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月の瞳
06




 なんだ、これ。

 どういうことだ。


 この吸血鬼に助けられ、血を飲まされたことまでは判る。
 しかし、そこから先の記憶が全く無い。
 ベッドに寝かされているのは有り難いが、何故抱き締められていたのか。

 そんな疑念を抱きながら、狼男は困惑したまま部屋の中を伺った。

 ぐるりと見渡すと、改めて豪奢な部屋なんだと判る。
 ふんだんに使われた金銀の装飾に、高価そうな家具。
 中世ヨーロッパを彷彿とさせる荘厳な内装に、狼男は圧倒されながら周囲を見回した。

 この吸血鬼は、一体何者なんだろうか。
 こんな立派な屋敷に住んでいるからには、名のある血筋の持ち主に違いない。

 もしや、“始祖”なのか──。

 一瞬そんな考えが脳裏を過ぎったが、直ぐに思い直して狼男は首を振った。


 いや、そんな訳無い。

 “始祖”なんて、そうそう簡単に見つかるものではない。
 狼男の“始祖”ですら、自分は知らないのに。

 そう思い直した狼男は、ふと寝返りを打ったベッドの上の吸血鬼を見た。
 すやすやと安らかに眠っている吸血鬼の男は、見れば見るほど美しい。

 白く透き通った肌に、整った目鼻立ち。
 閉じられた目蓋を飾る長い睫毛は、まばたきをしたら微風まで起きそうだ。
 美の化身と言えば良いのか。男はとんでもなく整った容姿をしていた。

 しげしげと眺める狼男は、昨夜自分を捉えたあのアメジスト色の瞳を思い出す。
 怪しく光るその瞳は思わず背筋が凍るほど美しく、そして艶やかだった。
 人を惑わし生き血を啜る生き物、ヴァンパイア。
 その容貌は、確かに獲物を惹き付けるのには最適だ。

 その投げ出された白く美しい四肢に、思わずごくりと喉が鳴る。

 美しい。

 日焼けを知らない、白い肌をしていても、その体は男らしく適度に引き締まっていて、それが妙に色っぽい。
 まるでフェロモンを垂れ流しにしている吸血鬼に、狼男は無意識に舌なめずりしていた。
 瞳孔が開いていくのが分かる。

 
 まずい。理性が……。


 本能と欲に染まった狂気が、理性を塗りつぶしていく。
 知らず知らず、狼男は眠る吸血鬼に近付いていた。


 命の恩人に、何を考えているんだ俺は。


 そう思って一旦正気を戻し首を振る狼男だが、それも直ぐに目の前の媚態に塗りつぶされた。


 ふと苦しそうに「ん……」と吐息を吐き、眉を寄せる吸血鬼。
 その様子が実に色香を強く放っていて、狼男はまた吸血鬼に目を釘付けにされた。


 ────美味そうだ────。


 その白い肌。牙を突き立てたらどんな感触がして、そしてどんな血が流れるのだろう。
 上等な肉を漂わせるその体。貪り喰らい尽くしてしまいたい。


 ────ああ、食べたい食べたい。


 こんなにも本能が喚起されるのは、初めてだった。


 上唇をぺろりと舐め、狼男は吸血鬼にふらふらと歩み寄る。
 手指の関節がパキパキと鳴った。


 ぞくぞくするような、今までにない興奮。


 だめだ、だめだと思うほど、喉が渇き欲しいと思う欲望が強くなる。
 そのまま、まるで操られるようにふらふらと吸血鬼に近寄り、ベッドに乗った。
 ギシリとベッドが軋む音がして、狼男はほんのりと赤く染まる目元をしながら、吸血鬼の無防備な寝姿をじっと見下ろす。
 そしてごくりと喉を鳴らし、少しくらいなら、と吸血鬼の唇に指を伸ばした時。



 「────」

 「……っ!?」



 突然首元に衝撃を感じて、視界が反転した。

 何がなんだかわからず驚いている狼男に、炯々と光る鋭いアメジストの眼光が突き刺さる。
 その目はじっと狼男を見据えていて、その炙るような強すぎる視線に、狼男は肌が粟立つ様な気がした。
 首根っこを押さえられたまま、硬直して馬乗りになる影を見上げる。


 「……なんだ、貴様か」


 じっと狼男を見下ろしていた吸血鬼だが、不意にその強すぎる眼光が緩んで、首から手が離された。
 そのまま吸血鬼は狼男の上から退け、再び横になる。


 体が自由になった狼男は、未だにバクバクと心臓を鳴らせながら、知らず滲んでいた冷や汗を拭った。


 殺されるかと、思った。


 「……すまない」

 「何故謝る?」

 「あ、いや……」


  横になった吸血鬼から直ぐに訊き返されて、問われるとは思っていなかった狼男は口ごもる。

 まさかカニバリズムが刺激されたとは言えまい。






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