┣╋CENTURIA╋┫
迷宮は闇へと誘う
考えもしなかった。
自分の身勝手な行動のせいで、知らない間に周りの人が苦しめられていたなんて。
どんなに冷静に振る舞っても、どんなに理屈を並べても。
所詮俺は、自分の事しか考えられないガキなんだと落胆した。
後悔したって、もう遅い。
「憂…っ」
それは、伊織が憂にもう一度逢いに行こうと決めて、大通りを走っていた時だった。
祭りの賑やかな雰囲気も日暮れと共に落ち着いてきたのか、昼間よりも人が少なくなりつつある。
そんな最中、いつも憂の傍にいるあの小さなシスター…雪菜が、突如物凄い形相で伊織に突っ掛かってきたんだ。
「あぁーーー!!!!見つけたわよ奏芽伊織っ!アンタ一体今まで何処にいたのよ!!」
「は…?」
「アンタのせいで憂様、大変な事になってんだからね!!責任持って何とかしなさいよぅッ!!」
何に対して怒鳴られているかは分からなかったけど、雪菜が大粒の涙を流すものだから、只事ではないと察した。
「アンタのせいで…憂様はお辛い思いを抱えているのに!アンタじゃないと憂様を止められないんだからね!!」
そう喚きながら憂に逢ってやってくれと、泣き付かれたのだ。
事情は良く分からないけれど、伊織は安堵した。
憂にもう一度逢える。
彼女の言葉に耳を傾けられる、と。
そうして引っ張られるがままに教会の庭へ来たけれど、今ここに彼女の姿はない。
広い芝生には大きな木が佇んでおり、どこか物寂しく見える。
「え、あれ?憂様…ドコ行っちゃったの?」
ボケているのか、天然か。
雪菜は慌てて周囲の草むらを捜索し出した。
けれど、そんな所に当然隠れている筈もない。
「本当に、ここに居たのか?」
「そーよっ!それにあんなお身体で、しかも一人で動けるわけないもの!!」
「…そんなに具合、良くないのか?」
そう尋ねたら、何故か鋭く睨み付けられた。
兎に角、雪菜が憂と別れてからほんの数十分。
それほど遠くへは行ってない筈だ。
周囲を探しに行こうとした、その時。
伊織はある事に気付いた。
「…ッ」
教会の美しい芝生の上には不似合いな、不躾な車輪の跡。
それは、伊織の良く知っている大型バイクのものだ。
「あっ、これ!!」
続いて何かを発見した雪菜が、血相を変えて伊織に駆け寄った。
「間違いない…。これ、憂様のだよぅ!」
小さな花が細工された、綺麗な髪留め。
いつも髪を纏めている憂が、肌身離さず身に付けているものだった。
それが、どうしてこんな所に落ちている?
「…憂…」
嫌な予感が、伊織の頭に過った。
不自然に付けられた、大型バイクの車輪の跡。
取り残された彼女の髪留め。
そして、姿を眩ました憂。
「まさか…」
予感が確信に変わった瞬間。
伊織は背筋を凍らせた。
『なぁ…『祝福の乙女』ってのはどんな女だ?』
刹那、伊織は無我夢中で走り出した。
背後で雪菜が何かを叫んでいたが、気にする余裕など伊織は持ち合わせていなかった。
『俺、シスターってのはどうも興味がないんだけど。でも、あの奏芽伊織クンがそこまで入れ込んだんだ。
相当イイ女なんだろ…?』
先日の暴動が、甦る。
あの男の表情が、言動が、今もまだ脳裏に焼き付いている。
『俺も挨拶しに行こっかな――…“乙女”にさ』
まさか…剣が?
お前が憂を、拐ったのか?
何の為にそんな事を。
「俺の…せいで…っ」
理由なんて考えるまでもない。
全ては自分で撒いた種。
この俺自身が犯した失態。
理不尽な理由でチームを抜けた俺に、思い知らせる為に決まっている。
『いくら仲のいいダチだって、関係ねぇ。
裏切られたその瞬間から…俺の敵だ』
以前、剣が信頼していた側近がチームを抜けたいと言い出した時にも、同じような事があった。
誰よりもチームの誇りと結束を重んじている剣だからこそ、下される制裁も計り知れない。
「い、伊織さぁーーん!!!!」
大通りを駆け抜けていると、もうすっかり聞き慣れた声に呼ばれた。
それのお陰で、伊織はハッと我に返る事が出来た。
「ぜ、ろ…?」
「伊織さん!やばいッスよ!!緊急事態ッス!!」
零が取り乱すのはいつもの事だが、何だか様子がおかしい。
切羽詰まった様子で、物凄い剣幕を見せていた。
「俺の見間違いじゃなければ、あの人……『祝福の乙女』が、チームのバイクに乗ってたんスよ!!」
やはりそうか。
ぎり、と伊織は歯を食い縛る。
「っ、何処に向かった!?」
「ええと、多分あれは西の街道に向かって走って行ったと思うんスけど…」
西の街道。
人通りが少なく、街人も滅多に使わない旧街道だ。
「伊織さん…一体何があったんスか?」
「…零」
伊織は俯きながら、零の肩に手を置いた。
呼吸を正し、頭を冷やしてから、ゆっくりと口を開く。
「剣が…『乙女』を拐った」
「っ!まさか…伊織さんを誘き寄せる為に…?」
「いや、違う」
伊織を罠に嵌める為に彼女を拐ったのなら、伊織に何らかの形で伝達する筈だ。
けれど伊織は偶然彼女の誘拐を察知したのであって、未だ剣からの応対の気配はない。
だとすれば、理由は一つしかない。
「あいつは…初めから乙女だけが目的だったんだ」
彼女に、危害を加える事を目的として連れ去った。
「零、頼みがある」
「伊織さん…!?」
「親父さんに言って、警察を呼んでくれ」
そう、剣の行き先は。
「西の旧街道にある、洞穴だ」
――――――――
―――――
…苦しい。
上手く呼吸が出来ない。
両手首と両足首をきつく縛られ、自由を失った体は力なく地に横たわっている。
否、例え縛られていなくとも。
もうこの身は、自分で立ち上がる事すら出来ない。
深く、確かめるように呼吸を繰り返しながら、自分の非力さを悔やんだ。
憂は、それほどまでに衰弱していた。
「アンタさぁ、何でそんなに苦しそうなわけ?」
頭上から降ってくる声に、虚ろな視線だけをそちらに向ける。
横たわる憂の顔を覗き込むのは、先程彼女を連れ拐った張本人。
「そんな目で見んなよ。つらそーだから心配してんのに、なぁ?」
この男は、心配など微塵もしていない。
その証拠に、先程からニタニタと嘲るような笑みを浮かべているのだから。
答える気力もない憂だが、小さく口を動かし、か細い声を発した。
「…あなたたち…誰なの?」
――そう、
この薄暗い洞穴の中には、憂と男だけではなく、複数の少年達がいるのだ。
派手な風貌にの彼らは、憂を取り囲むように集まり、皆が不吉な笑みを浮かべている。
恐怖が、じわじわと押し寄せる。
「なんだ、アンタ伊織から何も聞いてねぇのかい?
俺らは伊織の仲間だ。
アイツの居場所だったチームのな」
伊織くん?
どうして今、その名が出てくるの?
「俺らはな、誰よりもアイツの気持ちを理解できるんだよ。
だって皆同じ境遇なんだから。
親に見放されて、家を無くして、世間への鬱憤が溜まりに溜まってる。
寄せ集まって、絆を深めたチームの仲間だ」
仲間?チーム?
この人は何を言っているの?
「なぁ、『祝福の乙女』」
次の瞬間、男は憂の胸倉を勢い良く掴み、彼女に跨った。
うっ、と小さく声を漏らすばかりで、憂は足掻く事さえ出来ない。
「俺達の大事な仲間を、よくも唆してくれたな」
「え…?」
「どうせ伊織にチームから抜けるよう口添えでもしたンだろ?
やっぱ、アイツの家が目的か?
シスターの癖に、まるで娼婦みてぇなやり方だな」
男の瞳が、獰猛な獣のように光る。
この眼差しは、伊織のそれと少し似ているような気がした。
「何を…言ってるか、分からない…」
「あくまで惚けるつもりか?
アイツの気持ちも何も知らねェくせに。
中途半端に首を突っ込んでくるヤツが、一番気に入らねェんだよ」
伊織くんの気持ち…?
ああ、そうか。
初めて会った時の彼は、とても哀しい眼をしていた。
他人を信じられず、衝動のままに動く。
自棄になって、生きることすら諦めている。
ゆっくりと、周囲を見回してみる。
此処にいる全員が、以前の伊織と同じ眼をしている事に、憂は気付いた。
せっかく与えられた命を、身体を、心を。
どうして自らの手で傷付けるの…?
「なんて、可哀想…」
無意識に漏れた、憂の言葉。
それに怪訝な顔をしたのは、剣だった。
「…あ?」
憂は、それ以上何も言わなかった。
目を閉じて、諦めたよう押し黙る。
彼女の毅然とした態度に、剣が苛立つまで時間は掛からなかった。
「おい」
剣は全員に見えるように、片手をひらひらと振る。
それを合図に、憂を取り囲んでいた少年達はぞろぞろとその場を立ち去った。
広い洞穴の中。
松明の火が疎らに見える、薄暗い空間で、剣と二人取り残される。
「なぁ…『祝福の乙女』。
アンタ、俺達を哀れむのか?」
地の底から聞こえるような、低い声。
憂は霞む意識の中でも、ぞくりと背筋を凍らせた。
そして次の瞬間、乾いた音と共に憂の頬に激痛が走る。
怒りに満ちた男の平手打ちで、口の中に鉄の味が広がった。
「伊織が惚れた女だ。
丁寧に扱ってやろうと思ったけど…気が変わった」
「…っ」
「生意気だが、お前イイ女だからな。
あの伊織が入れ込むのも分かるさ…」
憂の体が強張る。
なけなしの力を入れた両手は、きつく縄に食い込んだ。
「伊織にやったように、俺にも幸せをくれよ」
ビリ、と布の切れる音がする。
修道着が、呆気なく破られていく。
言葉にならない負の感情。
見る見るうちに溢れ出る涙。
その時、憂は初めて“男”を恐いと思った。
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