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┣╋CENTURIA╋┫
蛍火、幻想に消ゆ





『なぁ“乙女”…お前の名前は?』


『こっち向け――…憂』


『あんな力、もう使うな。いい事なんかねェぞ』


『気安く触ってんじゃねェよ!憂は俺のモンだ!!』


『俺が、憂の話を聞き流す訳ねェだろ』





あの日、夜の教会で出会った貴方。


血塗れになって、死にたいと願っていた貴方。



あの瞬間からこの時まで。


貴方は、どれだけ私を見ていたの…?





『憂、好きだ。お前だけが好きだよ』




人を好きになるって、どんな気持ち?

私の識っている感情の中に、それはある?


こんな風に、胸が苦しいのかな。

だけど暖かくて、優しい気持ちなのかな。




私は、伊織くんの事…


――…好き、なの?







「――…乙女様?」


は、と憂は我に返った。


机にばらばらと広げられているのは、色とりどりのチラシやポスター。

今朝参拝に来た商店街の訪問客から渡されたそれは、明後日に控えた収穫祭の知らせだった。


いけない、今は司祭様と話していた途中だった。


「どうかされましたか?」

「い、いえ。何でもありません」

「それなら良いのですが…」


心配そうに憂の顔色を窺う老司祭。

だが直ぐに、その皺に囲まれたブルーの瞳を柔らかく細めた。


「最近の乙女様は、何だか生き生きとしてますな」

「え…?」


思いがけないその言葉に、憂はきょとんと首を傾げた。


「いや、こう言っては失礼かもしれませんが…。
つい前までの乙女様は何というか…こう、立ち振舞いや御言葉が神々しくおられていて、いつ何時も気を張り詰めているように見えましたが」


神々しい?
気を張り詰めている?

私は、そんな風に見えていたのだろうか。


「それが最近の乙女様は、時折上の空と言いますか…この前も聖典と辞書を取り違えておられたり…」

「そ、それは…申し訳ありません…っ」


自らの失態を恥じた憂は、深々と頭を下げた。

だが老司祭は微笑みを崩さぬまま、穏やかな声で憂に言った。


「良いではありませんか」


憂は、ハッと顔を上げた。


「この世に完璧な存在などありません。
聖典にもあるでしょう。
人は物事を違えながら成長する、と」

「で、ですが…私は『祝福の乙女』。
人々に神の教えを説き、導く者です」

「いいえ、同じですよ。
例え『乙女』であろうと、貴女は人です。
決して、神ではない」

「そう、ですが…」


老司祭がそう言った後。
思わず息を呑む程の静寂が、周囲を包む。

“貴女は人です”
その言葉は、憂の胸に深く刻まれた。

俯いたままの憂を前に、老司祭は首を一つ横に振る。


「…失礼、出過ぎた事を申しましたな。
老人の戯れ言だと聞き流して下され」

「いえ…」

「収穫祭の知らせは…そうですな、教会の外にも貼るようシスターに頼んでおきます」


お願いします、と。
深く頭を下げて、憂はその場を後にした。



「今の貴女を見ていると、思い出しますな」


一人残された老司祭は、ぽつりと独り言を漏らす。


「――…まだ、“憂”だった頃の貴女を…」






―――――――――
――――――
―――



「何だ、これ」


医務室の隅に貼られた一枚のポスターに、伊織の視線は釘付けだった。


「何って、収穫祭だよ」

「シューカクサイ…?」


理解していない伊織の口振りに、デスクでカルテに目を通していた棗は、思わず顔を上げた。

同じく雪菜も、何枚目かのクッキーに手を伸ばしたまま固まって、伊織を見ている。

不穏な二人の視線に、伊織はたじろいだ。


「な、何だよ…」

「…あんた、収穫祭を知らないの?」


溜息と共に出た雪菜の呆れ声に、伊織は反論出来ず、ぐっと言葉を飲み込んだ。

するとそこで、棗は冷静に口を挟む。


「商店街で行われる、豊作祈願の祭典だよ。
毎年この時期の豊作を願って、大半の街人が参加しているんだ。
夜に街中の人々が厄払いの意味を込めて、海に作物の種を流す“実り流し”が有名だね」

「祭りか…」


そう言えば、幼少の頃に一度だけ見た記憶がある。

もう随分昔の事で、ぼんやりとしか憶えていないけれど。

あれは確か、母さんと一緒に――…。



「いいのかな。
奏芽家のご長男が、街の伝統行事を知らなくて」

「…家は関係ねェだろ」


棗の皮肉とも取れる発言に対し、伊織は鋭い睨みを利かせた。


「収穫祭当日は教会も大忙しなんだよぅ!
お客様が大勢来るからシスター達も毎年大変なんだからねっ」

「…お前は働かねェのか」

「私はホラ〜…憂様の専属シスターだから♪」


にぱ、と愛らしい笑顔を向ける雪菜に、伊織は落胆の溜息を零した。




――…トントン

その時、医務室の扉がノックされた。

念の為、伊織を衝立ての奥の仮眠室に隠してから、棗は「どうぞ」と返事をする。


「先生、すみません。遅くなりました」


姿を現したのは、他でもない憂だった。

その声に反応した伊織は、直ぐさま嬉しそうにで出迎える。


「憂、お帰り!」

「…その表現は可笑しいと思うわ」


まるで懐いている犬を相手にしているようで、ふふ、と憂は小さく笑う。


伊織は、憂が医務室に来る瞬間を毎日楽しみにしていた。

教会の朝礼に参加出来なくなった伊織の為に、憂は伊織に説話を聞かせる。

今までは、大勢の人に語り掛ける憂を見ているだけだったが。
最近では憂が自分の為だけに話すその時間が、伊織は堪らなく好きだった。

そして常に枕元に置いてある黒い革表紙の本を開いては、憂に物語の話をする。


家を捨て、チームを抜けた事は、後悔していない。
憂に気持ちを伝えて良かったと、伊織は素直に感じていた。



だが憂は、そんな伊織から視線を反らし、棗に向き直る。


「棗先生。…診て、頂けませんか」


その頼みは、伊織や隼茉兄妹を驚かせるのに充分すぎる言葉だった。


「憂、どっか悪いのか」


真っ先に心配した伊織は、憂の細い肩を抱き寄せ、労るように撫でる。


「先生…」


まるで何かに縋るような憂の言動に、棗は眼鏡を押さえた。


「セツは外へ。伊織くんは…奥へ控えてくれ」

「…俺が居たら駄目か」

「ダメに決まってんでしょっ!!」


渋る伊織を嗜めつつ、雪菜は足早に医務室を出る。

今までの伊織ならば恐らく、意地でも憂と棗を二人きりにしたくはないと、梃子でもその場を動かないだろう。

だが自分自身が棗に治療を施して貰った事により、彼の腕が確かである事を身を持って知ってしまった。


憂の身体が良くない事を知っているからこそ、伊織は潔く奥の部屋へ姿を消した。

その表情は、かなり渋々といった感じだった。



「それで、どうされましたか?」


部外者が完全に居なくなったのを確認すると、棗は静かに問い質した。

すると、突然。
憂は俯いていた顔を上げるなり、自らの服の襟元を肌けさせる。


「っ、憂様…?」


最近は問診であろうと、肌を見せる事を頑なに拒んでいた筈の憂。

それは、あの嫉妬深い少年の為だと悟っていたからこそ、棗はその行動に困惑した。


だが患部を目にした瞬間、棗の思考は全く別のものへ注がれた。


「少し前から…徐々に、引いたのです」


おすおずと語り出した憂の胸元には、不幸の象徴である黒い痣。

神から授かった『祝福』の力で、人々の不幸をその身に受け続けた証だ。

心臓から発症したそれは、酷い時には首元から足の付け根にまで広がっていた。

だが、今はどうだろう。

痣は薄く、その規模は驚く程小さくなっていた。

憂に命の危険さえ宣告していた棗は、その急激な変化に戸惑いを隠せなかった。


「棗先生、これは…どういう予兆なのでしょうか」


憂自身も、今までとは違う身体の異変に動揺を隠せないでいるようだ。


「…恐らく、貴女の不幸が中和された結果だと思われますが…」

「中和…?でも先生、こんな事、今まで一度も…」


長年『祝福の乙女』として人々を癒し続けた憂の身体は、不幸の病を徐々に蓄積してきた。

中和された事など、未だかつて一度もない。
それは主治医である棗も把握していた。

――…では、何故急にこんな事が?
以前とは違う何かが、彼女を変えたというのか?

一瞬、脳裏にあの少年の顔が過る。


「――…まさか」


暫く考え込んだ後、棗はある仮説を導き出した。


「…考えられる原因は幾つかありますが、恐らく環境の変化が一番大きいと思われます」

「環境…?」


棗は真剣な眼差しで、憂を見据えた。


「もしあれだけの不幸が取り除かれたとしたら、それは貴女自身が大きな幸せを授かったからでは?」


幸せ。

その言葉に、憂の瞳は大きく見開かれた。


「え…そんな、だって…」


ここ最近の環境の変化。
心を揺さ振られた出来事。

そんなの、一つしかない。


『憂が、好きだ』

彼の存在が自分の中で大きくなっている事は、何となく分かっていた。

けれどそれを幸せだと感じているなんて、考えもしなかった。


「嘘よ…っ」


伊織くん。

貴方といると自分が自分じゃなくなってしまいそうだった。

貴方の顔を思い出すと、心臓がぎゅっと熱くなる。

貴方の体温が、不思議と落ち着く瞬間さえある。




“これ”は、何?





「…憂様」


ハッと顔を上げると、棗は深刻そうな表情でこちらを見ていた。


「貴女に生き長らえる意思があるのなら、この環境は非常に好都合と思います」


けれど、と棗は続けた。


「…もし貴女が『祝福の乙女』として一生を終えたいのなら、直ぐに“止め”なさい」

「どういう事…ですか?」


『祝福の乙女』

それは、神に愛された聖女の称号。

穢れなきその心は慈悲に満ち溢れ、清らかなその身は純潔そのもの。

神の為に産まれ、
神の為に生き、
神の為に死ぬ。


――…だからこそ、
『乙女』は祝福の力を授かったのだ。




「――…その恋は、手放すべきだ」




神の愛する『乙女』は、人であっては駄目なのだ。


唯の娘など、要らない。






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