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┣╋CENTURIA╋┫
如何なる時も、君を





街全体が、ざわついている。

実り流しの夜、挨拶を予定していた「祝福の乙女」が忽然と姿を消したというニュースは、直ぐに広まっていた。

更に何者かの通報によって、今は使われていない西の廃坑道にて少年チームのメンバーを緊急補導。

彼らは長らくこの街で悪行を働いており、身寄りの無い少年ばかりだった。

リーダー格の少年に対しては特に被害届が多く募っており、何らかの措置を取らねばならないとのこと。

だがしかし。
彼らが皆、無抵抗だったのが不思議でならない。

一時、この少年らが「祝福の乙女」の誘拐に関わっているのかとも推測したが、彼らは揃って口を閉ざしている。

現場にもその姿は見当たらない。

3日が経った今も、「祝福の乙女」の行方は分からないままだ。




「一体、これからどうなさるおつもりですか」


読んでいた新聞から顔を上げると、怪訝な顔した執事と目が合った。

奏芽家に長年仕えている、執事長の橙宗(さかむね)だ。
久しぶりに顔を見たが、トレードマークとも言える髭と眼鏡は変わらない。

数年前、最後に会った時も今と同じように心配を掛けていたな、と伊織は薄らと思い出した。


「もう暫くは身を隠したい。今の状態じゃ…まだ帰せない」

「伊織様、お気持ちはお察ししますが時間の問題ですぞ。それに…旦那様がお気付きになったら、どうなるか」

「分かってるよ…」



持っていた新聞をくしゃっと丸めて、伊織も頷いた。

数日前、廃坑道から憂を連れて向かった先は、伊織の実家でもあるこの奏芽家の屋敷だった。

皮肉にも、長いこと家を空けていた自分が頼れるのはこの家しかなかった。

運良く屋敷の主人である伊織の父親は外交で渡航中であり、二週間程不在だという。

橙宗に事情を話し、何とかこの家に身を隠しているのだ。

全ては彼女を…、憂を守る為に。



「今朝の様子はどうだった?」

「お食事は、少しずつですがお召し上がりになっているようです。…ただ、やはり心此処に在らずというように、塞ぎ込んでおられますね」


そうか、と伊織は返事をすると、徐ろに椅子から立ち上がった。

丸めた新聞をテーブルに置き、部屋を出て長い廊下をスタスタと歩いていく。

その後ろを、同じ速さで橙宗も付いてきた。


「伊織様、またお部屋へ行かれるのですか?
昨日もあれ程様子を見に行って、お話を全て無視された事を嘆いておられたではないですか」

「…全部は無視されてない」

「それに伊織様もあまり眠っておられない事と存じます。今のうちに少しお休みになった方が」

「いいんだ!」


彼女の部屋の前まで来ると、伊織は橙宗に振り返った。

伊織の来ているアイロンのかけられたシャツとスラックスは、橙宗が用意したもの。
この家で過ごす以上、見合った服装でなくてはと小一時間諭した結果だった。

ああ、暫くお会いしないうちに大きくご立派になられたなぁと橙宗は呑気に考える。
けれど、昔と変わらぬムキになった表情で伊織は声を荒げた。


「俺が、そうしたいだけだから」


そして、コンッと一度だけのノックをする。


「入るぞ、憂」


返事を待つ事なく、伊織は部屋へと入っていった。

バタン、と閉められた扉を前に、橙宗はやれやれと溜息をつく。


「久方ぶりにお戻りになられたと思ったら…、こんな事態になるとは」


肩を落としながら、とぼとぼと部屋の前から去っていくのだった。







部屋に入ると、伊織は開けたままになっていた窓を静かに閉めた。
空気の入れ替えのつもりだったが、すっかり部屋が冷えてしまったようだ。

パチパチと燃える暖炉に薪を焼べ、彼女の横たわる寝台へと腰を下ろした。


「憂、寒くないか?」


その問に、憂はふるふると首を横に振った。

そしてゆっくりとした動作で上体を起こし、伊織を見上げたのだった。


「顔色は…、いつもより悪くないな。メイドからあんまり眠れてねェとは聞いてるけど、気分はどうだ?」

「……貴方こそ」


憂は戸惑った表情のまま伊織を見つめ、口を開く。


「酷い顔色よ」

「そうか?」

「私、大丈夫だから。放っておいて」


ふい、と顔を逸らす憂。


「憂が元気になりゃ、俺も心置きなくよく眠れるんだけどな」

「…迷惑を掛けて、申し訳ないと思ってるわ」

「メーワクじゃねェよ。俺に頼ってくれれば嬉しいってこと」


頼る、なんて出来ない。出来るわけがない。

あんなに酷いことを言って、貴方を傷付けた私が。
今更どんな顔して貴方に頼るというの?


「それにしても寒ィな。今夜は雪が降るってよ」


傍らのブランケットを憂の肩に掛けながら、伊織は微笑んだ。
こんなに気落ちしている状態で、風邪でも引かれたら堪らない。
だが、こんなに顔を合わせて話すのは久しぶりの事だった。
伊織は安堵し、表情を和らげた。


「なぁ、調子が良ければ屋敷の中を案内するよ。
んで居間で一緒に食事しよう」

「…そんな図々しこと、出来ない」

「親父は暫くいねェから大丈夫だって。
そうだ、此処の本は読んだか?」


そう言って、寝台の隣にある大きな本棚に目をやった。
文学、図鑑、歴史、様々なジャンルの本が綺麗に整えられたその本棚は、部屋の中でも存在感のあるものだ。


「此処は俺の母親の部屋なんだ」


そう言われて、憂はびくりと肩を震わせた。
その心情を読み取って、伊織は小さく笑う。


「今はもう使われてねェんだ。俺が子どもの頃に、病気で死んだ。それでもずっとこの部屋はこのまま維持されている」

「……」

「この本も全部、母親の物なんだ。憂、本好きだろ?気に入ったものがあればいくらでも読んで…」


その先を遮るように、憂は勢いよく伊織に向き直った。
うっすらと涙を溜めながら睨み付けられて、伊織は言葉を失う。


「…優しく、しないで」


突っぱねるその言い方は、いつかと同じ。
まるで牙を剥いて威嚇するような拒絶は、今となっては弱い自分を守る為の盾だったのだろうか。


「私、あんなに酷いことを言ったのよ…。
あんな風に教会から貴方を追い出して、貴方を傷付けたのに、どうして…っ」


こんな私に、何故寄り添うの?
その問いは声にならなかった。
憂はシーツの上で拳を握り、肩を震わせながら俯く。

貴方の幸せを願っていた。
こんな運命を背負った自分など、貴方に相応しくないと思った。

暖かな春の息吹のような貴方。
近付けば、心が溶けてしまいそうだった。

膝の上で頑なに握り締めた憂の小さな手は、震えていた。
そして伊織はそっとその手に触れ、
優しく包み込んだ。


「好きだから」


真っ直ぐに憂を見つめながら、伊織はそう告げた。


「憂が好きだから、放っておけない。好きだから、傍に居たい。好きだから…、守りたい」


まだ、好きだと言ってくれるの?
こんな…、私を…?

憂の頬を一筋の涙が伝う。

伊織は握っていたその手を彼女の身体に回し、そっと抱き締めた。

祝福の呪いに侵された、哀れな乙女の身体。
けれど伊織にとっては爪の先も、髪の一本でさえも大切な存在なのだ。

ずっと、触れたかった。


「教会に帰りたくないなら、ずっと俺の傍に居れば良い。一緒にこの街から離れたって構わない。憂が幸せになれるなら、俺は何だってするよ」

「伊織、く…」

「俺を好きにならなくたって良い。神を愛し続けるなら、それでも構わない。でも俺は…っ」


抱き締める腕に、より一層力を込める。


「誰より近くで、憂の笑った顔が見たいんだ…っ」


それは、初めてあった日に言われた言葉と同じ。
薄っぺらい演技の中に、秘めていた本音。

ああ、こんなにも、貴方は。
ずっと変わらない気持ちで、私の事を見ていてくれたのね。

憂の瞳から大粒の涙がぼろぼろと、止めどなく溢れる。
決壊したダムのように、我慢していたものが、全て溢れ出ていく。


「わ、わたし…っ」


頼りなく伸ばした細い腕を、しっかりと伊織の背中に回しながら。
憂は、咽び泣いたのだった。



「すきって、言って貰えて、嬉しかった…、伊織くんといる時間が、ほんとうに幸せだった…」

「だけど、気持ちには答えられなかった…、伊織くんの気持ちが、まっすぐで、すごく…痛くて、私なんかにはもったいないって…思ってた」

「祝福の力を無くすことが、こわくて、何も持たない自分になるのが、こわくて…、本当は、ほんとうはね、」


ずっと心に秘めていた想い。

神にすら打ち明けなかった、憂の真実。


「『祝福の乙女』なんて、やめてしまいたかった…、私も、普通の人として、幸せになりたかったの……、こんな、こんな形で、心ごと穢されるなんて思わなかっ、た」


止められない、言葉も気持ちも。

全て吐き出したかった。


「他の誰にも、あげたくなかった、…伊織くんのものに、なりた、かった」

「もう、いい…っ」


強い力で引き寄せられ、憂は激しく唇を奪われた。

ずっと求めていた温もりと優しい掌、彼の匂い。

ああ、これが愛しいという感情なのか。

伊織の頬に手を寄せると、涙で濡れていた。



「もう言わなくていい。俺はどんなお前でも、愛しているから」



雪崩の如く吐き出されたその想いも、全て伝わったのだろうか。

またこの手に触れて貰えるなんて、夢にも思わなかった。



神よ…。

貴方の導きに添えなかったこの私を、どうぞ心ゆくまで罰して下さい。


この人が傍に居れば、神罰さえも怖くないわ。







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