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┣╋CENTURIA╋┫
偽りし背徳の乙女





『――…その恋は、手放すべきだ』


あの時の棗先生の言葉を、私は直ぐに受け止められなかった。

この身に刻まれていた筈の、夥しい不幸。
人々の傷を癒し、命を救うこの力は、私自身に呪いをかけていた。

けれど、それで構わなかった。


私は『祝福の乙女』。

この力は、神が私に与えた使命なのだから。

神は私を通して人々に祝福を与え、幸せをもたらしているのだから。


この痣が消えるという事は、即ち祝福の力を失うということ。

それだけは絶対に避けなくてはならない。

何があっても、絶対に。



「――…憂」


目の前には、祝福の力を脅かす元凶の彼がいる。

そんな言い方は失礼だけれど、そう思わなければ拒みきれない。


そう、私は彼から逃れたいのだ。


「…伊織くん、どうしたの。こんな夜中に」

「どうしたじゃねェよ。
今日、何で来なかった」


この刺々しい言い方と不機嫌な表情には、今まで何回も遭遇した。

その度に私は“ごめんね”と謝って、背の高い彼の頭を撫でてあげていた。

そうすれば彼は表情を綻ばせ、渋々だけれど許してくれた。


――…もう、そんな風にしてあげられない。





「…伊織くん」


両肩を掴まれたこの態勢では、言い逃れは出来ない。


「もう、私に構わないで」


憂は覚悟を決め、真っ直ぐに伊織を見据える。

彼女の表情を見た伊織は、思わず瞠目した。



「早く教会から出て行ってほしいの」


真剣で、清閑な瞳。
こんなに憂の表情は、今まで見た事がない。

本気なのだと直感で悟り、伊織の心臓は早鐘を打つ。


「な…」


喉が震えて声が出ない。
こんな事、初めてだ。


「何で…だよ」


伊織は、今までにないくらい困惑していた。

未だ冗談だと信じる彼を余所に、憂は淡々と言葉を続ける。


「怪我が治るまでは目を瞑ろうと思っていたけど、やっぱり無理みたい」

「う、れい…」

「元々、この教会は部外者立ち入り禁止よ。
棗先生も本来は、入院患者を受け入れていない。
それなのに貴方は何も考えずに、こんな時間に教会内を歩き回って…」


何だ、これは。
憂は何を言ってるんだ。


「この事が公になって、責任を問われるのは私や棗先生なのよ。
これ以上…私達に迷惑をかけないでほしいの」


ぐらり、と視界が揺れたような気がした。
まだ夢を見ているんだろうか。

こんな悪夢、早く醒めろ。


「迷惑…だったのか?
俺が此処にいたら、駄目なのか…?」


いつもの伊織らしくない弱々しい声音に、憂の胸の奥がズキズキと傷む。

我慢するように、憂は唇を噛み締めた。


「…なら、どうして俺を拒まなかったんだ」


その静かな問いに、憂は答えられなかった。


「俺がお前を好きなのは知ってるだろ!
なのに、どうして…っ」

「――…私が!!」


憂は俯いたまま声を荒げ、伊織の言葉を遮った。



「私が…貴方の想いに応えるとでも?
少しでも、そんな風に見えたのかしら」


憂は口元を吊り上げて見せたけれど、まるで下手くそな無理矢理の笑みだ。


次の瞬間。

勢い良く顔を上げた憂は、目前の伊織に残酷な言葉を叩き付けた。



「私は…『祝福の乙女』なのよ?
この身も心も命さえも!
全て神の所有物なの!

何一つだって、伊織くんにはあげられない…っ!!」


彼女の言葉の全てが鋭い刃となり、
無惨にも、伊織の心をズタズタに引き裂いた。


その瞬間。

伊織の中で何かが切れた。





ぷつりと、
微かな音を立てて。





「――…っ、な…!!?」


腕がもがれそうなほど強い力で引かれた憂の華奢な身体は、大きな音を立てて床へ押し倒した。

抗議の声を出す間もなく、伊織のそれによって乱暴に唇を塞がれてしまう。


「ん…、ぅ…っ!!」


抵抗しようと藻掻く腕はいとも簡単に捕えられ、強い力でねじ伏せられてしまった。


いつものように、優しく不器用なキスじゃない。

壊れ物を扱うような、温かい抱擁とは全然違う。


こんな彼を憂は知らない。



「は、ぁ…っ」


漸く唇を解放された憂は、大きく息を吸って呼吸を荒くした。

それは、伊織も同じだ。

肩を上下させながら短い呼吸を繰り返す彼は、いつものあどけない少年ではなく、妖艶な大人の男性に見えた。

けれどこちらを見下ろす鋭利な瞳に、全身が頑なに硬直してしまう。

まるで獣のように、獰猛で貧欲だ。



「っ、伊織…く…っ」

「…聞きたく、なかった」


いつも、幻聴だと耳を塞いでいた言葉。


“乙女は、神のものだ”


それだけは、憂の口から聞きたくなかった。



「他の何を捨てても、お前だけは…絶対に譲れねェんだよ」


彼女の両腕を拘束する伊織の手に力が入る。


「渡さねェ…」


低く囁かれた声に、ぞくりと背筋が凍り付く。

その瞬間、憂の頭に嫌な予感が過った。


まさか、そんな。




「――…俺が、貰う」



その言葉と同時に、伊織は憂の首筋に噛み付いた。


「っ、あ…!!」


武骨な掌は彼女の喉元を這って、服に手を掛ける。

全身の血の気が、さっと引いた。


「ゃ…、嫌だ…伊織くん、いや…っ」


憂の精一杯の叫びも、伊織の耳には届かない。

段々とエスカレートしていく行為に、憂はひたすら身を捩って抵抗した。



違う、違う。

伊織くんは、こんな事をする人じゃない。

不器用だけど優しくて、
少し強引だけど、ちゃんと私の気持ちを優先してくれて、
大切に、してくれていた。


こんなに身勝手で、乱暴で、恐い人じゃない。



「――…ひ…ぁっ!?」


伊織の手が腿を撫でた瞬間、憂の身体がびくりと跳ね上がった。


「嫌なわりに…身体は素直じゃねェかよ」


熱っぽい声を耳元で囁かれ、全身が熱くなっていく。

だがそれと同時に、身体が小刻みに震えた。


「や、めて…伊織く…、おねが…だから…っ」



胸が痛い。

苦しい。

上手く話せない。


「い、おり…っ」




『いつか二人で、外国に行こうな』

『借りてた本…返しに来たんだ』

『憂に触るなッ!!』

『病気のこと、何で言わなかった』

『こんな傷…何でもねェよ』



拒絶なんて出来なかった。

今だって、そう。

嫌なのに。
こんな行為は、許されないのに。


貴方を拒む事なんて出来ないの。

したくない、の。


いつも隣に居てほしい。
ずっと笑っていてほしい。
私を見ていてほしい。


私は…
こんなにも貴方が――…





「っ…い…」


それは、本当に突然だった。

彼女の両腕を拘束していた力はいつの間にか緩み、身体を這っていた掌も、静かに離れていった。

そしてふと、顔にかかった熱い雫に気付き、憂は瞑っていた目を恐る恐る開ける。


――…涙だ。

伊織の切れ長の瞳からは、大粒の涙がぼろぼろと溢れ、憂の顔に落ちていく。


「…伊織くん…?」


ゆっくりとした動作で伊織は身体を起こし、憂の上から退いた。

憂はまだ呆然としたまま、肌けた胸元を隠すように恐る恐る起き上がってみる。


「…そんな、顔…」


伊織の声は、渇いたように擦れている。

そっと俯き、静かに泣く彼は、歳相応の少年のように小さく見えた。


「…させたく、なかった」


綺麗に巻かれていた筈の包帯が、取れかかっている。

その患部には、薄らと血が滲んでいた。


「…ごめんな、憂。
本当に、ごめん…。
もう絶対しねェから…」


伊織はくしゃくしゃと涙を拭い、顔を掌で覆った。


「…本気で好きなんだ。
憂を諦めたくねェよ…。
…誰にも、渡したくねェんだよ…」


ごめん、好きなんだ、と。

伊織は浮毎のように謝りながら、次から次へと溢れ出る涙を拭い続けた。

可哀想なくらい傷付いた彼の姿を前に、憂はどうしようもなく胸を締め付けられる。


そして――…



「伊織くん…」


ふわり、と。

思いもよらぬ優しい温もりに包まれた伊織は、目を見開いた。

憂が自ら、自分の胸に飛び込んで来たのだ。


「憂…」


伊織はしっかりと、今度はいつものように優しく、彼女を抱き締めた。

憂もまた、そっと彼の背中に腕を回し、強く身を寄せる。


ーー…心地良い温もり。
私の名を呼ぶ声も、私に触れる掌も、

その全てが大切で、
いと、しく、て。





「幸多き貴方の生涯に、祝福を」


彼女が謳うように呟いたその言葉に、伊織は息を呑んだ。

気付いた時には、もう遅かった。

それと同時に、白い光が伊織の身体を包み込む。

煌びやかで、美しく、神々しいそれは…祝福の光。


「どう、して…」


伊織は愕然とした。

あれほど薬を塗って、安静にして痛みに耐えなければならなかった傷が、見る見るうちに消えていく。

忌々しい神の力によって、癒されていく。


「…これでもう、貴方が此処にいる理由はないわ」


伊織は酷く傷付いた表情で、平然と笑う彼女を見つめた。

何かを言おうにも、何も言葉が浮かばない。

きっと何を言っても、今の彼女には届かないのだ。


「忘れるわ、貴方のこと」


彼女の手首や腕には、拘束した際に出来た痣が残っていた。


「伊織くんなら大丈夫。
私なんかよりも、ずっと素敵な人に巡り逢える。
…幸せに、なれるわ」


それ以上に、
新たに彼女の胸元に浮き出た黒い痣が、目障りでならなかった。



「私のこと、大切にしてくれてありがとう。

さようなら…伊織くん」



心がボロボロに傷付いた青年に、乙女は微笑んだ。

その天使のような笑顔が、青年にとって一番残酷な凶器となる事も知らずに。



『祝福の乙女』

神に愛された聖女。


不幸に嘆く人々に祝福を授ける事が、彼女の使命。




けれど乙女は、

一番幸せになってほしい相手にだけ…


祝福をもたらす事が出来なかったのだ。





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