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┣╋CENTURIA╋┫
乙女に与えられた名前









――真っ暗な世界。

暗闇が広がる世界で、私は一人佇む。





――光が欲しい。

凍てつく身体が、太陽みたいな温かい光を求めてる。










『――…うれい』









その名前を知ってるのは、限られた人だけ。

名前なんか、何の意味を持たない。



人々が求めてるのは『祝福の乙女』という存在。



それは必ずしも私である必要はない。

そう、私じゃなくても良かった。







――…ただ、




ただ偶然、私が選ばれてしまっただけなんだ。



















「…泣いてんのか、憂」













聞こえてきた低い声に、憂はうっすらと瞳を開けた。

そして段々と、身体中が痺れたように感覚を無くしている事に気付く。



視界には見慣れた自室の天井が広がり、白いカーテンが心地良さそうに風に揺れている。

憂は暫くの間、ぼうっとその光景を見つめていた。




すると、不意に目元から流れた雫を温かい指に掠め取られる。





「何泣いてんだよ」


ぶっきらぼうなその声に、少し視線をずらした。



「い、おり…くん」


憂が横たわる寝台の枕元に両肘を付き、心配そうに表情を歪める少年の顔があった。



「…怖い夢、見ちゃった…」

「どんな」


聖水の副作用で、憂は思うように身体を動かす事ができなかった。

か細く小さな声を聞き逃さぬよう、伊織は耳を澄ませる。

そして彼女の声量に合わせて、囁くように返した。



「…伊織くん、怒らない…?」

「もしかして、俺の夢?」

「…ううん」



力なく首を横に振ると、憂は記憶を辿る為に瞳を閉じた。





「…伊織くんにそっくりな狼に、懐かれる夢」

「………」

「すっごく大きくてツンツンした狼でね、無遠慮に近付いて顔中舐めてくるの…」

「…俺じゃねェよ」

「そう?とっても似てた」


彼女の淡い桃色の唇が、うっすらと弧を描く。



「それで、泣いたのかよ」

「…違うよ」


伊織はもう一度、指先でそっと残った雫を拭う。

しばしの沈黙。

静かな室内で、カチカチと時計の刻む音が煩く感じた。






「…ごめんね」


小さく、憂が呟いた。



「それ…何に対して?」


伊織は予想もしてなかった、意外な返答をした。

憂は僅かに動揺を見せる。



「色々…迷惑掛けちゃった事、だよ?」

「色々って何だよ」

「…だから、その…」

「言えよ」


刺々しい言い方。

憂はそこでようやく、伊織が不機嫌だという事に気付いた。



「伊織く…?」

「憂が俺に悪いと思った事、全部言え」

「ぜ、全部?」



有無を言わさぬ物言いに、憂は困惑しながらも思い付く事を挙げていった。






「せっかく来てくれたのに朝礼中止にしちゃって…」

「いつも話はほとんど聞いてねェから、いい。次」



「あ、えっと、医務室まで運んでくれて…」

「んなヤワじゃねェし、軽かったからいい。次」



「んと…私の部屋に招くの初めてなのに、お茶も用意してないし…」

「ビールのが好きだから、いい」

「良くない、未成年」

「…次」



伊織が何を考えているのか、全く分からなかった。

何を言っても「いい、次」と返される。

次第に謝る事が底を付いてしまい、遂に憂は押し黙ってしまった。

再び、沈黙が流れる。




痺れを切らした伊織は、憂の耳元で小さな溜息をついた。







「…なんで言わねェんだよ」

「何を…」

「病気の事」



そう言った伊織の顔は、とても哀しそうだった。

憂は、締め付けられるような胸の傷みを覚える。




「『病気のこと黙っててごめん』って、なんで言わねェんだよ」

「…それ、は」

「言えねェよな。悪いと思ってないもんな?」



――酷く、冷たい声。






伊織が不機嫌になるのは、今に始まった事じゃない。

彼はまだ、17歳の少年。

気に入らない事も多く、彼女の前でふて腐れる事も度々ある。




けれど今は何かが違った。





「お前さ、俺の事分かってねェよ」

「伊織くん…」

「この俺が、神を信じてるように見えんのか?
もしそう思ってんなら、それは間違い」



自嘲するように笑いながら、伊織は続ける。






「俺が――…低血圧で朝苦手なこの俺が、わざわざ目覚まし13個も用意して早起きしてまで、大ッ嫌いな教会に飽きもせず毎日来て、興味もないじーさんの話を大人しく聞いていたのは何でだと思う?」




まくし立てるような言葉に、憂は言葉を失っていた。





「…どうして俺が毎日欠かさず教会に来るのか、一瞬でも疑問に思わなかったのか?」



憂はそこで漸く力を振り絞って、僅かに首を横に振って見せた。




「…そ、そんな事ないわ。ちょうど今朝、少しだけ考えたもの」




その言葉に、伊織は瞳を伏せて力無く肩を落とした。





「……“少しだけ”?」




――分からない、

  分からない、
  分からない。



伊織くんの考えが――…全然分からない。





伊織が瞳を伏せる度、長い睫毛が影を落とす。


乱暴で不器用で、まだまだ幼いと思っていた少年。

けれどこうして近くで見つめていると、まるで別人のように大人の表情を見せる。





――不思議な、少年。

どうして、私に近付くの?






「…俺は、いつだって」

「え…?」

「いつだって、考えてんのに」



伊織は、悔しそうに唇を噛み締め、小さく声を漏らす。





「憂に、初めて会った時からずっと…」




窓から入ってくる心地よい風が、一瞬強さを増した。

そして――…








「憂の事しか考えてねェのに!!」





伊織の心に埋まっていた、沢山の重い鉛。

締め付けて離さなかった、長い鎖。






「憂に会いてェから……毎日、少しでも長く一緒に居てェから!!
朝が辛くても早起きして、聞きたくねェ話も我慢して……そういうの全部、憂に会いてェから!!」






それらを全てぶつけるように、

吐き出すように。

引き千切るように。





「でもお前は…俺のこと何も知ろうとしねぇ!!
肝心なこと何も話そうともしねぇ!!
その上、他の男に身体見せやがって!!」




醜い感情を向き出しにして、





「俺が全く傷付かないとでも思ったか!?
憂にとって俺はその程度の人間なのか!?
俺のこと…ただのガキとしか思ってねェのかよ!!」





その全てを憂にぶつけ、怒鳴り散らした。



肩を大きく上下させながら、呼吸を整える伊織。

その瞳にが、うっすらと涙が滲んでいるように見えた。





こんな形で、言いたくなどなかった。

憂を責める気なんて、なかった。

彼女に否が無いことくらい、分かっていた筈なのに――…







「…いや、だよ…」



黙っていた憂が、ようやく口を開く。

出てきたのは、拒絶の言葉。




「嫌だよ…伊織くん。
そんな話、聞きたくないよ…」

「…憂」

「駄目だよ…っ」




動かない体に力を入れ、両耳を塞ぐ。

瞳を力強く瞑り、彼を拒んだ。



その弱々しい姿に、伊織は愕然とする。




「そう、だよな…」



分かっていた。

自分が受け入れられない事くらい。


全部、分かっていたのに。






「憂は…『祝福の乙女』だもんな」



教会に仕えるシスターは“男”と交わる事を禁じられている。


『乙女』ならば、尚更。

恋情など持たない。





「っ…伊織く…」

「怒鳴って悪かった。…早く、治せよ」




伊織はそう言い残して、静かに部屋を出て行った。







――…パタン




扉が閉まる音が、とても重々しく感じられる。


独りになった途端に、まるで心臓を抉り取られるような激しい傷みに襲われた。






「違う…」



ゆっくりと上体を起こし、自分にしか聞こえない声で呟く。






『憂にとって俺はその程度の人間なのか!?
俺のこと…ただのガキとしか思ってねェのかよ!!』





「違うよ…伊織くん…っ」





――それは、違う。


貴方は私にとって、大切な人だよ。

雪菜や棗先生のように、心を開ける人だよ。






ねぇ、知ってた?

私の事『憂』って呼んでくれる人…

この世界で、伊織くんだけなんだよ。




伊織くんしか…いなくなっちゃったんだよ。













――バタンッ!!



「憂様!!何かあったんですか!?
今、がきんちょが部屋から出てくの見えて――…」



慌てて入って来た雪菜は、寝台でうずくまる憂を見て、言葉を失った。






「泣いてるんですか…?」

「……っ……ふ…」



痛々しい姿。
口元を押さえ、涙を流す彼女は、まるで普通の少女のようだった。


雪菜はそっと、震える憂の肩を抱く。







「大丈夫です…憂様。
雪菜が傍におります」




ポンポンと優しく背中を撫でられる。




意識が霞んでいく中。

憂は段々と、忘れていた記憶を思い返していた。
















――そう、あれはほんの三ヶ月前。


少年、奏芽伊織と初めて出会った時。







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