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悪天クライシス


「と言っても、私が自分自身の生前を全く覚えていないのは、きっと『覚える必要がなかったから』だと思って…いえ、…信じていますから。

だからあなたに対して、あまりどうこう言う気は起きません」

それから少し間を置いて、カレンはぽつりと呟いた。

「…でもまぁ…少し、うらやましくは…ありますね」

次に一火の耳に届いたのは、カレンの大きな溜め息。
それは果たしてどういった感情から来るものなのか、一火には解らなかった。

「私…ここに生まれた時には、自分の名前以外何も思い出せなかったんです。しかもその名前も、『どういった字でカレンと書くのか』思い出せなくて。

…どうやら、人間から転生した魔界人はみんなそうらしいですけど」

気付いていましたか? イアンやルビエだって、そうなんです。
…自分の名前は、どんな字で書くのか…思い出せないんですよ。

どうやらそれは、生前何らかの罪を犯した人間に対する、閻魔様が与えた『罰』だという話を聞きました。


「それならば、つまり私が生前の事を全く覚えていないのも『罰』なのかと思いましたが…これには個人差があって一概には言えないそうです」

カレンの話を静聴する一火は、初めて知った事実に驚きを隠せなかった。

自分は自分の名前を『一火』と書く事を覚えているし、それどころか生前の名字だってしっかりと覚えているのだから…カレン達とのギャップを感じてしまうのは仕方のない事だろう。


「……私は、あなたと同じように…たった数日前に転生した身です。その時は自分の名前以外何も思い出せなかった。
そんな私が、自分は水が苦手なのだと思い出したのは…転生した日の翌日…界泉に入ったのがきっかけです」

界泉に入った時、あの青の世界に身を投じた時。
カレンは自分の身体が重くなるのを感じた。鉛のように、おもく。
そしてその瞬間、目の前に去来した記憶は…。

「だんだんと苦しくなっていく呼吸。遥か遠くにある水面(みなも)。……地上が、光の世界が、だんだんと遠ざかって。…それは、私の身体が閉鎖的な青の世界に沈んで溶けようとしているからで。

…懸命に手を伸ばしても、届かなくて…」

もしかしたら、あれが私の『死に際』の記憶なのかもしれませんね。

まるで達観したように苦笑して、カレンはようやく一火に顔を向けた。
そうして見た一火の顔はどんなものだったろうか、彼女はどこか困ったように笑って。

「…あなたはお人好しさんなんですね。でも、これで解ったでしょう?

……覚えていない生前の記憶なんて、きっと思い出すべきじゃないんですよ」

だから、生前の事をよく覚えている一火は、きっと幸せな日々を送っていたのだろうと。
だから、少し羨ましいと。カレンはそう言っているのだろう。

…けれど。生前の幸せな日々を覚えているという事は、先程一火が心の中で抱えていたように、幸せな人生を思い出して苦悩する事にも繋がるのだ。
残念ながら、それにはカレンも一火すらも気付かなかった。

「イアン達には、カナヅチ以前に水が苦手な事はきっとバレているのだろうと思います。…でも、私はあまり見せたくなかったんです。

自分の無様な姿を…出来たばかりの友達に」

だから今日、彼女はイアン達を連れて来なかった。それは理解したけれど、一火には納得のいかない事がふたつあった。

「オレに無様な姿を見せるのはいいのか?」

「ええ、平気ですよ。あなたは他人ですから」

「……」

一火は即答するカレンの言葉に何故かむっとした。そして、そんな自分に戸惑う。

彼女の言葉は確かなのだ。たった一日前に出会ったばかりの、しかも最悪な初対面をやらかした相手。
目的が似通っているという共通点はあるが、ただそれだけ。ルビエが言ったような『仲間』などでは決してないのだから。

それが解っていても、一火は苛立ちを隠せず。
つい勢いのままに口を開いた。

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あきゅろす。
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