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悪天クライシス
しばしの別れ


――三日後。

昨日の間に緒印から天界や魔界についての知識を叩き込まれた一火は、ついに魔界へと旅立つ事となった。

向かうは、先に訪れた魔法陣の間の隣。
そこは『界泉(かいせん)の間』と呼ばれており、天界と魔界を繋ぐ唯一の扉であるらしい。
入ってみると、部屋の中は青い粉をまぶしたような光に包まれていた。…魔法陣が放つ光とは少し違う。
部屋の造り自体は魔法陣の間と同じだ。中央に台座があり、そこに界泉と呼ばれるものがある。

不思議なものだった。
魔法陣は台座に刻まれていたように見えたが、これは違う。
台座と泉の間に境界線は存在しておらず、また穏やかな海を彷彿とさせる泉の奥底は全く見えない。
まさに深淵へと続く大穴といったところだろうか。

「泉と言いマシテモ、どちらかというと底なし沼と表現した方が正しいかもシレマセン」

言い、緒印は魔界への行き方について説明を始める。

「ここに飛び込んで、とにかく奥深くまで潜って行ってクダサイ。そうしたらいずれ着きマスデス」

「底なし沼の底を目指せ…って?」

「ハイ、ソウデスネ。そのつもりで泳いでクダサイ」

アバウトな説明に感じるが、どうやらそれ以外に言うべき事もないらしい。

「…そうそう。魔界から天界に戻る時は、今行った事の逆を実行してクダサイ。つまり、水面を目指して泳いできてクダサイネ」

最後に、緒印はそう付け加えた。


「…デハ、一火さん…お気をつけて。もし何かあったら、すぐにここへ帰って来ていいんデスヨ」

「まぁ、オレの寝る場所はここにあるみたいだし。割と頻繁に帰って来ると思うけどな」

「それなら…一火さん。この笛を受け取ってクダサイマセ」

す、と緒印は広げた両手を一火に差し出す。
すると、掌が一瞬だけ光に包まれ…気が付けばそこには小さなホイッスルが乗っていた。

「これは?」
「天界でなら、それを吹けばすぐにワタクシに届きマスデス。何か困った事があった時や、何か知りたい事があった時…呼んでクダサイ。

…ただ、時と場合によってはお役に立てないかもシレマセン」

緒印の申し訳無さそうな声に、それは仕方ないと一火。
彼女にだって仕事があるだろうし、そうでなくともプライベートというものがあるのだから。

「解った。…サンキュな」
感謝を口にし、一火はホイッスルを受け取った。

「イエイエ…ワタクシも本当は着いて行きたいのデスガ、やはりあの悪魔にまた出会ってしまったらと思うと足どころか羽根も動かなくなりそーで…。…アアァ、あの悪魔さえイナケレバァアアア…!!」

「お、落ち着け、な」

幼い顔をぐしゃりと歪ませ、ぶつぶつと呪詛のように呟く緒印を宥めつつ、一火は(こいつは怒らせないようにしよう…)と心に決めたのであった。


「じゃあ、行ってくる」

「行ってらっしゃいデス! ワタクシは幸運を祈ってオリマスヨーッ!」

声援を送ってくれる緒印に片手を上げ、一火は勢い良く界泉の中へ飛び込んでいった。
人ひとり飛び込んだというのに、界泉は水が跳ねる音どころか水面が揺れる事もなく、ただ沈黙を保っていたのであった。

「一火さん…お気をツケテ……」

緒印は暫くの間、一火が旅立った界泉を見つめていた。


――が。


「……あ。あああああっ!? あのこと、うっかり話し忘れてマシターッ!!」

突如叫び声を上げる緒印はよほど大切な事を言い忘れていたのだろうか、焦った様子で界泉を覗き込む。だが、とっくに一火は旅立ってしまった後だ。


「……」

緒印は界泉とにらめっこしたまま考える。今すぐ自分が追いかけて、ちゃんとこの話をするべきか。それとも……。

「……う。ううぅ」

緒印の身体がガタガタと震え始める。やはり、魔界に行く勇気は湧いて来ない。

その為、緒印は立ち上がり。ゆっくりと、右手で敬礼をした。(緒印にとっての)戦場へと旅立った、友に向かって。


「――……一火さん。生きて帰って来てクダサイネ……!」

友を想う少女の頬に、涙が伝う。この場を目撃した者がいたら、なんと美しい友情かとむせび泣いただろう……。



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