┣╋CENTURIA╋┫ 煙は目に見えぬもの ――――――――― ―――――― ――― 潮風香る小さな港町。 漁業が盛んで、毎朝市場では新鮮な魚が出回っている。 町は小さいながらも賑わいに溢れ、他国からの輸入品を売りに商人達が店を出すことも少なくない。 そんな人通りの多い真昼の商店街を、一人の少年が走り回っていた。 「はぁっ、はぁっ…」 息を切らしながら周囲を見回し、必死に何かを探し回る少年。 髪は染料で赤茶に染められ、成長期の小柄な体格にあまり見合わないような、素行の悪さが滲み出ている派手な衣服を纏っている。 少年が走る度に、彼の腰に腰に取り付けられたチェーンは規則正しいリズムを刻み、音を立てて揺れた。 「あぁーーーーっ!!!!」 ふと前方に、人込みに紛れた目当ての人物の背中を見つけた。 少年とは違い、落ち着いた茶髪の髪、大きな体格に合った派手な衣服。 少年は即座に駆け寄った。 さながら、子猪のように。 「伊織さぁーーーんっ!!!伊織さん伊織さん伊織さんっ!!!!」 「…あ?」 鬱陶しいくらいの声量で名を呼ばれた伊織は、不機嫌そうに振り返る。 少年は伊織の前までやって来ると、膝に手をついて呼吸を整えた。 「なんだ、零(ゼロ)か」 「なんだ、じゃないッスよ!!俺すっげぇ探したんスから!!!! 今日は集会やるからって言われたじゃないスか!! ホント何処行ってたんスかっ!?」 「関係ねェだろ」 捲くし立てるような零という少年の言葉に、まるで興味がない伊織。 「次期リーダーがそんなんでいいんスか!? 剣(ツルギ)さんもすげぇ怒ってましたよ!!」 「カルシウムが足んねェんだよ、あいつは」 「〜〜〜〜〜〜〜っ」 ああ言えばこう言う、といった状況。 言葉を失った零は溜息をつき、一旦落ち着きを取り戻した。 そして恐る恐る口を開く。 「伊織さん…、あの噂、ホントなんスか?」 「噂ァ?んだそれ」 「だから…その、伊織さんが……」 「ハッキリ言えよ、零」 語尾を濁らす零に苛立ち、伊織はその端整な顔で睨み付けた。 「いい、伊織さんが『祝福の乙女』に骨抜きにされてるって……噂ッス……」 「………」 「チームの何人かが、伊織さんが毎朝教会の朝礼に参加してるって……。 で、でも!!そんなんガセッスよねぇ!? まっさか『奏芽伊織』が……ねぇ?」 不穏な空気が漂い始め、零は慌てて訂正する。 沈黙が逆に怖い。 まるで蛇に睨まれた蛙、いやライオンに睨まれた兎の如く、下手な言動が出来なかった。 「教会に行ってんのは、マジ」 「へ…?」 「ついでに『乙女』に骨抜きってのも、な」 平然として放たれたその言葉に、零は耳を疑った。 『奏芽伊織』 若干17歳にしてこの地域のチームの幹部になり、次期リーダーにも推薦されている男。 頭も切れてこの上なくケンカが強く、カリスマ性もあり、若い連中からも支持されている。 零にとってはまさに、完璧なまでの人間だ。 そんな彼が、 あの『奏芽伊織』が、 聖職者の鑑である『祝福の乙女』に――… 骨 抜 き? 「ってゆーか!!伊織さん何でそんなモン持ってるんスか!!?」 「コレか?『乙女』に借りた」 そう言って見せられたのは、黒い革表紙の分厚い本。 あの『奏芽伊織』が、読書に目覚めた。 これには零も黙ってはいられない。 「伊織さん!!そんなモン返して下さいよ!!」 「まだ読んでねェのに返すかよ」 「読むんスか!!?」 「…読む以外、本の使用方法あンのか?」 今までにないくらい慌てふためく零に、伊織は不審な視線を向けた。 「零、お前今日変だ。病院行った方がいいぜ」 「それまさしくこっちのセリフッスよ!!!! ホント伊織さん頭でも打ったんスか!!? シスターなんかに言い寄らなくたって、伊織さんなら立ってるだけで女が寄ってくるでしょー!!?」 癇癪を起こし、全身で動揺と困惑を露にする零。 だが伊織は怒ることもなく、笑うこともなく。 ただじっと零の言葉に耳を傾けていた。 大声を出したせいで乱れた呼吸を正す零は、ようやく彼の真剣な表情に気付いた。 「伊織さん…」 「まだ言いてェ事あんのか」 「…マジ、なんスか?」 「マジだ」 その迷いなき瞳に、ゾクリと背筋が凍る。 喧嘩の時と同じ。 本気で相手を捕らえようとする、獣の瞳。 「…分かりましたよ」 先程より声量を抑え、零は呟いた。 「俺クチ堅いッスから。 剣さんにも言いませんし」 「別に秘密にしなくてもいい」 「…よくないッスよ」 もしこの事がバレて次期リーダーの座が剥奪されてしまえば、伊織はチームに居られなくなる。 その事を配慮している零は、やはり何処までも伊織のファンだった。 だが肝心な伊織本人は、自分の事にはとことん疎い為、極度の天然と言えるだろう。 すると零は、気まずそうに顔を上げた。 「あのっ…、もう一言だけ言わせて下さい」 「何だよ」 「これも噂なんで嘘かホントかも分かんないんスけど……、そういう事情ならやっぱ知っておいた方がいいってゆーか……」 「早く言え。じれってェな」 段々と苛々し始めた伊織は、再び不機嫌そうに零を睨み付ける。 零は恐る恐る口を開いた。 「『乙女』には…“男”がいるんスよ」 「……んだとォ?」 明らかに機嫌の悪そうな声。 だがもしこれで伊織が『乙女』を諦めてくれさえすれば…。 それだけを願い、零は目を合わせないように俯きながら続けた。 「き、教会に来た参拝客が目撃したそうです!! 『乙女』と“男”が……その、如何わしい事をしてるって……」 返事が、ない。 きっと零はこれまでに、こんなに心臓が壊れそうな思いをした事はなかっただろう。 そっと、片目を開けて伊織の顔を窺う。 「い、おりさ…?」 「へェ…、おもしれェ噂だな、そりゃ」 ふつふつと、伊織の背後に負のオーラが見える。 口元に笑みを刻みながらも、眉間にはたっぷりの皺が寄せられていた。 怒っている。 とてつもなく、怒っている。 静かに、静かに、 すごく、すごく、 怒ってるーーーーーーー!!!!!!!!!!! 「あ、ああああのでも!!あくまで“噂”……」 「火の無い所にナントカ…って言うだろ?」 顔面蒼白で必死にフォローした言葉も、絶対零度の冷たい声音には勝てない。 その場にへたり込む零には目もくれず、伊織は彼に背を向けて歩き出した。 「あ、そうだ」 思い出したように声を上げ、伊織は後ろを振り向いた。 「知ってるか、零。 『祝福の乙女』にも、名前があるんだぜ」 「へ…?」 その名前を教える事なく、伊織は雑踏の中に消えていった。 その脇に抱えた本を強く握り締め、自分にだけ聞こえるように呟く。 「お前はまだ“男”なんて知らなくていい。 ――…そうだろ、憂」 少年の中に渦巻く 大きく醜い激情。 狂いそうなその炎は 決して消える事なく 燃え盛る――… [*前へ][次へ#] [戻る] |