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┣╋CENTURIA╋┫
一握の可能性に賭けて



「悪かったな、零。気ィ使わせちまって」

「いいんスよそんなの!気にしないで下さいって!!」


風呂から出た伊織は結局、零が買ってきた新しい服に着替えた。

シンプルな黒いシャツに、軽い素材のスラックス。

長身で大人びた伊織の雰囲気に良く似合ったデザインだ。


伊織は代金を払うと申し出たが、何故か零には物凄い剣幕で断られた。

祭りの特価セールで買った安物だから気にしなくて良い、と頑なに拒否された。


そうか、と納得した素振りを見せつつ、伊織は妥当な金額をそっと脱衣所に置いてきたのだった。



「伊織さん、腹減ってますよね?
ちょうど昼飯時だし、天気いいから外で食いましょー!」


零は父親と二人暮らしの為、食事や掃除、洗濯など、日常的な家事は交代で行うらしい。

今日は零が食事当番なのだ。

折角伊織がいるのだから、と外に鉄板と網を用意してバーベキューをした。


「まだまだありますから、沢山食べて下さいねっ」


獲れたばかりの新鮮な魚介を贅沢にも丸焼きにして噛り付く。

流石、漁業が盛んな港街だけあって風味も良い。

晴れた青空の下、海を見ながらの食事は格別だ。


「伊織、今日は俺の奢りだ!!たんと呑め!!」


零の父が用意した泡盛を、伊織は舐めるように啜った。

けれど。

これだけ遇してくれる二人には悪いが、どうも酒盛りの気分には浸れない。

そうして酒も食事も充分に喉を通らないまま、穏やかな時間はあっという間に過ぎていった。







――――――――――
――――――






伊織は酔いを醒まそうと海沿いの遊歩道を歩いていた。

大海のさざ波の音が、心地好く耳に響く。

今は静かな港だが、明日の夕暮れには人が集まり出すことを伊織は知っていた。


“実り流し”

来年の豊穣を願い、今年獲れたばかりの作物の種を、燈籠の器に入れて流す。

それが幾つもの灯火となり、海へ旅立つその光景は、幻想的で美しい。




遠い記憶の片隅にある、母との思い出の一つ。

幼かったあの頃の自分は、これから先に起こる悲劇を知らず、母の隣で笑っていたのだ。



…出来る頃なら、過去に戻りたい。

全てをやり直したい。

もしそれが出来るのなら、きっと伊織はあの教会になど行かなかった。

そうなれば、彼女という存在を知る事もなかった。

出会わなければ、こんな想いをする事もなかった。




――…本当に?






「伊織、くん?」


背後から朧気に名を呼ばれ、伊織は振り返った。

その黒髪の男は眼鏡の奥の瞳を見開いて、驚いたようにこちらを見つめている。

トレードマークの白衣を着用していなかったせいで、伊織も始めは誰だか分からなかった。


「棗…センセ」


つい昨日まで顔を合わせていた筈の、主治医だったのに。


「君、こんな所で何してるんだ?」

「…ただの散歩。そっちは?」

「僕は買い出し。祭りの夜は美味しいものが食べたいって、セツが駄々こねるからね」


そう言った棗は、確かに袋一杯の食材を両手に抱えている。

他愛のない会話に、伊織は内心ホッとした。

昨夜の事を言及されるのではと思ったからだ。

だが、そうこうしているうちに棗は買い物袋を下ろし、伊織の隣に腰かけたのだ。


「おい…、何してンだよ」

「ん?休憩だよ。荷物重たくてさ」

「ならどっかその辺の店にでも入ればいいだろーが」

「いやぁ風が気持ち良いねー」


飄々とする棗を、伊織は面倒臭そうに横目で睨む。

早く、何処かへ行ってほしい。
コイツは妙に鋭いから。



「あ、そうそう。聞いたよ」

「何を」


不機嫌な伊織に向かって、棗は眩しい笑顔を見せ付けた。


「君、憂様に振られたんだって?」


ぶっ!!と思わず吹き出してしまった。

動揺して激しく咳き込む伊織に、棗は「大丈夫ー?」と白々しく話し掛ける。

――…だからこいつは面倒なんだ。


「……で、もう憂様には会わないつもり?」


ほら、直ぐに核心をついてくる。


「っ、関係ねェだろ!」

「無くはないよ。僕は憂様の主治医だからね。
君は憂様にとって不調の原因だから、放っておけないのさ」


その言葉を聞いた伊織は、素っ頓狂な顔をした。

――…俺が、原因?

訳が分からないまま棗を見ていると、彼は途端に真面目な声で言った。


「あんまり、こういう事は言いたくないんだけど」

「何だよ…ハッキリ言えよ」


勿体ぶる棗の言葉の先を、伊織は苛立つように促した。


「君が教会にいた昨日の時点で、憂様の疾患病は完治寸前だったんだよ」

「え…?」


初耳だった。

確かに彼女は、少し前のように倒れたりするような気配がなかったけれど。

何故、急に。


「僕はこれでも長年憂様のお身体を診てきたけど、あの黒い痣が消える傾向なんて一度もなかった。
あらゆる薬も効かない不治の疾患病だと思っていた。
それがこの短期間で消えたのはどうしてだと思う?」

「な、んで…」


まるで、君のせいだよ、と言われているような気がしてならない。

困惑する伊織に対し、棗は変わらず海を見つめながら続けた。


「これは僕の憶測だけど、憂様自身が幸福になれば不幸の烙印は中和されるんだと思う」

「憂が、幸せに…?」

「でもそれは同時に、憂様が祝福の力を失う事を意味する」


それは即ち…憂が『祝福の乙女』ではなくなるという事。


「僕の言いたいこと、分からない?
君が身近にいた事を、憂様は幸せだと感じたんだ。
だから力が弱まり、痣も消えようとしていた」

「…っ!!」


伊織がその話に飛び付く前に、棗は先を話した。


「だけど憂様は、それを望んでいない」

「何、だと…?」

「あの方はきっと、死ぬまで『祝福の乙女』で在りたいと願っている。
だから君を拒んで、教会から追い出した」


伊織は、昨夜の彼女の顔を思い出した。

頑なで、冷たくて、けれど何処か必死な表情。

あれは虚勢だったのだろうか。

本音ではなかったのだろうか。



「憂は…」


言葉の先を言うまいか、伊織は止まってしまった。

頭の中は滅茶苦茶。

何が本当なのかさえ、良く分からない。


けれど、
一つだけ確信したい事がある。



「憂は…俺と居て、幸せだったのか?」


彼女は、俺が傍にいる事で幸せを感じてくれたのだろうか。

医務室で、彼女が俺に会いに来る時を待ち侘びるように。

彼女もまた、俺に――…。


「…あの方の御心は、あの方にしか分からないよ」


けれど、と棗は続けた。


「今となっては、彼女を名前で呼ぶ人は僕とセツ以外では君しかいない」

「名前…?」

「この街の者は、乙女の名前を識らない。
識ろうともしない。
人々にとって彼女は所詮、乙女でしかない。
それ以上でも以下でもないんだよ」


一瞬、強い風が二人の間を吹き抜けた。

気付けば、陽が落ちかけている。

海の蒼が、緩やかに橙へと変わっていく。



「…確かに憂様にとって、これが一番正しい選択だったのかもしれない」


この少年は、真直ぐ、痛いくらいに強い気持ちをぶつけていた。

時にその想いは、乙女にとって足枷だったのかもしれない。

けれど少年の心を知った乙女もまた、人としての自分を思い出しかけていたのだろう。


人は、愛を知り、幸せになれるものだという事を。



「でも、僕は諦めてほしくない。
伊織くん…どうか憂様を人に戻してくれないか。
君ならきっと神に立ち向かえる」


神から、乙女を奪うことも出来る。

棗がハッキリと告げた言葉は、伊織の心を動かすには充分すぎた。


「君がまだ今も…憂様を愛しているなら、どうか」


身体が、自然と身震いする。

脳裏に浮かぶのは、最後に見た彼女の顔。


自棄になった自分に襲われて、嫌だと泣いた彼女は、痛々しい笑顔を見せたのだ。



「俺は…憂を諦めたくねェ」


一瞬でも良い。

俺と過ごした時間を、彼女が少しでも安らいでくれたのなら。


それだけで、良い。



「諦めて、たまるか」


憂を、誰にも渡したくない。

例え神に邪魔されても、彼女自身が拒んでも。

俺はお前を、手に入れてやる。




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あきゅろす。
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