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┣╋CENTURIA╋┫
曖昧な日常と交わす約束









この日は、とても良い天気だった。

暖かい日だまりが室内に入り込み、危うく居眠りをしそうになってしまう。

そんな睡魔の誘惑に負けないように、憂は必死に机に向かってペンを動かした。




「これで…おしまいっ」



最後の書類にサインをし、ようやく仕事に一段落がつく。

ペンを戻し、大きく背伸びをすると、ちょうどそこへ雪菜が入室してきた。




「失礼しまーすっ!
憂様、終わりましたかぁ?今お茶入れますね♪」

「まだいいわ、これから先生の所に行くから」

「あ、そういえばナツが早めに来て下さいって言ってましたよぅ」



一瞬、書類を片付けていた憂の手が止まる。

だが次の瞬間には何事もなかったかのように席を立ち、窓際の棚を指差す。

その先には、綺麗にラッピングされた可愛らしいブーケが置かれていた。



「あれ、参拝に来たお客様から戴いたの。
医務室に行ってる間に、花瓶に生けておいてくれないかしら?」

「はぁーいっ!!お安い御用でっす♪♪」

「じゃあ、後お願いね」



雪菜が花束に飛び付く姿を見届けてから、憂は静かに部屋を出ていった。














―――――――






「遅くなってすみません、棗先生」

「いいえ、お忙しいのは承知してますから」



医務室へ入ると、棗は笑顔で憂を出迎えた。

彼は落ち着きがあって、物腰も柔らかく、大人の知性を兼ね備えている。

とても雪菜の双子の兄とは思えない青年だ。




毎日簡単な診察をし、彼女の体調をカルテに記す事が棗の仕事。

ふと、思い出したように棗が口を開いた。




「ああ、そういえばセツから聞きましたよ。
今日も奏芽伊織が来たのですか?」

「ええ。少し話しただけですけど、もしかしたらまだ教会にいるのかも」

「では、身体に変化は?」



今まで笑顔で返していた憂だが、その質問には答えられなかった。

瞳を見開いたまま俯く彼女の姿を、棗は冷静に見つめる。




しばしの沈黙。

小さく溜息をつき、棗は仕方なく彼女に向かい合った。




「少しでも変化があるなら教えて下さい、と言いましたよね?」

「…すみません」

「まぁ憂様の場合…聞くより見る方が早そうです」




そう言って立ち上がり、憂を奥の診察台の方へ促す。

彼女は抵抗もせずに、黙って従うだけだった。


白いカーテンを閉め、狭い空間で二人きりになる。

診察台に腰掛け、膝の上に置かれた憂の手は僅かに震えていた。





「ご自分で、脱げますね」

「――…はい」



意を決したように返事をし、彼女は自ら服のボタンに手を掛けた。







――――――






――バタバタバタッ


ガチャッ!バタンッ!!



医務室を出た憂は全速力で廊下を駆け抜け、図書室に逃げ込んだ。

後ろ手で扉の鍵を閉め、肩を上下に揺らして呼吸を整える。




「…憂?」



名を呼ばれ、ハッと顔を上げた。

この部屋に自分以外の誰かがいるとは思わず、驚いた表情で相手を見つめる。




「え…あ…、伊織くん、まだいたんだ…」

「栞挟めっつったのお前だろ。…つーかそんなに急いで、どした?」

「別に…ただ早く本が読みたかっただけよ」



そう言って、憂はいつもの笑顔を見せる。

伊織は彼女が何かをごまかしていると察したが、敢えて聞こうとはしなかった。




「どう?私が読みたかった続き、分かった?」

「てゆーか俺、………字読めねェし」

「え!そうなの!?」

「学校…とか行かなかったし、読み書きできなくても特に不便じゃねェから」



そう言いながらも伊織は床に座り込み、先程渡した分厚い本のページをめくっていた。

文字が読めないのにこんな所で待つなど、退屈ではなかったのか。

そう思いながら憂は彼の隣に腰掛け、開かれたページを覗き込む。




「それは“創造”の意味。逆にこっちが“破壊”
“世界”と“選定”……それからこっちは――」

「おい、何だよいきなり」

「私が教えてあげようと思って」



すると伊織は瞳を見開いて、驚いたように憂を見つめた。

彼女は腰に手を当て、仕方がないという素振りを見せる。



「伊織くん、読み書きできなきゃ外国に行った時に不便よ?」

「…別に行かねェし」

「そんなの分からないでしょ?男の子は将来色んな所に行きたくなるんだから」



彼女の言葉には妙に説得力があり、伊織はしばし考え込んだ。

だが、このまま丸め込まれるのは面白くない。

伊織は手にしていた本を床に置き、そっと憂の手を引いて抱き寄せた。




「…伊織くん?」



抵抗する気のない彼女の背中に腕を回し、耳元で囁く。




「…じゃあさ、その時は憂も一緒」

「え?」

「憂に字ィ教わる代わりに俺が二人分の旅費稼ぐから、一緒に外国行こうな」



憂は答えなかったが、伊織は「約束」と一方的に小指を絡めた。

何故だろうか。
憂は肯定も否定もしない。

彼女はいつだって、自分から伊織に近付く事はない。

けれどこうした伊織の強引な行動を拒む事もなかった。




伊織は初めて会った時からずっと憂だけを見ていた。

だから、知っていた。

彼女の寛大な心も、優しい性格も、曖昧な感情も。

憂が、伊織に恋情など抱いていないことも。




――…けれど、彼女が拒む事さえしなければ。


伊織は何度でも憂に会いに行き、
何度でも憂を抱きしめるだろう。






























 友達でもなければ
 恋人でもない





 この二人の関係を


 人は、
 何と呼ぶのだろう――









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あきゅろす。
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