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:Dearest:
美しき魂を現世に









――桜の花が散り、紫陽花の季節が来た。


地球温暖化のせいもあってか、6月の終わりになると既に夏服の生徒達が目立ち始めている。








そして湿気の嫌な時期を越えると、向日葵の季節。


梅雨の名残もなくなり、灼熱の太陽がアスファルトをじりじりと焼き付けていた。



本格的な、夏がやってくる。








「あちぃ…、頭痛くなってきた」


「あ〜お〜い〜く〜〜〜ん!!
ここの問題わかんな〜〜い!!
ってか全部わかんな〜〜い!!」

「うるせぇ翔太…ってかキモイ」




ミンミンと煩い蝉の鳴き声をBGMに、3−2の教室では葵と翔太が机に向かっていた。

葵はパタパタとノートを団扇代わりしながら、教科書と睨めっこをする翔太に勉強を教えている。


普段は勉強より遊び優先の翔太だが、この時期だけは勉強に身を置かなくてはならない。

それは翔太や葵に限らず、校内の生徒全員に言える。



そう、今は学生にとって大切な、期末考査の時期。




「もぉーだめ。むり。俺死んじゃう」

「まだ始めて20分も経ってねぇし。
誰の為に俺が朝っぱらから付き合ってやってると思ってるんだよ?
おら、さっさとペン持て」



遂に翔太は机に突っ伏してしまった。

脳はショート寸前らしく、頭から湯気が出ているのは、気のせいだろうか。




「じゃあさー…、もし俺が今回の試験で平均点以上取れたら、なんか奢って?」

「ざけんなよ。なんでわざわざ勉強教えてやった挙句、奢らなきゃなんねぇんだ」

「ごほーびとかないと頑張れねぇんだよ〜」



翔太が駄々をこねるも、葵は聞く耳を持たない。



――その時だった。








『いいじゃない?聞いてあげなさいよ』


「うっわぁぁぁああっ!!!!」




突然、葵の視界に現れたのは、黒く長い髪を宙に浮かせたノヴァの姿。

しかも、この上なく至近距離だ。




「な、なんだぁ?」

「い、いや…別に」



突然の葵の叫びに翔太は困惑した。

それもその筈。
翔太にはノヴァの姿が見えない。

幸い、時刻は通常の登校時間より1時間以上早い為、この教室には葵と翔太しかいなかった。



そして、葵はある事に気付いた。

いつも彼女と共にいるノヴァが、ここにいるという事は――…。






――ガラガラッ




「あ…」




予想通り。

教室の扉を開けたのは、神永藍那だった。




「藍那ちゃん!おはよー♪」

「お、おはよう、翔太くん」



子犬のようにきらきらとした輝かしい笑顔を見せる翔太に、藍那も挨拶をした。

次に、翔太から葵に視線を移す。



不機嫌そうな彼の腕に、ノヴァは恋人のように腕を絡め、二コリと手を振っていた。




「…おはよう、葵くん」

「ああ…」




心なしか、彼女の表情が固い。

不満そうにノヴァを睨んでから、自分の席に着く。

困惑する葵の隣で、ノヴァはクス、と小さく笑った。




「二人とも、来るの早いね」

「試験期間中は、いつも翔太に呼び出されるんだよ」

「頼りにしてますぜ、旦那♪」



ニカッと白い歯を見せて笑う翔太に、葵は溜息をついた。

すると、藍那は鞄の中から数学の教科書を取り出す。




「ねぇ、私もここの問題が分からないんだけど…教えてくれない?」



質問をしてきた藍那に、葵は気まずそうに視線を逸らした。

彼女に勉強を教えるのは、なるべく避けたい。




「…最後のページに答え書いてあるだろ」

「解き方が分からないの、教えて?」

「そうだぞ葵、ケチケチしてないで俺にも教えろ〜」



こちらの心境など知らない翔太は、藍那の椅子を葵の方へと寄せる。

葵は無神経な翔太を睨んでから、渋々ペンを持った。













あの日、病院の帰りに藍那と話してから、彼女は何かと葵の元へやってきては質問をしていた。

以前藍那は、葵を憎んでいるとハッキリ断言した筈なのに。




「ここで、この公式を使って…」

「――だから答えがマイナスになるんだ」




何故自分に近付くのか、まるで謎だ。

何を考えているか分からない彼女の行動に、葵は不信感を抱かずにはいられない。




「ここでどうしても行き詰っちゃうの。
そっか、ここを移項すれば――…」



真剣に問題を解く藍那に、視線を移す。



綺麗な黒髪。

きめ細かい肌。

大きな瞳。

長い睫毛。

桜色の唇。



その凛とした横顔に、葵は暫くの間見とれていた。






『藍那のことが気になるの?』




心に直接響いてきたノヴァの声に、葵は背筋を凍らせた。

聞かれた、と思い慌てて周りの様子を窺う。

藍那は未だ問題を解き続け、翔太は飽きてしまったのか、暇そうにペンを回している。




(俺にしか聞こえてないのか…?)

『ねぇ…教えて?藍那が気になるの?』

(気になるも何も…こいつは俺のこと嫌ってるじゃねぇか)

『ふふっ、そうね…貴方は罪深き王子様だものね』



ノヴァの言葉の意味が分からず、葵は頭を抱えた。

すると、トントンと肩を叩く音が聞こえる。




「葵くん、出来たよ」

「へっ?あ…、合ってるよ」



藍那の答案は、見事正解。

満足そうに微笑む彼女は、どう見ても普通の女子高生だった。







「あ、そだ!!二人とも!!」




急に翔太は声を上げ、パチンと指を鳴らした。

こういう時の翔太はロクな事を言わない。

葵は嫌な予感を覚えた。




「夏休みに入ったらさー、俺の叔父貴がやってる海の家に遊びに行かねぇ?」

「海の、家?」

「毎年賑わってて、かなり楽しいんだぜ!!
地元の祭りとかもやるし、藍那ちゃんも友達誘ってさぁ♪」



楽しそうな翔太の話に、藍那は興味深々だった。

だが、葵だけは頬杖をついたまま他人事のように話を聞いている。

すると藍那は、こちらに視線を向けた。




「ねぇ…葵くんは、行くの?」

「行かない」

「何でだよ〜〜去年も行っただろ?」

「人の多い所好きじゃねーし、大樹置いて行けない」


昨年も翔太の提案で、何人かの男友達と行った記憶がある。

だが大樹がこの上なく反対し、駄々をこねた事を思い出した。

大樹は、海を見た事がないからだ。




「えぇ〜〜〜葵が行かなきゃつまんねぇじゃん」

「他の奴誘えよ」

「ちぇ」




翔太は残念そうに唇を尖らせる。

気が付けば教室には段々と生徒が集まってきた。

翔太は葵の代わりを探すべく、他の男子生徒に声を掛けに行った。




「…葵くんが行かないなら、私も行くのやめよっかなー」

「は…?」




藍那の呟いた言葉に、思わず瞳を見開いた。

黒髪を掻き分け、広げていた教科書類を仕舞いながら話を続ける。




「ねぇ、今度私も大樹くんのお見舞い連れてって」

「何でだよ…関係ねぇだろ」

「いいじゃない、興味あるから」

「…興味、だと?」




藍那の放った一言は、葵を怒らせるのに充分だった。

興味本位で弟に近付き、何をするつもりなのか。

葵は思わずそう怒鳴ろうとした。






その時、静かにノヴァの言葉が響き渡る。









『人魚ユリアの母親も、心臓病だったのよ』


「え…」





思わず葵はノヴァを見た。

彼女は人差し指を口元に当てている。

どうやらこの声も、藍那には聞こえていないらしい。

彼女は気付かずに、本の整理をしている。




『藍那はね、私が作った人間よ。
ユリアを現世に蘇えらせる為に用意した“器”に、彼女の魂を注ぎ込んで出来た…完全な人間。
だけどね、このコには過去がない』

(どういう、事だよ?)

『ここにいる神永藍那という人間は、3年前…ユリアと同じ15歳の姿で誕生したばかりよ。
私は住む家と、少しばかりの財産を与えただけ。
藍那には家族さえも存在しないわ。
うっすらと覚えているのは、深い海の世界で共に過ごした父王や姉姫達の記憶のみ…。

だからこそ、自分も知らないうちに恋しがってるんじゃないかしら?
病気だった母親も、懐かしい海も…』




藍那は、ユリアの転生の為にノヴァが作り出した人間。

ユリアと同じ15歳の年頃に生まれ、その間ずっとノヴァの監視下で暮らしてきた。




『このコにとっては複雑な心境よね…。
自分が生まれた理由が、前世の勝手な我儘によるものだったのだから。
それから、藍那は貴方を憎むようになったのよ』

(なんで俺が怨まれなきゃなんねぇんだよ…)

『だって、全ての元凶は前世の貴方よ?
ハンス様がユリアの心さえ奪わなければ、こんな事にはならなかったもの』



ノヴァはクスクスと楽しそうに笑う。

宙を泳ぐように舞う姿は、鳥肌が立つ程に妖艶だった。




『ユリアはね…人間に生まれ変わる為に、ある物を私に差し出したわ』

(ある…もの?)

『そう、ユリアが死ぬより辛い思いをして貫いた心――…それは、貴方を愛する心』




ユリアの心は美しかった。

揺ぎ無い信念。

消し難き愛。

確固たる、暖かい想い。


――私はそれが欲しかった。




『ユリアは喜んで差し出したわ。
【あの人を想うこ心は無限に広がっている】
そう…笑ってた』


(…じゃあ、神永は…)


『藍那が貴方を愛する可能性は微塵も無い。
けれどあのコの中で、ユリアは生きている』




藍那の魂は、あくまでユリアのものだから。


そう言ってノヴァが微笑んだ時、自然と葵は行動に出た。

藍那の肩に手を置くと、彼女が驚いたように振り向いた。




「な、何?」

「俺、海に行く。だからお前も来い」

「…は?」



未だに首を傾げ続ける藍那を余所に、葵は翔太の元へ歩いていった。

葵の参加を聞いて狂喜した翔太は、今しがた交渉していた男子生徒を丁寧に断っている。


その様子を見ながら、藍那はノヴァを睨んだ。




(ノヴァ、貴方何を言ったの?)

『別に何も?些細な世間話よ。
藍那こそ、いつになったら行動に移るの?』




ノヴァの言葉に、藍那は眉間に皺を寄せ、俯いた。

教科書を持つ手に力が入る。




『藍那が王子様に復讐する為に近付きたいって言うから、わざわざこの学校に転校させてあげたんじゃない。
それなのにこの数ヶ月…何も行動しないのはどういう事?』

(…それ、は…)

『ねぇ藍那…分かっているわよね?
私は貴方の味方じゃないわ。
未来が見たいのよ。人魚ユリアが導く、この御伽噺の結末が知りたいのよ』








だから…ね。


早く私を楽しませて頂戴?






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