね。おかげで倒れずに済んだよ」

掻い巻きのせいで振り返ることができず、その顔が見えない兄やに礼を述べる。仁吉はそのまま掻い巻きごと若だんなを抱き上げて火鉢の側へ座らせてから、廊下で伸びている鳴家達を拾い、己も若だんなの隣に腰を下ろした。

「あら、やっぱり掻い巻きの裾に潰されちゃってたんだね。ごめんよ鳴家」

伸びてしまっている数匹の鳴家を仁吉の手から受け取り、若だんなは己の膝元に小鬼を乗せ、火鉢の熱で暖める。鳴家はきっと、掻い巻きの重さと迫る障子戸との圧迫に耐えかねて、自ら戸を開けて廊下に飛び出したのだろう。それでいきなり障子戸が開いたのだった。

「仁吉、ありがとうね」

小鬼を拾ってきてくれた事も合わせて、若だんなはもう一度、今度は隣に座りその顔がよく見える兄やに向かって礼を言う。
礼を言われた方の仁吉は、若だんなを抱き留めるなどお安い御用であると、綺麗な顔でにこりと笑う。

「それで? 何故若だんなは火鉢の側ではなく、障子戸の前になどいたんですか」

「ええっと、それはね」

大変綺麗な笑顔のままで問いただしてくる仁吉は、返事を濁した若だんなと、頭にこぶを作って屏風の中で向こうを向いてしまっている妖を交互に見て全て悟ったらしい。

「また屏風のぞきのくだらない物言いを気になさったんですか? たった今庭先を渡ったばかりですが、雪の欠片もありませんでした。若だんなは暖かい、この離れにいて下さいね」

前にも似たような事がありましたからね。大丈夫です、空に白いものがちらつくのが見えたら、ちゃんと若だんなに仁吉がお教えしますよ。若だんなが大人しく、薬湯をたっぷりと飲んで、寝込んでいなかったらの話ですが……と仁吉は続けた。
佐助に話を聞くわけでもなく、若だんなも知らぬ間に佐助にげんこつを喰らわされたらしい屏風のぞきと若だんなの様子から全てわかってしまった仁吉に、一太郎は目を丸くする。

(兄やって、すごいや)

ずっと長く側にいてくれたからなのだろうが、この二人には一生頭が上がらないだろうと、若だんなは思わず顔を赤くした。兄やが己の事をよくわかっていてくれるのが嬉しくもあり、一寸(ちょっと)気恥ずかしくもあった。

「若だんな、顔がだいぶ赤いですよ」

掻い巻きに埋もれるようにして赤面する若だんなを見た仁吉と佐助が、熱が出たのではないか、寝る前の薬湯はとびきり濃い色がいいなどと騒ぎ始める。このまま放っておくと、じきに仁吉が恐ろしい色をした薬湯を作り始めてしまうので、若だんなは慌てて首を横に振った。

「私がただ、恥ずかしくなってしまっただけだよ」

ただ一言そう言うと、何がです?と二人が不思議そうに訊ね返してくる。
目線を合わせるともっと顔が赤くなりそうで困るから、若だんなは膝元でまだ伸びているらしい鳴家に視線をやりながら、ぽつりと呟いた。

「……だって、なんでもお見通しなんだもの」

その小さな呟きを聞いた兄や二人は、口を揃えて若だんなに笑う。

「もちろんです。私は若だんなの兄やですから」

とても凍みた夜であるのに、その声は春のひだまりのように、優しく若だんなの耳に残った。

江戸の空に浮かぶ富士の山とて真白い寒月、霜月の夜。



いい兄やの日/2012.1128



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