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エスワール ―光と翼の詩(うた)―
言葉に出来ない想い


 その日の夜。ルウクは一人で、あてもなく歩いていた。
 暗がりの中、マナ・ストーンの灯りがぼんやりと行き先を照らし出す。

(…………)

 時折、すれ違う人々。皆、さめざめと泣いていた。理由はひとつだろう。――何か、大切なものを亡くしてしまったのだ。

 空から止めどなく魔物がやってくる、おぞましい光景も。結界が破られ、襲われることも。今まで起こり得るなど、誰もが思いはしなかった。
 しかし、それは起こってしまった。そうして大切なものを喪った人々は、救いを求めて――『そこ』へ行くのだ。

(…………なぜ)

 なぜ、こんなところへ来てしまったのだろう。
 ルウクは嫌な偶然に頭を痛めた。……『ここ』へ向かったのが無意識の行動だとは、どうしても思いたくなかったのだ。

 魔物に壊されることなく残った――聖女エレナの像が、そこにあった。
 像の周囲には人々が集まり、一心に祈りを捧げている。両手を絡めながら、涙を流している者も多くいる。
 ルウクはその光景を、どこか遠くの世界のように見ていた。

『ルウク、』

「……ッ!!」

 頭の中で響いた懐かしい声を、振り払う。それは、十年前に亡くした母の声だった。

「……」

 優しい両親がいた。友達がいた。――それなのに。どうして、あんなことになってしまったのだろう。
 目を覚ました時には、もう村は見る影もなく壊滅していた。何が原因でああなったのかは、分からない。

 ……エリシアは、何か知っているだろうか?

「…………」

 顔を上げると、人々が救いを求める聖女の姿がそこにある。柔らかな微笑みを湛えた聖女エレナの姿に、どうしようもなく胸を締め付けられた。
 ルウクもまた、救いを彼女に求めているのか。それとも別の理由があるのか。今の混濁した精神では、何も考えられない。

「お兄さんも、エレナ様に会いに来たのかい?」

「!」

 突然。後ろから声を掛けられ、ルウクは振り向く。
 そこにいたのは老齢の女性で、細い木の杖で身体を支えていた。
 女性はゆっくりとルウクの隣までやってくると、言葉を続けた。

「まさか、私が生きている間に……こんなことになるとはねえ……」

「…………」

 ひどく疲れた声。伏せた目にうっすらと浮かぶ涙。丸めた腰。そのどれもが、印象強くルウクの目に映った。

「お兄さん、歳はいくつだい?」

「……十七」

「そうかい、十七……私の孫と同じ……だね」

 くつくつと笑う。しかし、俯いているその笑顔からは、侘しさしか感じられなかった。

「娘も……孫も……どうして、こんな老いぼれを助けて逝っちまうのかねえ……」

 僅かに震える肩が、この女性の虚しさ全てを物語っているように思えた。

 民衆だけではない。聖堂騎士団も、聖女の塔の警護に当たった人間は全員死亡――誰ひとりとして遺体が残っていない為(ルウク達が看取った筈の男でさえ)、推測ではあるが。
 聖都に限らずとも、結界の外ではいつ誰が死んでいるかもしれない。この世界、エスワールはそういう世界だ。

 そんな彼らにも、家族がいるだろう。大切な人がいただろう。この女性のように、――家族を亡くした痛み。それは、ルウク自身もよく知るものだ。

 けれど、ルウクは何も言えなかった。言葉が出てこなかったのだ。
 結局、ルウクは人の痛みに接するだけの勇気もない。踏み込むことが、できない。

「ああ……お兄さん、ごめんねえ。私、ひとりで喋ってしまって……」

 そう言って、ルウクに笑顔――先程とは違う、人柄を感じさせる優しいもの――を向けてくるものだから。余計に、罪悪感が増した。

「……いや」

 結局。この女性との会話において、ルウクが交わせた言葉は、たった二言のみ。
 短い返答を最後に、女性からも、聖女エレナからも――全ての人から、逃げ出した。

 ――気持ち悪い。
じっとりとした不快感。ざわめく鼓動。誰かに頭の中をぐちゃぐちゃに掻き回されているような感覚がする。

 ルウクは、気が付けば走り出していた。宛どもなく。
 明日からのことを考えれば、もう部屋に戻って休むべきだ。それは、分かっているのに。無我夢中で、足を動かしていた。

「…………」

 そうして。ようやく落ち着いた時。ルウクは、自分が全く知らない場所に来ていることに気が付いた。大聖堂は広く、ルウクも足を踏み入れたのは今日が初めて。どこに何があるのかなんて、知らない。

 見回してみても、どこも同じような景色ばかり。壁や床、柱も白く塗られており、所々に宝石などの装飾が施されている。
 周囲には扉もなく、適当に開けて人がいるのか確かめることもできない。

 ルウクの立っている廊下は一直線だ。だから、進行方向から逆に行けば、知っている場所に戻れる筈。
 そう思って、ルウクは足早に歩き出した。


「…………?」

 どのくらいの時間、歩いただろうか。相も変わらず同じ景色を見ていたルウクだったが、ふと、耳に届く音があった。
 そちらに向かってみると、大広間のものと同じくらい大きな扉が見えた。――そして、聴こえていた音が『声』だということにも気付く。

(……歌……?)

 どこか懐かしいような……そう。聞き覚えのある、歌、だった。声、詩、旋律。その全てが、ルウクの胸にじんと染み渡っていく。

「…………」

 ルウクは、静かに近付いて――その扉を開けた。すると、

「誰だッ!!」

「!」

 部屋に入った途端。突如、目の前から銀の刃が迫り来る。咄嗟に後退して避け、ルウクは自らの大剣の柄に手をかけ――。

「やめてくださいっ!!」

 寸での所で、ルウクと……目の前にいた騎士が、動きを止める。見れば、この部屋にも大広間のものと同じ大きさのエレナの像が鎮座しており――その傍に、エリシアの姿があった。

「その方は……私の守護者の方です」

「あ……! 申し訳ありません!! なにぶん暗かったもので、顔が見えず……!!」

「……」

 そう言って頭を下げてくる騎士は、声質から察するに、恐らくルウク達とさして年齢は変わらないだろう。
 しかし、こうして一人聖女の護衛を任されるのだから、相当の腕があるに違いない。
 無用な戦闘をして、お互い怪我をせずに済んで良かったと言える。

「……すみません。少しの間だけ、席を外して頂けますか?」

「え……ええ、勿論。……では、部屋の外にいますので、何か有りましたら……」

「……」

 何か有りましたら、と言う声色に、ほんの少しの棘を感じた。ルウクを内心では信用していないのが窺える。
 一礼して去っていく騎士に、そんなことを思った。

「…………ルウク。大丈夫……?」

 騎士がいなくなるなり、そんなことを言い出すものだから。ルウクはむっとして言い返す。

「……怪我なんて、していない」

「ううん、そうじゃなくて。――何だか、疲れた顔……してるから」

「…………」

 見透かされている。十年ぶりに再会したばかりの幼馴染に。隠そうとしても、恐らく無駄だろう。
 しかし、ルウクはその事実に少しだけ――安堵していた。なぜかは、分からないけれど。

「…………目を、醒ましていたのか」

「あ……うん。ごめんね、挨拶できなくて。もう遅い時間だったから、明日の朝にって思ったの」

「……そうか」

 見たところ、体調に問題はないようだった。ルウクは小さく息を吐いて、次の疑問を問う。

「……歌」

「え?」

「歌が、聴こえた」

 ああ、とエリシアは答える。

「えっと……うん。私が歌ってたの。ルウクにも昔、聞いてもらってた歌。……覚えてる?」

「……ああ」

 どうりで懐かしいと思った。ルウクが頷くと、エリシアはほんの少しだけ笑いながら。

「覚えててくれたんだ。……うれしい」

 彼女の後ろにある大きな窓から、月明かりが差す。月明かりはエリシアの姿を、美しく照らしているように見えた。

「あの時は、どうして教えてもらってもいない歌を、私は覚えてるんだろうって思ってた。……でも」

 エリシアの顔が、さっと曇る。

「私が……聖女だったから、なのかなって。今は、そう考えてるの」

「……!」

 ルウクにとって。エリシアという存在は聖女ではなく、幼馴染。人々に救いを与える存在ではなく、ただひとりの――人よりずっと泣き虫な、少女だったのだ。

 そんなエリシア自身から伝えられた言葉は、ルウクの心に静かに衝撃を与え。満ち潮に飲み込まれる砂浜のように、浸透していく。

「……ルウク?」

「……なんでもない」

 心配そうに覗き込んでくるエリシアから、顔を逸らす。――まただ。なにも、言葉が出てこない。

「……そうだ。ルウク、ありがとう。私のことや、司教様のこと……助けてくれて」

「……」

「……私を生かすために亡くなった人も、巻き込まれて亡くなった人も、いっぱいいる。

だけど……だからこそ、今日を生きられて良かったって思うの。助かった人がいて良かったって……そう、思ってる」

 死者への弔いの心と、生への感謝。それは両立するものだと、エリシアは胸に手を当てて――まっすぐな瞳で、訴えかけてきた。

「だから私……頑張りたいんだ」

「…………」

 ルウクはその時。十年前と現在における、エリシアの最大の変化に気が付いた。

(…………泣かない)

 いつも泣きべそをかいて、自分の名前を呼んでいたのに。少し膝を擦りむいたり、悲しいことがあるとすぐに泣いていたのに。――今は、見る影もないのだ。

「だから……ルウク、お願い。私のこと……助けて欲しいの」

「……」

 変わっているもの。変わらないもの。その境を見つける度、ルウクは酷く困惑していた。
 複雑な感情。それをエリシアにどう伝えていいのかも、分からない。そもそも、自分の真意も掴めていないのだ。

 だから、――ルウクはまたしても、何も言葉に出来なかった。

「……夜が明けたら、出発だ。寝ろ」

 口から出せたのは、そっけない言葉だけで。エリシアが戸惑っているのが、表情のみならず空気からも感じ取れた。

「……う、うん。そう、だね。明日から、よろしくね。……ルウク」

「…………ああ」

 その会話を最後に、ルウクは部屋から立ち去り。外にいた騎士から道を聞いて、自室へとまっすぐ帰って行った。


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あきゅろす。
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