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:Dearest:
直〜スナオ〜








――――――――





夕暮れの空が、赤く染まる。

大樹に別れを告げて、俺は病院の廊下を歩いていた。

日が暮れ始めてきたからか、ロビーには俺みたいな見舞い帰りの人で溢れている。





俺はジーンズのポケットに手を入れたまま、色んな事をボーッと考えていた。




今日の夕飯どうしようか、とか。

買い物して帰ろうか、とか。

学校めんどくせぇ、とか。



そしてふと、アカリちゃんに絵本を読んであげてた時を思い出した。


























『この絵本ね、ママからのプレゼントなの。
パパもママもおみまいに来れないから、この絵本よんでいいこにしてなさいって。
だからアカリ、この絵本を毎日よんでるの。
にんぎょひめのお話、だいすきだよ』













どうして『人魚姫』という童話が、子供に語り継がれるのか分からない。

子供に読み聞かせるんだったら、他にも夢のある物語が沢山あるだろ?

主人公が女の子だったら尚更、ハッピーエンドが当たり前だ。











…なのに、どうして。



『人魚姫』だけが、物語の王子と結ばれないんだ。































「――…葵くんっ」










聞き覚えのある声に呼ばれて、顔を上げた。


病院の出入り口である自動ドアが開いて、風が俺の身体を吹き抜ける。

一瞬目を瞑った後、
うっすらと開けた視界に映ったのは、長い黒髪。









「神、永…?」



彼女は制服姿のまま、俺の前に立ち塞がっていた。



走っていたのか、肩を上下させながら呼吸を整えている。

俺は驚いて、しばらく目を見開いたまま何も言えなかった。



すると突然――








『王子様、御身体はどうなの?』

「うわあぁっ!!?」




ボーっとしていた俺の目の前に、宙に浮かんでいた魔女ノヴァが現れた。


昨夜の夢に出てきた…魔女。

彼女は人間のような顔立ちをしているが、下半身に人魚のような尾鰭を持ち、身体中に薄い碧色の鱗が光っている。

ジャラジャラと重たそうな装飾品を付け、異常な長さの黒髪が宙を泳ぐ。

普通の人なら“それ”は見たことの無い生き物だ。


そのせいか、周囲の視線が俺達に集まっている。







「お…お、お前!夢じゃなかったのか!?」

『あら、現実逃避は宜しくないわね』




クスクスと笑うノヴァに、俺は自分の顔が青ざめるのが分かった。

次に周りの奇怪な視線が集中していることに気付き、俺は慌てふためく。

神永はそんな俺を静かに見つめていた。





「あの、葵くん。そんなに警戒しなくても」

「ばっか!!変な目で見られてんだろ!?」

「きゃっ!!?」




俺は急いで神永の手を取ると、全速力でその場を走り去った。

ノヴァが宙を舞いながら後ろを付いてきているのが分かる。

とにかく今は、人目に付かない所へ――…。





















「ちょ、ちょっと待って!!」



人気の無い小さな公園の前で、神永は俺を制止した。





『そうよ王子様、何を焦っているの?』

「あのな!!周りがお前を見てただろ!?」

『あら平気よ?生憎、私の正体を知らない人には、姿が見えないから』






へ…?

ぽかんと口を開ける。
今、俺すごく素っ頓狂な顔してるな。







「さっき周りの人が注目してたのは、空気と会話してる葵くんを不審に思ったからじゃない?」

「…まじかよ」




走って損した…。

しかも俺が怪しまれてたのか。



落胆して一気に脱力した俺は、手頃なベンチに腰を下ろし、大きく溜息をついた。

神永はそんな俺の前に立ち、真剣な表情で見つめてくる。

すると彼女の口から、思いもよらない言葉が出てきた。










「ねぇ…貴方、病気なの?」

「は…?」

「翔太くんが、葵くんはしょっちゅう風邪で欠席するって言ってたし……病院行くほど重症なのかなって」





心なしか彼女の表情が少し歪んでいた。
聞いてはまずかったか、と気まずそうに俯いている。


何、ひょっとして…?









「…心配してくれたの?」

「ち、違う!!誰が貴方なんか…っ」





いや、そんな顔赤くして否定しても説得力ないから。

それで心配して、わざわざ走ってきてくれたのかな。





…なんだ。

こえー女だと思ってたけど。










「ありがとな」





可愛いとこあるじゃんか。








『クス…ありがとう、だって。藍那』

「っ…調子に乗らないでよ」





ノヴァに茶化されたのが気に入らなかったのか、神永はそっぽを向いた。

夕暮れの静かな公園で、俺は小さく笑った。





「俺は至って健康だよ。病気なのは俺の弟」

「弟さん…?」

「生まれつき心臓が弱くて入院してるんだ。
うち両親いないから、ちょくちょく見舞いに行かないと寂しがるんだよ。
俺が“風邪”っつって休む時は…サボり」




最後の俺の言葉に、神永は大きく落胆した。




「…いくら病気の弟さんの為だからって、学校サボるのはよくない。
葵くんの出席が危ないって秋山先生が言ってたよ?」

「なんだ、神永やっぱ心配してくれてるじゃん」

「そうじゃないっ!!私はただ…せっかく学年トップでも、出席率が少ないと進路にも影響するし…勿体ないと思っただけ」





ざわ、と風が吹き抜ける。

神永の長い黒髪が夕焼けの赤に染まるのを、俺は静かに眺めていた。






「葵…くん?」





会って間もない女にわざわざ話さなくてもいい言葉が、自然と声に出てしまった。










「俺、進学するつもりねぇから」

「――…え?」

「やりたい事なんてねぇし、金ねぇし。
卒業したら、働くつもり」






意外そうな神永の表情。

進路の事は翔太や先公にさえ、話した事なかった。

やっぱ、そういう反応するんだな。





「この話、内緒な。翔太とかうるせぇから」

「…――」



俺は何事も無かったかのように、ベンチから腰を上げる。

夕暮れだった空には、いつしか月が顔を覗かせていた。






『ところで、王子様』

「あ?」



すると今まで黙っていたノヴァが、俺に声を掛けた。

相変わらず妖艶な笑みを浮かべながら、こっちに近付いてくる。





『クス…素直に返事をするという事は、昨夜の話を信じて貰えたようね?』

「まぁ…な。実際、俺の目にはあんたが見えるし、昨日の話がホントなら色々納得できるからな」





生まれ変わり…ってのは嘘くせぇけど、完全否定する気はない。





「最初は驚いたけど…今は何とも。
神永が人魚で俺が王子でも、問題ねぇだろ?」

『フフ…楽天的ねぇ。前世と変わらないわ』




俺の発言にノヴァは少しだけ驚いたけど、またすぐに面白そうに笑った。













「私は…許せないよ」





震えた声が耳に入る。

ゆっくりとノヴァから神永に視線を移した。





「…たとえ貴方に前世の記憶が無くても、私は許すことが出来ない」






彼女は俯いたまま、口を開く。

顔を上げた神永の瞳は、まるで海のような蒼だった。








「…神永、俺は」

「分かってる。貴方はハンス様じゃない。
こんな話をしても、今の貴方には関係ないって分かってる」








そうだ、俺は童話の世界の王子じゃない。








「だけど…私の中のユリアが、貴方を忘れない!
たとえ死んで肉体が滅びても…生まれ変わった貴方の魂を探してるのよっ!!」









神永の心には、人魚ユリアの意志が残っている。

魔女ノヴァの力によって人間に生まれ変わった彼女は、俺を…王子を探しているのか…?














 それは、復讐の為?


 それとも…――






 

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あきゅろす。
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