水の姫神子 呼んで、 「悲しくありませんよ」 姫様はひとつ勘違いをしていらっしゃいます。 僕ら守護聖と貴女のような姫神子様は、決して同列の存在ではないのですよ? 姫神子様は、人々にとって世界の安寧を助ける…平和の象徴と言うべき存在です。 かたや守護聖は、そんな貴女がたを儀式の時まで守る影。世界の人々にとっては何の象徴にも成り得ません。 姫神子様を守る為だけに存在している、それが僕ら守護聖なのです。 …だから、同じ秤にかける事自体が間違いなのですよ、姫様。 「…でもっ、わたしは…!」 「…僕は、貴女にカイリと言う名前を頂きました。もしかしたら他の守護聖は得られなかったかもしれない、ただひとつ…僕が名乗る事を許された名前を」 拭っても拭っても、未だ溢れ出す涙。 カイリは笑みを崩す事なく、優しく、丁寧に拭い続けた。 「僕はそれで十分です。ただひとり、姫様に覚えて頂けたら…名前を呼んで頂ければ。他の誰の記憶にも残らなくとも、一向に構いません」 優しく、しかし毅然と言い放つカイリ。 …けれど。華夜は納得出来なかった。 「…でも…私、死んじゃうんだよ…? 私がカイリの事を覚えていても、私は…」 「貴女が儀式を受ける頃には、もう僕も契約の糸が切れて消滅しているでしょうから…姫様の記憶の片隅にでも残っていれば、僕は身に余る幸せです」 「……っ」 彼は、誰にも覚えて貰えなくていいと言った。ただひとり、華夜を除いて。 きっと本当にそれでいいと思っているのだろう。彼の蒼い瞳は穏やかな光を湛えており、絶対に嘘は吐いていないと華夜が断言出来る程だ。 でも、やっぱり完全に納得する事は出来なかった。 華夜にとって、カイリは自分を守ってくれる守護聖という以前に、大切な人なのだ。 例え彼自身が望んでいないとしても、誰かに彼を覚えていて欲しいと思うのは間違っているだろうか。 誰かに彼を、守護聖ではなく人として、彼がカイリという名前を持つひとりの人であると、誰かに…死んでしまう自分の代わりに記憶して欲しいと思うのは……果たして間違った気持ちだろうか…? (あ…私) そこまで考えて、気が付いた。 華夜は、彼を自分の守護聖ではなく『カイリ』という人として見ているのだ。そして、他の人にもそう見て貰いたいと。 …その気持ちには、自分可愛さの感情も含まれていた。 華夜は彼にも、自分を姫神子ではなくひとりの人として、『華夜』として見てくれる事を望んでいるのだと気付いた。 …だから十六歳の誕生日を迎えたあの日。 ――もう貴女は、正式に姫神子様となりましたから。 あの日から…彼が遠い存在に感じられて、それからずっと寂しさを覚えて、飢えていたのだ。 それは、彼が自分の名を呼んでくれた頃の事を夢に見てしまう程に。 「…姫様?」 華夜が俯いた為、カイリは涙を拭っていた手を離さざるを得なかった。 心配そうに眉を顰めたカイリに対し、華夜は肩を震わせて。 「……で」 「え? すみません、聞こえませんでした」 「…名前で、呼んで」 「!」 目を見開き、顔を強張らせたカイリには気付かないまま、華夜は言葉を続ける。 「カイリ。…私を、華夜って…呼んで」 [*前へ][次へ#] [戻る] |