短編/外伝集
預かり知らぬ心
2016年、バレンタインネタ。
ひなたと夜月の話です。
『預かり知らぬ心』
「ね、ねえ、夜月くん」
放課後になると、二人であの桜の場所に行くのは最近の日課となっていた。
今日もいつものように来て、いつものように何をするでもなく、のんびり過ごす。
夜月は、今日もそうなると思っていた――のだが。
「……どうしました?」
「え、えぇっと……その……」
隣に座るひなたに顔を向ければ、彼女は声をどもらせ、落ち着きなく手遊びをするばかり。
彼女の頬は赤く染まっており、どこからどう見ても普段通りではなかった。
「…………」
内心困り果てて、夜月は黙り込んでしまう。
確かに、彼女は時おり妙なタイミングで赤面することはあったが。今日に限っては、朝に会った時からこんな状態だ。
まるきり理由が分からない。
「……夜月、くん。あの、あのね……実は、その」
ひなたは暫く俯いていたが、やがて意を決したように顔を上げて。
「うっ、受け取って欲しいものがひゃるのっ!」
――噛んだ。盛大に。
「う、うぅ」
あまりに恥ずかしかったのか、さらに顔を紅潮させるひなた。
対して夜月は、突然大声を上げられたことやその内容、様々な意味で驚き。ポカンとした顔で固まってしまう。
「…………ひ、ひなた……?」
ようやく状況に頭が追い付いた夜月は、顔を手で隠すひなたを覗きこむ。
「……あの。どういう事なのか、よく分からないのですが……」
「ご、ごめんね」
沈黙。気まずい空気が辺りに漂い始めた時、
「あ……」
ぐぅ、と腹の音が鳴る。それは夜月のものだった。
「…………」
今度は夜月が気恥ずかしさを覚えて、ほんのり頬を染める。それを目にしたひなたは、くすりと笑った。
「ふふっ」
「! ……そんなに、笑わなくとも」
「あ、ごめんね。でも……ふふ」
まだ笑い続けているひなたに、少しむっとした夜月だったが。彼もそれ以上に感じたことがあった。
「……今日、初めて笑ってくれました」
「え、そ、そうだった?」
「はい……」
『今日は僕にだけ、笑顔を見せてくれていなかった』。その言葉は、どうしても口から出なかった。
彼女を困らせるのは目に見えているし、他の友人達との差を僻んでいる自分を見せたくなかったから。
「そっか……ごめんね。別に、機嫌が悪かったとかじゃないの。……あ、あのね」
傍らに置いていた鞄を徐に開けたひなたは、間もなく小さい長方形の箱を取り出す。
「こ、これ! 夜月くんに……!」
夜月に両手でずいと差し出す。
「は、はい……?」
勢いのままに受け取った夜月は、ひなたの顔と箱とを代わる代わる見つめる。
その箱は赤い包装紙に包まれ、青いリボンが結ばれていた。
「……これは……?」
「ちょ、チョコ……だよ。今日は……その、バレンタイン……でしょ? だから……」
ごにょごにょと語尾を濁らすひなたに、夜月は目を瞬かせた。
『バレンタイン』という耳慣れない単語に思考を巡らせ、ようやく合点がいく。
「……確か、普段から付き合いのある人間に、日頃の感謝を込めてチョコレートを渡す日……でしたか。……今日だったのですね」
「え、あ、……そ、そう! そういうこと!」
遠い昔、父と母が贈り物をしていて、自分も渡した記憶があった。なのでそう言ったのだが、ひなたの返答には僅かに戸惑いが混じっていたような気がする。
「……何か勘違いでもしていますか?」
「う、ううん。そんなことないよ!」
首をぶんぶん振って否定するひなたに、夜月は訳が分からずに首を傾げた。
しかし、そんなことはないと言うのなら、これ以上は追及しても仕方がないと思う。
(……土盾君達に渡す所を、見なかったような。……いや)
――気のせいか。誰とも親しく接している彼女が、自分にしかチョコを渡さないなんて有り得ないだろう。
そう考えながら、未だに緊張した様子で俯くひなたに話しかける。
「すみません。今日がその日だと全く気付いていなくて……。君に渡せるような物は、何も用意していないのですが」
「い、いいの……そんな。受け取ってくれただけで、私は満足だから……!」
「……そういう訳には……。では、何か僕に出来る事はありませんか?」
とんでもないと遠慮するひなたと、幾つかの会話の応酬を終えた後。夜月に説き伏せられたひなたは控えめに、
「……夜月くんが食べている姿を、……ここで見ていてもいい?」
え、と夜月は間の抜けた声を出す。あまりに予想外の答えが返ってきたせいだ。
「……たったそれだけで、いいのですか?」
「うん。……ダメ、かな」
「い、いえ。……君がそうしたいと言うのなら、僕は構いません」
――彼女が何を意図して、そんな要望を出したのかは分からない。
けれど。
「……嬉しい。ありがとう、夜月くん」
ふわりと笑みを浮かべる彼女を見たら。その笑顔を、誰でもなく自分に向けてくれているのだと考えたら。
そんな些細な疑問など、どうでもよくなる程に舞い上がってしまうのだ。
「……ひなた」
「なに?」
「……ありがとう」
――そして。
ひなたもまた、夜月がつくる笑顔を見て、幸せを感じていたことなど。
夜月は露ほども思わなかったのであった。
End.
2016.02.14.
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