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┣╋CENTURIA╋┫
追憶の果てに呼び醒ますものは







宵闇の中を白い淡雪が舞い落ちる。

ひらひらと、音も立てずに空から落ちてくる。

何処へ行こうかと歩みを躊躇うその足を、凍てついた大地が引き止める。

引き止めるか、縫い付けるか。

私をこの場所から。










次に目を覚ましたのは、見知らぬ天井だった。

茶色の木目が美しく、視界の端に微かに見える照明は細工が見事だ。

目線だけを動かしていくと、大きな本棚が目に入った。
綺麗に整頓された背表紙が並び、僅かな好奇心を擽られる。


部屋はさほど広くは無い。

けれど、端々に見られる骨董品が、部屋を豪華に演出している。


…知らない場所。

此処は、何処?




程無くして、コンコン、と扉をノックする音がした。
厳かな部屋の扉が遠慮がちに開かれていった。


「…お目覚めに、なられましたか」


現れたのは、見知らぬ老人だった。

白髪の髪に、同じく白髪の髭。
小さな丸眼鏡に黒い燕尾服を着たその老紳士は、私を見て一礼した後、静かに歩み寄ってくる。


「ご気分は、いかがですかな」


失礼致します、と断りを入れてから、丁寧な手つきで私の腕の脈を確認する。


「…お顔の色も、大分良くなられましたね。
二日間も眠っておいででしたから、喉も乾きましょう。只今お飲み物と、軽いお食事をお持ち致します」

「あ、の…」


そこでやっと、憂は声を発した。


「此処は…?私は一体、どうして…」


頭がまだボーッとする。
眠る前の事が、上手く思い出せない。

此処は何処?貴方は、誰…?


「…私の口からは、何も申し上げられません。
ですが、我々にとっても貴女は大切なお客様です。
直ぐにお飲み物をお持ち致しますね」


そう言って老紳士は一礼し、部屋から退出した。

再び部屋に静寂が戻ると、憂はゆっくりと記憶を辿った。


私、どうしたんだっけ…。

収穫祭で、体調を崩してしまって…。

それから、それから、








「ーーー…っ」


瞼の裏に、あの光景がフラッシュバックする。

薄暗い洞穴の中、私は……。


憂は身体に力を入れて、上半身を起こした。

自分が寝ていた寝台は、一人にしては大きな作りだ。
設置された家具の一つ一つを取っても、一般家庭に置ける代物では無い。
部屋の雰囲気から、此処が只の民家では無いことも十分に分かる。

憂自身の身体は清潔にされていて、白を基調とした上品なネグリジェを着ていた。

そして、自らの身体を見て、憂は言葉を失った。


不幸の刻印の痣が…こんなにも広がっていたなんて。






ーーーコンッ…


一度きりのノックが鳴る。

憂はゆっくりと、顔を上げた。

扉を開けた人物と、視線が交わる。






「憂…」


久しぶりに見た、その人を。


「伊織、くん」


扉を後ろ手で閉めた伊織は、憂の元へ歩み寄る。

手には先程の老紳士が言っていた、飲み物と軽食の乗ったトレー。

服装も、いつものラフな雰囲気とは全然違う。
白い上品なシャツに、紺のスラックス。
革靴まで履いている。

まるで、この部屋の雰囲気に合わせたかのように。


憂は咄嗟に、シーツを手繰り寄せて身体を隠した。


「気分はどうだ?何か、欲しいものは?」

「………」

「少しでも口に何か入れた方が良い」


傍らのテーブルにトレーを乗せながら、伊織は言葉を紡ぐ。

その丁寧な所作の一つ一つを見ながら、憂はぼうっと考えを巡らせた。




二日も眠っていたとあの老紳士は言っていた。

ああ、収穫祭から二日も経ってしまったのか。

実り流しの挨拶、出来なかった。


「此処は…何処なの?」


憂が紡いだ言葉に伊織は顔を上げた。

やっと聞けた、憂の声。
けれど彼女の瞳には、間違いなく動揺の色が見えた。


「此処は、俺の……奏芽家の屋敷だ」


どうして私が奏芽家のお屋敷に…?

そう尋ねようとして、憂は口を閉ざした。

記憶が、みるみる蘇っていく。




あの時、
記憶が確かであれば、伊織に抱えられて廃坑道を出た時だ。

意識を朦朧とさせていた憂に、伊織は安心させるようにこう言った。

『大丈夫だ、もうすぐ警察が来る。憂はちゃんと教会に帰れる。だから大丈夫だ』

その言葉を聞いた時に、憂は真っ先に首を横に振ったのだ。




『帰りたくない』






「安心して良い。此処の使用人達は皆面倒見がいいし、口も堅い。体調が回復するまで安静にしよう」


シーツを掴む手が、段々と震え始める。

記憶がハッキリと思い出される度、あの出来事が、脳裏に蘇ってくる。


「…憂」


伊織が名前を呼ぶ。

肩を震わす憂を見つめていると、行き場のない負の感情がどっと押し寄せてくる。

伊織はぐっと拳を握った。


「…少しでも口に合えば良いんだけどな。後でメイドを寄越すから、必要なものがあれば何でも言ってくれ」


憂の頭をそっと撫でて、伊織は部屋を後にした。

その背に向けて憂が手を伸ばしていた事に、伊織は気付かなかった。




帰りたくない、と願った。

あの教会に、あの環境に。

だって、これからどんな風にあの祭壇に立てば良いの?

こんなにまで痣の広がった、この身を。

荒々しく散らされた、この身を。

神に、どう捧げたら良いと言うの…?


教会に囲われた聖女。
清らかな祝福の乙女。
神に愛された美しき娘。

今の私が、そんな風に見えるわけがない。


「…っ」


恐怖で胸が張り裂けそうになる。

シーツに涙がぽたぽたと零れ落ちる。


「か、み、さま…」


呼び掛けても、貴方の声は聞こえなかった。


「神様…、かみ、さま…っ」


淡雪の降る宵闇の中で聞こえたあの奇跡の声は、もう私の耳には聞こえなかった。


不幸な私を…神は助けてはくれなかった。





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あきゅろす。
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