「今日からこのクラスを担当する、細川 竜児だ。よろしく」
細川 竜児(ほそかわ りゅうじ)先生は言葉少なに挨拶を済ませると、出席を取り始める。同時に自己紹介もすることになった。
クラスメイト達は――これは当たり前のことなんだけれど――明るい人や物静かな人、色んな人がいた。
……仲良く、出来たらいいな。
そう思いながら、少し辺りを見回してみる。と、ある人の後ろ姿を見つけて私は声を上げそうになって。さっと口を両手で押さえた。
――風羽くん。
窓際の席に、風羽くんが座っている。教室に入ってから先生が来るまで穂乃花たちと話していたから、気が付かなかったみたい。
そうこうしている間にも自己紹介は続き、彼の順番になる。
「次は――風羽 夜月」
「……はい」
そう彼が返事して、立ち上がった時。私は周りの人々の小さな話し声を聴いた。
「なあ、あんな奴さっきまでいたか?」
「さあ……? 俺は全く気づかなかった」
失礼な人だな、と思った。けれど、私も今さっきまで気が付かなかったのだから、同じじゃないかと考えてしまう。
恐らくあの人たちは風羽くんと初対面だろうけど、私は違う。だから、あの人達よりも私の方が、酷い人間だと思った。
「風羽 夜月です。……よろしくお願いします」
彼が放ったのは、淡々とした、ただその一言だけ。それが、今朝に聞いた言葉を――彼の意志を象徴するようで。ひどく、印象に残った。
それからの授業時間で、気になったことといえば。
風羽くんが、なぜか手袋を身に付けていたことと。なぜか、左利きの筈なのに右手で羽ペンを握っていたことぐらいだった。
手袋は、確かに男性用の聖衣では身につけるのが習わしではあるけれど。今は制服なのだから、そういう意味では着ける理由がない。
あと、彼が左利きだと分かったのは。学園の制服を着る際、利き腕に装身具を着ける決まりがあるからだ。
装身具には魔力制御と、魔法を使った場所と人間を特定する機能がついている。これで授業に関係のない時や場所で魔法を使うのを防止するみたい。
――ということは。
昨日、市場で助けてくれた時の風羽くんは学園にそのことが知られたはず。
もしかしたら、何らかの罰を受けたり……してない、よね? だって、人を助けるためにやったことなんだから。
「…………」
私は、ちらりと隣の席に目を向ける。そこには――右手で羽ペンを握り、さらさらと走らせる風羽くんの姿があった。
いざ気になると止まらない。私ひとりで女の子を助けられなかったせいで、罰を受けていないか。授業中、ずっとそのことが頭から離れなかった。
「ほんっと凄い偶然だよね! クラスが一緒ってだけでも驚きなのに、班まで一緒なんてさ!」
休み時間になって、土盾くんは私を振り向き「これからよろしくね」、と笑う。
彼の言うとおり、さっきまで話していた三人は同じ実習班になっていた。席も、穂乃花が私の前に、土盾くんが私の斜め前になっている。
私自身は窓際から数えて二列目の、一番後ろの席。……そこまで確認した時、私はそっと横目で隣――一番窓際の席を盗み見る。
――……風羽くん。
同じ班になった、風羽くんの席。
彼は休み時間になった途端、少し目を離した隙に姿を消していて。話しかけることが出来なかった。
「そうだね。凄く、ほっとしたよ」
他の班員である二人も、親しみやすそうな人達だった。何だか良いことばかりで怖いくらい。
でも――ただひとつ。風羽くんのことだけが、気がかりになっていた。
それからは、なんの滞りもなく時間は進み。私は穂乃花と共に帰路に着いた。
道すがら風羽くんについて話してみると、
「ふうん。だから、休み時間とかに隣を気にしたり、誰かを捜してるみたいにきょろきょろしてたの」
「えっ。そ、そんなに分かりやすかった?」
「ひなたは考えてることが顔に出やすいからねぇ」
にやにやと悪戯めいた笑みを浮かべたと思ったら、ふいに真顔に戻って「風羽クンねえ」と続ける。
「なんか変な人って感じ。存在感はうっすいけど、よくよく見てみれば浮世離れした雰囲気っていうか。とにかく、色んな意味で浮いてる」
浮世離れ……確かにそうかも。存在感については、さっきクラスメイトが風羽くんのことを『気が付かなかった』と言っていたことを思い出した。私も、その直前まで気が付いていなかったし……。
ふと、昨夜のことが頭に過る。こちらに背を向けて、窓に手を置きながら歌っていた彼の姿。――そして、振り向いた彼の夜空色の瞳。
それらは切ない歌声も相俟って、ひどく胸が締め付けられ、同時に強く引き寄せられた。
注目すれば確かな存在感があるのに、普段はなぜか気が付かない。風羽くんは、そんな不思議な人に思えた。
「……?」
「どしたの」
その時。どこからか視線を感じたような気がして、思わず私は振り向いた。――けれど、それらしき人は見つからない。行き交う人は多いものの、それは私達と同じように誰かと話しながら帰る生徒ばかり。
「今、視線を感じなかった……?」
小声で穂乃花にそっと耳打ちする。穂乃花は少し考えるそぶりを見せたけれど、やがて首を横に振って。
「んー、私は別に」
「そっか……気のせい、かな」
……なんだろう。気のせいならいいんだけれど。
疑問と少しの不安を感じながら、私は穂乃花と別れた。
響界に帰ると、私は荷物を自室に置いてから、叔母さんの研究室まで足を運ぶ。
私の持つ能力が一体なんなのか、どういう条件で起きているのか。それとも理由もなく完全に無規則に発動しているのか。叔母さんは昔から、それを突き止めようとしていた。
今までは離れて暮らしていたし、つくった薬などを小さな子供に飲ませるわけにはいかなかったから、あまり研究は進んでいなかったようだけれど……。
『とりあえず、今日は簡単な身体検査をするから放課後においで』と言われていた。
「叔母さん、入るよ?」
ノックをしてみた。……反応がない。
「……叔母さん?」
そうっとドアノブを回してみる。鍵は掛かってないみたい。そのまま、ゆっくりと開いて身体を滑り込ませた。
中は黒いカーテンが部屋と入り口付近に境界をつくっている。……叔母さん、いないのかな。それか研究に夢中でノックに気が付かなかったのかも。
もし後者だったら、うるさくして邪魔しちゃ悪いよね。そう思い、私はカーテンを掴んで、あまり音を立てないよう静かに――。
「――えっ?」
その先にあった光景に、私は思わず間抜けな声を出してしまう。
「……!!」
こちらを振り向き、僅かに目を見開いて。叔母さんと向き合うように座っていたのは――風羽くん。
しかも。上半身……はだか、で。
「……」
「……」
「おや、ひなたも来たか。お帰り」
お互いに固まったように見つめ合う私達。叔母さんののほほんとした声だけが、辺りに響き渡る。
「ごっ……ごめんなさい!!」
「あっ! ひなた、どこへ行くんだ!?」
ようやく我に還った私は、自分の顔がかあっと熱くなるのを感じて。それを全身から吐き出すように叫ぶと、一目散に部屋を飛び出した。
「ごめんなさい……」
すぐさま叔母さんに捕まり、部屋に引き戻された私は、風羽くんの隣の椅子に座らされた。
……あと、彼はもう服を着ている。もしこれで帰って来た時も裸のままだったら、きっと直視できなかった。着ていてくれて良かった……。
「ふむ。すまないな。まだ、ひなたには刺激の強い光景だったか」
「まだ……って、なに?」
「ははは、まあ気にするな。それより、君達がまさかクラスメイトになっていたとは驚きだ。それに、姪の命の恩人が風羽君、君だとは思わなかったぞ」
「…………」
叔母さんの視線に、風羽くんは応えない。ひたすらに無表情だった。
「ひなた。彼は幼い頃から、この響界で祈り人として暮らしていてね。私とも長い付き合いなのだよ」
……そうだったんだ。まさか叔母さんと風羽くんが、昔から繋がりがあったなんて。
「それじゃあ風羽くんも、私と同じように、何か……?」
人とは少し違う、不思議な力とか。何かが、あるのかもしれない。思わず風羽くんの方を向いて問いかけてしまった私に、彼は眉を潜める。
「……出会ったばかりの人間に、詮索されたくありません。不快です」
「そ、そうだよね。ごめん」
はっきりとした拒絶の言葉と、射抜くような鋭い眼差し。申し訳なさや恐怖、それになぜか一抹の悲しみが混じる。
出会ったばかりの人間に、詮索されたくない。それは、確かに彼の言う通りなのに。
「まあまあ、そう冷たくしないでやってくれ。せっかく同い年なんだしな」
「……」
風羽くんは表情をそのままに口を結ぶ。叔母さんと話したくないのか、……私と話したくないのか。両方、かな。
「ひなたもこれを機に、少しは男友達をつくるといい。思い出の人ばかり追っていては、いつか現れる未来の彼氏が嫉妬するぞ?」
「もっ、もう! 叔母さんまで穂乃花みたいなことを言うんだからっ……!」
八年前に助けてくれた、思い出の男の子。その子への気持ちを茶化されて、私は顔から火が出そうになる。
「しかしな、ひなた。八年も前から一人の男を追い続けて、恋愛っ気がひとつもないのは家族として心配ではあるのだぞ」
「だから、それは」
「……八年」
「え」
ぼそり、と。それまで会話に入ってこなかった風羽くんが呟いて。私は正直、かなり驚いてしまった。
「そうなのだよ、風羽君。ひなたは八年前に出会った、どこにいるとも知れない男が気になって仕方がないらしくてな? 叔母としては、姪っ子の将来が心配で心配で」
「も、もう良いでしょ! 風羽くんだって、私のことなんか興味ないだろうし……!」
そうだよね、と確認するように彼を見つめる。私達の話に反応を示したことには驚いたけれど、だからと言って深くは気にならないはず。
風羽くんの表情は変化に乏しく、私の目から感情を察するのはとても難しい。だから、彼の返答を待つしかなかった。
「……君が誰に何を思おうが、僕には関係ありません」
「――ほ、ほら。ね?」
……少し、ショックを受けている自分がいた。どうして、だろう。風羽くんの答えは、分かりきっていたのに。
「ふむ。それは残念だ」
言葉とは裏腹に、叔母さんの声色は普段通り。何でもないことのように言うのは、風羽くんの対応に慣れているからなのかな。
――私には、まだまだ時間が掛かりそう。ぼんやりと、そう思っていた。
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