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┣╋CENTURIA╋┫
遠く、別れた心









――人を好きになる事が、


こんなにも呆気ない事だなんて知らなかった。




















「お早うございます。
皆様、朝早くからお集まり頂き有難うございます」



教会の鐘が定刻を告げる時間に、毎朝行われている朝礼。

参拝客の大半は、街の救世主である『祝福の乙女』を一目見に来る。

それは乙女自身も喜ばしい事だと感じていた。






だが、何故だろう。

今までにこのような威圧感を感じた事があっただろうか。




「……………」



礼拝堂内に設置された最前列の長椅子。

通常ならば所狭しと参拝客が詰めて腰を下ろす筈のスペースだ。




けれど、一週間前からだろうか。

この最前列は、たった一人の少年の定位置と化してしまった。





「(あの子…また来てる)」




一週間前の早朝、『乙女』は専属シスターである雪菜と共に礼拝堂の掃除をしようとした。

そこで、血だらけで倒れていた少年・伊織を見つけた。


当然、乙女は祝福の力を用い、彼の傷を癒した。

だが目を覚ました彼は礼を言う事なく、あまつさえ乙女に迫ろうとしたのだ。


その日は後に朝礼が迫っていた為、雪菜が箒で彼を追い出すという酷な結果に終わったのだが。

それ以来、伊織は何故か毎日教会の朝礼に参加するようになったのだ。





――だが、彼はお祈りをする様子を全く見せない。

ただひたすら、『祝福の乙女』を見つめているだけだった。



教会に訪れる参拝客の視線とは違う。

睨みつけるような、鋭い視線。









「では、今日の朝礼は以上です。
このまま礼拝をされる方は、お並び下さい――」



司祭の言葉と同時に、参拝客はそれぞれの行動に移っていく。

乙女もいつも通り一礼をしてから、教会の奥の扉へ入った。



扉の中へ消えていく彼女の後姿を見つめながら、伊織は重い腰を上げた。









―――――――






礼拝堂の奥にある『乙女』専用の書斎で、彼女は一人、本の整理をしていた。




「今日中になんとか掃除しなくちゃ…」



埃だらけのカバーをはたきながら、乙女は周囲を見回した。

大きな本棚達に納められた大量の本。

その一つ一つが、それぞれ違うエピソードを持ち、物語を語っている。


それらに囲まれていると、自分は何てちっぽけな存在なのだろうとさえ感じてしまう。



ふう、と溜息をついた、その時。





――ガチャッ




突然、扉の開かれた音がした。

だが『乙女』は気付く様子もなく、変わらず本棚を見つめていた。



迫り来る足音は、彼女の背後で立ち止まった。

そして――。









「すげェ本の数だな」

「え…!?」



突然耳元で響いた低い声に我に返ったが、既に彼女の身体には逞しい腕が巻きついていた。




「だ、誰っ!?」


なんとか顔だけ振り返ると、そこには綺麗に整った少年の顔。

鋭い眼差しが印象的だった、朝礼の常連者。




「貴方…、伊織…くん?」

「覚えてたのか」



名前を呼ばれた伊織は、嬉しそうに小さく笑う。

だが乙女はそんな事より、後ろから抱き締められたこの状況の方が気掛かりだった。



「離して下さい」

「嫌、って言ったら?」

「ここは教会関係者以外立ち入り禁止ですよ?
離して下さらないなら、大声を出します」



うろたえる事なく、伊織を睨み付ける乙女。

その力強い瞳を見れば、今まで彼が相手にしてきた女性とは違うと一目で分かった。


伊織はゆっくりと腕の力を緩め、体を離した。



「…いい度胸じゃねェか」

「それはどうも」



乱れた髪を整えながら、乙女は平然としていた。



「貴方、どうやって入ってきたの?」

「んー…?俺、抜け道とか詳しいから」



彼女の問いに真面目に答える事なく、伊織は散乱した本棚の中から一冊の薄めの本を取り出した。

おもむろにパラパラとページを捲り、顔を引き攣らせる。



「げ、文字ばっか」

「本なんだから、当たり前でしょう」



年相応の少年のような伊織の反応に、乙女はクスッと笑みを零した。



「…やっと笑ったな」

「え?」

「お前の笑顔が見たくて、来た」



そう言って、伊織は真剣な表情で乙女を見つめた。

大抵の女性は、この言葉で頬を赤らめ、伊織の手に堕ちていく。

けれど、やはり彼女は違った。



「そう…。ならもう気が済んだでしょう?
誰かに見つかる前に、帰りなさい。
今日は私も忙しいの」



不意に乙女は笑顔を無くし、落ち着いた声でそう言った。

背を向け、何事も無かったかのように本の整理を開始する彼女の姿に、伊織の整った眉が不快そうにピクリと動く。



(…これで大抵の女は落ちたんだけどな)

「ねぇ、貴方」



突然乙女に話し掛けられ、伊織は驚いたように顔を上げた。

気付けば彼女はこちらに顔を向けている。



「初めて会った日から、毎日朝礼に参加してるわよね?」

「気付いてたか?」



気付かない方がおかしいわよ、と彼女は溜息をついた。



「変な質問だと思うけど…、どうしていつも来るの?」

「………」

「熱心なお客様も多いけれど、貴方みたいにいつも同じ席にいる人は初めて見たわ。
そんなに熱心に、神を信じてるの?」



――そんな訳ねェだろ。


この俺が、神を?


俺はこの一週間、お前しか見てなかったのに。


お前に会う為に、お前に触れる為に――…






少年の心の中で、沢山の醜い言葉が渦巻く。

本当なら今すぐ、力ずくでもこの汚い暴言を彼女にぶつけたかった。


だが伊織はぐっと拳を握って、残る僅かな理性を働かせる。




「そうだよ」

「…え?」



沈黙し続けていた俺が漸く放った言葉に、乙女は首を傾げた。



「初めて会った時…俺、血だらけだっただろ?
ああいうの、よくあるんだ。
ホントは俺だって暴力は嫌いだから避けてたけど、いつも抵抗できなくてさ」



前半は本当。

後半からが、嘘だ。



「でも神に祈ってさえいれば、いつか俺も救われるんじゃないかって…。
お前に会ってから、気付いたんだ」



伊織は迫真の演技を披露した。


分厚い化粧をし、華やかな衣装を着て、眩しいステージに立つ。

彼が演じた“不幸の少年”は見事、乙女の鋼鉄の心を溶かしていった。




「…大丈夫よ。神を信じていれば、貴方はきっと幸せになれるわ」



彼女は、ふわりと優しい笑顔を零す。

その表情に、今度は伊織が心を動かされた。






「…憂」



数少ない者のみが知る、乙女の名前。

小さく呟くと、彼女はびくりと身体を強張らせた。




「憂」



今度はハッキリと名を呼ぶ。

すると伊織は、乙女の小さな身体をしっかりと抱き締めた。



「俺…やっぱり」

「…伊織くん?」

「憂の笑った顔が、見たい」



それは口説き文句などではない。

彼が心から思う、本心だった。









―――――――






それから伊織は、毎日欠かさず乙女の元へ通った。

朝礼が終わるとすぐに教会の奥へ侵入し、書斎へと足を運ぶ。


専属シスターである雪菜に見つかり、怒鳴られることも多々あった。


それでも伊織は教会へ来た。

初めは困った表情を見せていた彼女も、それが何日か続けば当たり前のように接してくれていた。



「伊織くん、部屋に入る時はノックをするのが常識よ」



いつも突然やって来る伊織に対し、ある日乙女は言った。

翌日から、彼はたった一回だけの奇妙なノックをするようになった。

それでも大した進歩だと、彼女は笑った。




「憂、なんでいつもそんな暑苦しそうな服着てンだ?」

「教会の衣装だからよ。
それに私、結構寒がりなの」

「俺が暖めてやろうか」

「結構よ」



伊織は度々、乙女を抱き寄せることがあった。

初めは抵抗していた彼女だが、次第にその行為を受け入れるようになった。


それは伊織が“人の温もりを知らぬ不憫な少年”を演じていたせいだと、彼自身も気付いていた。

その証拠に、彼女は一度も伊織を抱き締め返したことはなかった。



――同情でも構わない。

彼女がこうして自分の傍にいるのは事実なのだからと、伊織は乙女との不思議な関係に溺れていった。















少年は、初めて“恋”を知った。

















――初めて会った時から、ずっと憂だけを見ていた。



この三ヶ月間、憂を見つめる事を欠かさなかった。

体調が悪い日があっても、這うように教会に来た。

憂の顔を見れば、嫌なこと、全部忘れられたんだ。





チームの奴らに刺されて教会で死にそうになった時、俺は一度だけ、神に祈ったことがある。



『俺にも生きる意味ってやつ、くれよ――…』


憂は、神が俺に与えた生きる意味なのかもしれない。

思ってすぐに、俺はその考えを振り払った。




そんな筈が、なかった。

だって憂は、神に愛された『祝福の乙女』。

憂の心はいつも、俺じゃなく神に向けられていた。





憂は、神を愛していた。

目の前の俺じゃなく、目に見えない神を。


教会にある神の像を見る度に、無性に腹が立った。

俺から憂を手放すことが出来ないのを知ってて、神に嘲笑われているように感じたからだ。



『マタ、来タノカ?
…無駄ナコトヲ。
“乙女”ハ私ノモノダトイウノニ…』


その幻聴が残酷すぎて、俺はいつだって歯を喰いしばって我慢した。










でも、もうそれも終わり。

辛かった我慢も、楽しかった時間も、全部終わり。





――出会ってから三ヶ月。

憂が、やっと俺を拒んだ。






『初めて会った時からずっと…憂の事しか考えてねェのに!!』


『嫌だよ…伊織くん。
そんな話、聞きたくないよ…』



泣きながら耳を塞いで、憂は震えていた。

いつも気丈で大人びた彼女が、まるで少女のように脅えていた。






俺は嫌でも確信した。

もう、憂には会えない。

会いに行っちゃ…いけないんだ。






















 運命とは、時に
 皮肉なものですね…。



 この伊織の場合、
 生まれてからの17年間


 一度も人を
 愛したことが
 なかったのでしょう。




 もし初めて愛した人が
 『乙女』ではなく
 『憂』だったら…




 違う結末が、
 待っていたのかも
 しれませんがねぇ。






 ――ああ、
 これは失礼。


 年寄りの戯言だと
 聞き流して下さって
 構いませんよ。






 …それにしても、

 貴方は本当にこの本を
 熱心に読んで
 いらっしゃいますな。




 いやいや、
 邪魔などでは
 ありませんよ。




 ただ…
 この本をここまで
 熟読して下さる人は
 初めてなので。



 本もきっと、
 貴方に見初められて
 喜んでおりますよ。






 どうぞ、
 お気の済むまで
 ごゆるりと――









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