[携帯モード] [URL送信]

:Dearest:
風が唄う








――季節は春。

風に舞う桜の花びらを眺めながら、俺は小さく溜息をついた。



「エグい話だよな…。人魚姫って」

「葵(アオイ)…始業式サボってまで話したい事って、それ?」



隣に座る翔太(ショウタ)は、馬鹿にする様な目付きで俺に煙草を差し出す。

そんな視線を無視して、俺は迷う事なくそれを受け取った。



「あっれー?煙草嫌いな彼女の為に禁煙しなくていーの?」

「…とっくに別れたよ。めんどくせーの嫌いだし」



わざとらしい翔太の言い方に、俺は眉間に皺を寄せた。

ライターで火を付けて、快晴の青空に煙を吐き出す。


一瞬、体育館の方から微かに校長らしきオッサンの声が聞こえた。

今頃、他の生徒は眠気と闘いながら、延々と話を聞いてんだろう。


…考えただけで、だりぃ。



「んで、何でいきなり人魚姫の話なった?」

「…昨日病院行ったら、大樹(ダイキ)が絵本持ってて」

「ぶっ!!また随分と可愛らしい御趣味でっ」

「ちげぇよ、同じ病室の女の子に借りたんだとさ」



大樹は5歳になる俺の弟。
生れつき心臓が悪くて、もう何年もずっと入院生活を送っている。

2年前に両親が事故って死んでから、大樹だけが俺の唯一の家族だ。



「人魚姫か…。確かに子供に読んで聞かせる話にしては、ディープな話だな」

「…どの辺が?」

「なんつーか、女のドロドロした愛憎劇ってゆーの?
王子が他の女と結婚するってなったら殺そうとするしー」



女は怖えーな、と念を押される。

…確かに。
女運のない翔太に言われると、妙にリアルだ。


煙草の灰を地面に落としながら、俺は溜息混じりに言った。



「俺、当分は誰とも付き合わねぇ事にした。
金掛かるし、めんどくせーからな」

「…今度はどんな別れ方したんだ?」

「いつもと同じ」



そう、…いつも決まって同じパターンだ。


『葵はいつも弟に付きっきりで、遊んでくれない』

『私の事、好きじゃないの?』


電話もメールもマメにしなきゃいけない。

ただでさえ金ねぇのに、飯食いに行っただけで奢らなきゃいけない。

ハッキリ言って、時間と金の無駄だ。





――…キーンコーン



「お?式終わったな」

「だりーけど、戻るか」


チャイムが鳴り終わると同時に、俺は腰を上げて制服のズボンを軽く叩いた。

煙草の火を消して、教室へと歩き出す翔太に続こうとした、

その時。




――…ザワッ



ふわり、と。

風に靡く長い黒髪が目に入った。

俺達以外にも、ここでサボってた奴がいるのかと思って、視線をそちらに向ける。



「――…」


そこにいた一人の女に、俺は目を見開いた。

うちの制服を着てるからにはここの生徒なんだろうけど…。

見た事がないくらい、本当に綺麗な髪だったから。



女は俺に背を向けたまま、ただ満開の桜をじっと見上げている。

時折吹く風が、長い黒髪を揺らした。


そして俺の視線に気付いたのか、ゆっくりとこちらを振り返った。



「あ…」



思わず、声が出た。

振り向いた女の瞳は、色鮮やかな蒼。

その瞳を見ていると、何故か胸が締め付けられたように痛くなった。


見詰め合ったまま、お互い何も言葉を発さない。

煩わしくなって、何か言おうと口を開きかけた。



「葵ー?何してんだ置いてくぞーっ!!」



発しようとした言葉は、翔太の呼び掛けによって飲み込まれる。



「…今行く」



我に返った俺は女に背を向けて、校舎の方へ歩き出した。


何やってんだ、俺。

女に関わるのはもう止めよう、と誓ったばかりだ。

ましてや知らない奴なのに…。



――そういえば、見た事のない生徒だったな。

つーか普通、始業式サボって一人で花見なんかするか?



そんな事を思いながら、俺は翔太と共に教室へ向かった。








「――あおい」



一人校庭に残った少女は、小さく呟いた。

漆黒の長い髪を風に靡かせながら、去り行く葵の後ろ姿を見つめる。

その海の様な蒼い瞳は、氷のように冷たかった。

少女の薄桃色の唇が、微かに動く。



「あれが、私の――…」



――…ザアァァッ



その言葉の先は、風に消された。


花びらが舞う。

満開の桜が咲き誇る。



――季節は春。

彼らの出会いを、祝福するすべき時。






―――――――――
――――――




「桐崎、高尾。新学期早々サボりとはいい身分だな」



始業式が終わり、生徒達がだらだらと廊下を歩く中。

それに紛れて教室に入ろうとしたら、聞き覚えのあるイヤな声に呼び止められた。


思った通り。
生活指導の秋山だ。



「まったくお前ら…もう三年生なんだぞ。
いい加減子供染みた真似はよせ」

「ちょっと秋山センセ。言い掛かりはやめてよ。俺ら何もしてないじゃん!!」



翔太がムッとして反論すると、秋山の眉間に皺が刻まれる。



「何もしてないのが悪いんだよ…特に桐崎。
お前、三学期の終わりに提出した進路相談の紙、白紙だったそうじゃないか」

「…だから?あんたに関係ないだろ」

「大いに関係ある」



そう言った秋山の手には、出席簿が握られている。

その黒い表紙には、俺達のクラスである『3-2』と書かれていた。



「三年度のお前らの担任は俺だ。…覚悟しろよ?」


「「げっ」」



翔太と顔を見合わせて不快な表情を浮かべる。

この秋山って先公は、一年の頃から何かと俺達に付いて回っている。

二年の時に警察沙汰なったケンカにも、なぜか秋山が俺達を引き取りに来た。


…めんどくせぇ奴。



「そういう訳だから、今年こそは好き勝手な言動は慎めよ。さ、教室に入れ」



俺は無言で秋山の横を通り過ぎ、教室の扉を開ける。
去り際に、翔太は小さく舌を出した。




俺達二人は、この学校で先公達の目の敵にされていた。

ここは都内でも優秀な公立校で、馬鹿みたいに勉強してる奴らが通っている。

そんな中で好き勝手に振舞う俺達は、当たり前ように浮ついていた。


一年の頃はよく暴力事件を起こしては補導され、その度に停学処分をくらう。

まぁ今はだいぶ大人しくしてるけど。

それでも俺達が退学にならない、その理由は――…



「そういや新学期の学力テスト、まーた葵クンが学年トップだったみたいだねぇ」

「問題がワンパターンすぎるんだよ、この学校は」



俺は勉強、翔太はスポーツ。

その辺の生徒より俺らは優秀な成績を修めていた。
それを引け目に感じて、先公達は思い切った処分を下せずにいる。



「受験生、かぁ…。イヤーな響きだねぇ」



椅子にだらしなく腰掛けた翔太は、しみじみと嘆く。



「なぁ、葵はまだ進路決めてないのか?」

「まぁ…別にやりたい事ねぇから。
翔太は決まってんのか?」

「俺?俺はスポーツ推薦狙ってるよ。
体育大学行ってー、陸上競技のインストラクターになるんだ」

「お前、足速ぇしな」



内心、驚いた。

今まで散々一緒にバカやってきた翔太が、ちゃんと自分の中で目標を持っていたんだ。



「ま、葵ぐらい優秀なら進学しようと思えばどこだって入れると思うけどっ」



そう言って笑う翔太を前に、俺は目を細めた。




やりたい事?

そんなものない。

しなければならない事なら、沢山あるけど。




――先の事くらい、ちゃんと考えてるさ。







[前へ][次へ]
[戻る]


あきゅろす。
[小説ナビ|小説大賞]
無料HPエムペ!