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悪天クライシス
懐古


その後準備体操を済ませた二人は、まずは水に慣れた方がいいという一火の提案から、一番浅いプールに向かった。

「…ん?」

と、さっきまで隣にいたはずのカレンが、いつの間にやら後方を歩いていた。
その足取りはぎこちなく、彼女の顔も固い。引き締まっているというよりは、硬直していると言った方が正しい印象を受ける。

「…! あ、あ…いえ」

一火が足を止め、自分を見ている事に気付いたカレンは慌てた様子で彼に追いつく。

「どうかしたか?」
「…いいえ」
それ以上は何も言わず口を噤んでしまったので、会話はあえなく打ち切られる事となった。


溶岩のような赤色をした中央のプールとは違い、こちらは底が見えない程濃い紫色をしている。
主に小さな子供を連れた親子がおり、一火達のような(見た目)若者はいない様子だった。

「……よし」
一火は意を決して、内心恐る恐る着水。…そして安堵する。
特におかしな点はなく、変わっているのは色だけのようだし、天使でも服のままで入っても平気そうだ。

「ねぇねぇおとーさん、天使さんがいるよ〜」
「そうだな。珍しいなぁ」
…少し視線を感じるが、それは気にしないようにするとして。

「お前はプールサイドに座って、自分に水をかけてみ」

「……うー…はい」

さっきまでの減らず口はどこへ行ってしまったのやら。
カレンはかなり渋い顔をしながら、そろそろと足を水中に沈めようとする。

「…っ!」
と、つま先が水面に触れた途端、カレンは目を瞑って足を離してしまうではないか。
予想だにしていなかった反応の為、一火は思わずプールから上がり彼女の顔を覗き込む。

「おい…これ、…カナヅチってレベルじゃないだろ」

「う…うるさい、ですね……仕方ないでしょう…っ!」

声が震えている。強がって必死に自分を奮い立たせているのが、付き合いの無い一火でも解るくらいにその姿は頼りなかった。

…さっき彼女の歩みが遅くなったのも、意識的か無意識かは不明だがそういった理由あってのものだろう。
しかし、薄く目を開けたカレンの瞳は澄んだ青色をしているというのに、本人はここまで水が苦手だとは。

「…人間の頃からカナヅチだって言ってたけどさ。…何かあったのか?」

「……」

一火の静かな問いに、カレンは目を伏せてしまう。
その様子から問いの答えは明白だったが、無理にそれを聞く事も出来ず一火はどうしようもなく空を仰いだ。

「いや、言いたくないなら別に良いけど。…しかし、どうしたもんかな…」

「……」

一火の視線は、自然と目の前で遊んでいる人々に向く。このプールだけではなく、視界の隅に他のプールで遊んでいる人達も含めて。
皆楽しげで、家族や恋人、友人達と笑い合っていた。
一火はそれらに目を向けたまま、過去の自分をふっと思い出す。

(昔は巧とよく行ったな、プール)

二歳下の弟とは、小さい頃はプールに限らず年中遊んでいた。
別にこの目つきのせいで友達がなかなかつくれなかったとか、そういうわけではないけれど(真実はどうあれ、一火はそう信じている)。
弟とはよく気が合ったし、血縁関係故の気楽さがあった。
お互いに遠慮なんてものをしなかったし、遊びが小競り合いに発展しても、最後は笑って――。

(あいつ。…元気にしてるかなぁ)

自分がいなくなって、弟は、家族はどうしているのだろう。
元気に毎日を過ごせているだろうか。それとも…兄の、息子の死に嘆いているのだろうか。

それとも…一火などという人間の事は、すっぱり忘れてしまっただろうか。

(…いや、…さすがにそれは)

無い、と信じたかった。


「……あの」

いつの間にか目を瞑っていた一火は、カレンの声でようやく現実に帰って来る。
見てみれば、カレンは膝を抱えその上に顎を乗せて、少し前の一火と同じように目の前の景色を瞳に映していた。
その表情は、こちらからは伺い知れない。


「…あなたは、自分が人間だった頃のこと…どれだけ覚えていますか」

一火は再び目の前の光景に視線を戻し、ゆっくりと口を開いた。

「…結構、覚えてるな。自分の家族とか、友達とか…今だって名前を思い出せるし。覚えてないのは…生まれた頃の事とか、すんごく小さかった頃だな。

…後、自分が死んだ時の事も」

そう告げてから、一火はふうと溜め息を吐いて。

「まだ、自分が死んでしまっただなんて信じたくねえってのが本音だけどな。

だってそうだろ? ある日目を覚ましたら、いきなり『アナタは死にました』だなんて信じたくねぇよ」

「……あなたがそう思うのは、『覚えてるから』でしょう」

その時、カレンが重々しく口を開いた。一火が顔を向けてみても、やはり彼女はこちらを見ず景色のみを瞳の中に湛えていた。

彼女のそんな姿と、その静かな声色からは、哀愁も達観をも感じさせる。

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