Re1:The first sign
D
「あぁ"〜〜っ!もー足が限界だよぉぉ〜〜……」
何とか仕事をこなし、休憩の時間がアイリスに廻ってきた。
バーカウンターの裏、俗にバックルームと呼ばれる部屋には、小さなテーブルと種類の疎(まば)らな椅子がごちゃごちゃと散乱しており、アイリスはその一つに腰掛けて放心していた。
部屋の隅にある“ヴィジョン”と呼ばれる箱型の小さな機械からは、忙(せわ)しなく人の声が聞こえる。
どうやら、ジルクス軍についての特集放送をしているようだ。
『皆様も待ち兼ねております、ジルクスの建国祭が来週末に控えております。
記念すべき50回目の今年は、一体どのような催しが行われるのでしょうか?』
やたらと綺麗な顔をした女性アナウンサーが取材をしている相手は、ジルクス軍の幹部らしい男だった。
ゲルナ=ダムス。聞いたもない名だ。
『まぁ、今年も色々と企画してるョ〜。音楽隊による凱旋パレードに、兵士による実戦さながらの模範演習に〜…、その他お楽しみ要素も諸々だしネ』
派手な紫のスーツで着飾ったその気違い男は、何だか癪に障る喋り方でペラペラと流暢に話し出した。
この男、何だか人間には見えない。
どちらかといえば爬虫類…そう、小さい頃に絵本で見たカッパという不思議な生き物にそっくりだ。
『それにしても、最近ではセルディス派などの過激なテロ集団による被害が増えていますが、その辺りの警備の方は…』
『それについても抜かりはないョ。こっちは戦闘のプ・ロだからネ。レジスタンスなんかやってる小物集団は、ハッキリ言って眼中にナシッ!!って感じだし』
カッパ男はやたらと長い前髪を横に流しながら、自信満々にそう宣言した。
おいおい…そんな事、公に放送していいのか。
テロ組織を挑発するような発言なんかして、もしまた何処かの施設が襲われたりしたら――…。
「不愉快な人ですね」
突然、ヴィジョンの映像が真っ暗になったと思えば、背後から機嫌の悪そうな声が聞こえた。
「る、ルツキ…さん?」
「こんなくだらない放送、ヴィジョンの電波受信費が勿体ないですから見ないで下さい」
バーカウンターに繋がる扉を背もたれにし、ヴィジョンのリモコンを片手にひらひらと揺らしながら、ルツキはニッコリと微笑んでいた。
その笑みが何とも言えないほど邪悪で、アイリスは苦笑するしかない。
恐らく彼は、カッパ男の言葉をしっかりと聞いていたのだろう。
――ほら思った通り。
公共の電波を使っているヴィジョンでの迂濶な発言は、こんな風に反ジルクス組織の神経を逆撫でさせるだけだって。
…ん?でも、待てよ。
本当に“これ”は、何も考えずに自分達の率直な感想を述べているだけなのだろうか?
世界規模の大軍隊を率いる幹部様が、そこまで頭の回らない木偶の坊の筈がない。
まさか、わざと彼らを挑発してるとか?
でもそんな事をすれば、関係のない市民がテロの巻き添えになる事は分かり切ってる。
なら、どうしてわざわざこんな真似を――?
「アイリスさん」
「は、はいっ!?」
ふと考え事をしていた時にルツキから声を掛けられ、アイリスは声を裏返しながらも返事をした。
「休憩中すみませんが、買い出しに行ってもらえませんか?」
「買い出し…ですか」
「ロックの氷が少し足りないので調達して下さい。ショップストリートまでの道はマクターが知っていますから、彼の付き添いをお願いします」
するとルツキの背後からまるで幽霊のように青白い青年がのっそりと現れた。
確か、彼がマクター。
バー経営担当の一人だった筈だ。
無口・無愛想・無表情といった青年で、どこか取っ付きにくい印象を受けた事をよく覚えていた。
「あたしは荷物持ちに向かないと思いますけど…」
「ちょうど店が混み時で他の者は手一杯なんです。急ぎなのでつべこべ言わずにとっとと行って下さい」
早口でまくし立てられたアイリスは、頬をぴきぴきと引きつらせながら必死の笑顔を浮かべ、「…はい…」と返事をした。
マクターはそんなアイリスの様子を一瞥するが、まるで興味が無さそうにさっさと店を後にした。
「ちょ…、待ってよ!!」
アイリスは慌ててバックルームを出ると、直ぐ様マクターの後を追う。
「…すみませんね」
どこか危なげな彼女の後ろ姿を、ルツキはただ静かに見据えていた。
*・*・*・*
陽が落ちた夕闇のジルクスの街並みは、明々としたネオンの看板が連なり、昼間よりも眩しく感じる。
――せっかく休憩してたってのに、どんだけ人をこき使えば気が済むんだ!
本当の幽霊のように人混みを擦り抜けるマクターを見失わないように懸命に後を追いながら、アイリスは心中で文句を吐き捨てていた。
確かに、アイリスにはとてつもなく非がある。
野蛮なテロの騒動に無闇に首を突っ込んで、挙げ句、人様のチームの名に傷を付けてしまった原因は、間違いなく彼女にあった。
だからと言って、こんな無茶な労働を強いられては溜まったもんじゃない。
一体、このチームから解放されるの日は来るのだろうか。
…まさか、一生このまま雑用兼下働き!?
「そんなのいやだぁぁあっ!!」
「…黙れ…」
心の叫びがつい表へと出てしまったようで、マクターは不機嫌そうにそう呟いた。
彼が本当に不機嫌かは良く分からないが、この無表情で睨み据えられれば怒っていると考えるのが普通だろう。
「ご、ごめんなさい」
いけない、今は買い出しの途中だ。
この時間帯のショップストリートは昼間ほどではないが、それなりに人でごった返している。
土地勘のないアイリスは、マクターとはぐれてしまえば道に迷ってしまうだろう。
「…こっちだ…」
「へ?」
雑踏の騒がしさに紛れてマクターの小さな呟きが聞こえた。
背後できょとんとしているアイリスを置いて、彼はさっさと路地を右に曲がっていく。
「ちょっと待ってよ…っ」
少しでも気を抜けば見失ってしまうほど影の薄いマクターの姿を、アイリスは懸命に追った。
人混みを掻き分けて通りを右に曲がると、急に街の灯りが遮断された。
――暗い、路地裏だ。
「ねぇ…マクターさん。この先って、行き止まり?」
「…近道…」
そう言って、あからさまに人気のない道をマクターは進んでいく。
ここで不審がっている暇はない。
アイリスも後に続こうと、路地裏に足を踏み入れた。
――その時だった。
「んむぅっ!!?」
突然、アイリスは背後から何者かに羽交い締めにされた。
だが咄嗟に彼女は、背後の男の腹に肘打ちを喰らわせようと腕を突き出す。
だが、その途端にアイリスの口に布があてがわれてしまった。
布から香る、クラクラするような甘い匂いが彼女の神経を麻痺させる。
――…だ、誰…?
遠退く意識の中。
こちらの様子に気付いたマクターが、無表情を崩して目を見開いていた。
そして彼にしては珍しく、大声で叫んだような気がした。
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