水の姫神子 湊道家 華夜が家族と共に食事する大広間には、彼女の寝室とは違い多くの調度品が各所で自己主張していた。 それらには全て湊道家の紋章が刻まれており、壁には部屋中をぐるりと囲むように絵が飾られている。 それらは高名な画家が描いた代々の姫神子の絵だ。一寸の狂いもない等間隔で並べられているが、九代目姫神子の隣が空いている。 …言うまでもなく、そこには華夜の絵が飾られる事だろう。それを華夜自身が確認する事は叶わないが。 何故なら、この姫神子の絵は姫神子が儀式を受けた後に飾られるから。 絵が飾られるのは…神の膝下へと旅立ち『水』に溶け込んだ姫神子を、世界の糧となった少女を決して忘れない為に、という意味合いらしかった。 入口から部屋の最奥に届く程の長テーブルには、華夜の両親と蘭が既に席に着いていた。 一番奥には華夜の父である湊道源(そうみち げん)が座っており、母の湊道葉子(そうみち ようこ)と姉の蘭は向かい合わせに座っていた。 華夜の席は蘭の隣。一人の侍女が椅子を引いてくれている。 「遅れて申し訳ありません。お父様、お母様、お姉様」 皆を待たせてしまった事を詫び、華夜は自分に与えられた席へと着いた。金で縁取られ、角には宝石を散りばめたテーブルには数々のご馳走が乗っており鼻腔をくすぐる。 けれどそれを表情に出すことはしない。食事は家族揃ってから、父が始めると言わなければ始められない。 家族全員を待たせてしまった手前、華夜は何も言えなかった。 数時間前は気さくに話しかけてくれた姉も表情は硬い。彼女は父が苦手なのだ。 「華夜」 抑揚の無い父の低い声が、静まり返った部屋に響き渡っている気がした。 「はい」 華夜の淀みない返事に、父は一瞬だけ目を伏せて。 「…いよいよ、明日がお前の旅立ちの日だ」 だから今日は、お前が此処で過ごす最後の日。 重々しく父は続ける。 「私は心待ちにしている。…お前が無事に儀式を受けたという報せを」 「…! お父様ッ!!」 蘭は父の残酷な言葉に、堪らず勢い良く立ち上がった。 「蘭。はしたないですよ」 母の窘める声にも耳を貸さず、蘭は父を睨みつける。 「お姉ちゃん…!」 華夜は姉の行動に目を見張る。どうすればいいのか解らずに父と姉を見回すしか出来ない。 蘭は父の言葉が許せなかった。 無事に儀式を受けたという報せはつまり、華夜が死んだという訃報でもあるというのに。 それを平然と、しかも『心待ちにしている』だなんて、そんな言葉を吐くだなんて。 今すぐに、撤回して欲しかった。 華夜は自分の大事な妹。姫神子だろうと何だろうと関係ない。言い伝えなんて糞食らえだとも思っている。 父だって華夜を大切な娘だと思っているのだとばかり…。 ――今現在、湊道家は言い伝えを守ろうと躍起になる者達と、姫神子の儀を否定する者達で二分化されている。 また、湊道家とは縁の無い人々の間でも意見は真っ二つに分かれていた。 言い伝えを守る儀式肯定派の意見は、太古より伝わりし湊道の掟を守らずしてどうする。そんな事をすれば、『海』に眠る水神は忽ち怒り狂い、この世界を壊すだろうという意見。 それに対し姫神子の儀否定派の意見はこうだ。 姫神子の儀は、ただの生贄の儀式だ。世界の糧になるなどという言葉は、ただの綺麗事に過ぎない。 そんな人殺し、慈悲深い水神は望んでいないというもの。 現在の湊道家当主である父は、儀式肯定派だった。 それは蘭にとって大きな衝撃であった。 今の今まで、蘭は信じていた。父は華夜を犠牲にするのは本意ではない筈だと。 心の奥底では華夜を旅立たせたくは無いと思っていると、信じていたのだ。 …無条件でそう信じてしまっていたのは、やはり血の繋がった父だからであろう。 蘭は自分の浅はかさを恥じた。 「…蘭。座りなさい」 暫く沈黙を保ち、蘭の視線を受け止めていた父が口を開く。その声色には有無を言わせない響きがあった。 「お姉ちゃん…私のことは、気にしないでいいから…」 「華夜…。……っ」 乱暴に蘭は座る。父に向けた視線はそのままで。 父はそれを気にする様子も無く、再び華夜に目を向けた。 自然と華夜の背筋が伸びる。 「華夜。お前は十代目姫神子として生を受けた。それを忘れる事なく、必ず使命を全うするように…父は祈っているぞ」 「…はい」 華夜は立ち上がり、父の言葉に応えた。 その時、何故だろう。一瞬だけ…悲しげに佇むカイリの姿が見えた気がした。 [*前へ][次へ#] [戻る] |