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:Dearest:
海に棲む魔女
―――――――――
――――――
―――





――…ガチャ



無言のまま、誰もいない部屋のドアを開ける。

高層マンションの一室。
一人じゃ無駄に広すぎる空間だ。

手探りで明かりのスイッチを付けると、見知った部屋が視界に広がる。



「疲れた…」



ブレザーをその辺に脱ぎ捨ててネクタイを緩めると、俺はリビングのソファーに腰を降ろした。

乱暴に座ったからか、黒光りするソファーのスプリングがギシッと音を立てる。



父親は国立大学の教授。
母親は司法書士。

優秀な両親は他界した後も、俺達兄弟に莫大な財産を遺していってくれた。


俺の学費や生活費、そして大樹の入院治療費。

今の所は何不自由無く暮らしてきたけど、財産は無限じゃない。

大樹が退院した後の教育費も必要だからな。


――やっぱり、このままじゃいけない。




「――…進路、か」



途端、眠気が津波のように押し寄せてきた。



…あー、やっぱり翔太の夜遊びに付き合うんじゃなかった。

明日は大樹の見舞いに行かなきゃいけねぇのに…。




そんな事を思いながら、俺はソファーに身を預けたまま、うとうとと瞼を閉じた。








『――…お……さ…』





――何?





『…お……さま』





――聞こえねぇ…












『おうじ さま』







突然、頭に響いた声。


ハッと目を開くと、そこは見知った部屋じゃなかった。


視界が、蒼に染まる。

細かな泡が浮かび上がる。



――ここは…水の中。



「な…っ!?」


俺、いつの間に風呂に入ったんだ!?

ていうか足が地に付かない!!

なんだこれ!?



「い、息が…」


必死に手足をばたつかせても、身体は浮かび上がらない。


も…ダメだ――…





『…そんなに力まなくても、溺れやしないわよ』

「――っ!?」



先程呼び掛けていたものと同じ、女の声。

…そう言われてみれば、そんなに苦しくない、かも。

水の中なのに、重力が安定している。



――ザバァッ!!


そんな事を考えていると、目の前を何かが過ぎった。

見えたのは、大きな魚の尾鰭。

声の主と思われる女の登場に、俺は目を疑った。



「に、んぎょ…?」

『あら、私を人魚と呼んでくれるの?
さすがに紳士ね、王子様』



そう言って、女は妖艶な笑みを浮かべる。

ウェーブのかかった長い黒髪と立派な尾鰭が、妖しく水に揺れていた。


…これは夢だ。

昼間、翔太に人魚の話なんかしたから。

疲れてんだな…俺。



『でも残念ながら、私は人魚なんて綺麗なものじゃないのよ。
世間では魔女と呼ばれている――ノヴァというわ』

「魔女…?」

『以後お見知りおきを。――王子様』



なんだよ、こいつ?

さっきから俺の事、王子王子って。



「…俺、王子じゃねぇから。人違い」

『あら、今は違うのね。名前を教えてくださる?』




「――…桐崎、葵」



その名前を口にしたのは、俺じゃない。

声のした方に顔を向けると、思わず目を見開いた。

桜吹雪の中で見た、蒼い瞳がこちらを見ている。



「彼の名は、桐崎葵よ」


そこには俺と同じように水の中に佇む、

神永の姿があった。



「なん、で…――」



…何なんだ?

有り得ないこの状況。



「…また勝手な事してくれたわね、ノヴァ」

『どんなコかしらと思っただけよぉ。そんな恐い顔しないでちょうだい?』



神永の瞳が蒼い。

それに昼間と違って、表情が怖えー…。

でも昼間俺達に挨拶しに来た時も、一瞬こんな表情したような…。


そんな事を考えていると、妖しく笑ったノヴァという女は静かに俺の頬に手を伸ばした。

その妖艶な雰囲気に、ぞくりと鳥肌が立つ。



『前世と同じカワイイ顔。
感動の再会…って訳にもいかないわね、ユリア?』

「その名前で呼ばないで…。私は藍那よ」



何の話だかさっぱり分からない。

夢にしては、気味悪いほどにリアルだ。

パニック寸前の俺を見て、ノヴァはクスと小さく笑みを零した。



『あら…このコ状況が分かってないみたい』

「…でしょうね」



これは、本当に、夢か?




「言っとくけど夢じゃないわよ…桐崎葵くん」

「…どういう、事だ?」

「これはノヴァの作り出した幻想の海の中。
貴方は招かれたのよ」



俺は思わず後ずさった。

こいつらはヤバイ。
直感的にそう悟ったからだ。

そんな俺の心境を知ってか、ノヴァは面白そうに笑みを零した。



『フフ…逃げるの?
貴方はそうやっていつも、女を傷付けてばかりね。
前世でも、現世でも』

「ぜ、前世だと…?一体何の話だよ!」



ノヴァは俺の問いに答えようとはしない。

ただ妖しく微笑んでいるだけだ。



「――【人魚姫】」

「…は?」

「あの童話は作り話じゃないわ。
遥か遠い昔…数百年もの昔にあった、事実」



神永は懐かしむように話し出す。

…あの【人魚姫】が、事実?



「王子と結ばれなかった人魚姫は、海の泡となって消えた。
そして空気の精となって天に昇っていった。
…でもこの話には続きがあるの、知ってた?」



何が言いたいのか分からない。

すると今度は、神永に代わってノヴァが続けた。



『空気の精として三百年間、良い行いをし続けた人魚【ユリア】は…死ぬことのない魂を授かったのよ。
そして再び人魚として、現世に甦った』

「…な、に?」

『それが貴方の目の前にいる、藍那よ?』


か、神永が人魚!?

俺…やっぱり夢でも見てるのかな?



「…嘘、だろ?
だって神永はどう見たって人間じゃねぇか」

『最後までお聞きなさい?
人魚となって還ってきたユリアはね、再び私を訪れたのよ。
彼女…何て言ったと思う?』



ノヴァはクスリと笑った。

だがすぐに冷たい瞳をこちらに向ける。



『私をもう一度人間にして、と言ったわ。
人間の王子【ハンス】の生まれ変わりである――葵、貴方を探す為にね』



やっぱり…夢だな。

疲れてるんだ、俺。



「何よその顔…信じてないでしょ?」



今まで唖然としていた俺を見て、神永は奇怪そうな表情を浮かべた。



…信じる?

今の話を?



「俺が【人魚姫】の王子の生まれ変わり?
…そんな嘘くせぇ話、信じろってのか」


――くだらねぇ。

本当に変な夢だ。
翔太に話したら爆笑されそうだ。



『前世の記憶なんて、微塵も残らないのねぇ…。
ユリアの生まれ変わりである藍那も、何も覚えていなかったもの』



意味深な笑みを浮かべるノヴァに、神永は不機嫌そうに言った。



「言ったでしょう?前世もユリアも関係ない。
私は私、神永藍那よ」

『クス…それなら何故王子のいる学校へわざわざ転校したのかしら?』



状況を楽しんでいるようなノヴァの言い方。

俺はますます分からなくなった。


神永は童話【人魚姫】の生まれ変わりで、俺はその王子の生まれ変わり。

…信じる訳じゃないけど、それなら何で俺に近付いたんだ?

そんな事を考え込む俺に、神永は歩み寄った。

鋭い蒼の瞳に睨まれる。



「勘違いしないでよね、桐崎くん?
確かにキミは王子ハンスの生まれ変わりだけど、私は別に運命なんて感じないし、キミを好きになんてならない」

「…トゲのある言い方するな」



すると神永は、長い髪を揺らして俺を睨んだ。




――…海の泡となって消えた人魚姫は、再び人間となって王子様と再会しました。


ただ一つ違う事は、



「…当たり前でしょう。
私はキミに復讐する為に会いに来たんだから」



人魚姫は王子様を、
この上なく憎んでいたのです――…







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