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風を切って歩け
同日



金平亭

 そこは、商店街の裏路地の一角にある、古い古い喫茶店だった。そのレンガ調の外壁は蔦にまみれ、本来のレンガ部分は僅かしか見えない。
それだけでも入りづらい様相をしているのに、場所が裏路地ということもあり、外も中も薄暗く中がどうなっているのか外から伺うのは難しい。辛うじて、入り口にある看板にはブックカフェと書いてあり、信用できるか危うい“営業中”の文字。

 しかし、庄司はその看板を信じるしかなかった。「営業中なのかな?入りにくいな」なんて、一元様ぶって二の足を踏んでいる余裕など、一ミリもない。

今、庄司は人生が終わるかどうかの瀬戸際なのだ。

背後からは「どこへ行った!」と、一つ奥の路地を駆ける警察官の声が響く。庄司は一瞬背後を振り返り、警官が居ない事を確認すると【金平亭】の入り口へと手をかけた。
かけたと同時にノブを捻り、店内へと飛び込む。営業中の言葉は確かだったようで、店内は薄暗いなりに、きちんと明かりが灯されていた。

庄司は後ろ手に戸を締めると、その場に蹲るようにかがみ込んだ。一つ戸を挟んだ向こうではバタバタと、あの警官が駆け抜ける音が響く。心臓は早鐘のように鳴り響き、手は凍るように冷たかった。

「(頼む!早くどっか行ってくれ!!)」

祈るような気持ちとは、まさに今のような気持ちの事を指すのだろう。庄司は自身の心臓の音にだけ集中しながら、両手をしっかり握り締めた。「まったく、どこへ行ったんだ」そう、警官の納得のいかなそうな声が背後から聞こえる。その声には、どこか諦めも含んでいるようで、次第に足音は遠ざかっていった。

「(た、たすかった……)」

 きっと、あの警官もこの金平亭に目を向けた事だろう。しかし、この外観だ。一元ではこの店がこのナリで営業をしているとは、到底思えない。あの営業中のプレートを信じて戸を開けるなんて、そうそうの人間が出来る事ではないのだ。

庄司は警官の気配が無くなった事で、自身の心臓が少しずつ落ち着きを取り戻していくのをひしひしと感じた。先ほどまで冷たかった手のひらにも温かさが戻ってきている。

それと同時に、ようやく庄司は金平亭の中をしっかりと把握する事ができた。
懐かしくも変わらない古い店内。オレンジ色の灯り。所せましと置かれた本と雑誌の数々。そして。

「……お前、まだそんなバカな事をしてるのか」

 深く落ち着きを払った声。その声の主は、カウンター席で一人悠々と本を読む老人だった。視線の一つも庄司に向ける事なく放たれたその言葉だったが、それはハッキリと親しい誰か、つまり庄司へと向けられた言葉であった。

「俺も普段はこんな事してねーし。じいさん」

じいさん。
庄司は本を読む老人を見据えながらハッキリと言った。彼こそが、この金平亭の店主であり、庄司が学生の頃アルバイトをしていた時の雇い主であった。

「じいさんも昔と全然変わってないね。もう死んでるかと思ったのに」

庄司は入口で蹲っていた体制からやっと立ち上がると、どこもかしこも懐かしいその店内を見渡しながらカウンターへと近づいていった。
店同様、一切の変化を見せていないその店主の姿。店主は白髪のメガネをかけている老人で、それはどこか浮世離れしたような風体であった。

「じいさん」とは言ったが、庄司は彼が一体何歳なのか、当時から知らなかったし、知ろうともしなかった。そのせいで、「まさか、ここだけ時が止まっているのでは?」なんて荒唐無稽な考えが頭を過る程、此処は昔と変わらなかった。

「お前こそ、そんなナリして今も高校生という訳じゃなかろうな」
「ぐ」

先程から、庄司は店も店主も変わらない変わらないと内心のたまってきたが、確かに店主の言う通り、自身の姿を他者が見れば一番変わらない″かもしれない。

しかし、十数年前にアルバイトをしていた人間が、まるきり変わらぬ制服姿で現れて、動揺もしなければ、一度だって本から顔を上げてこない、この落ち着き方はまるで仙人かなにかのようだ。
そう、確か十数年前の庄司も店主を仙人ではないかと探りを入れた事があった。まぁ、鼻で笑われ軽くいなされて終わったが。

「俺も良い年だし、色々あるんだよ」
「年を取ると、学生服を着て警察に追い掛け回られるような?色々?が起こる訳か。残念だが、私もお前よりは長く生きてきてはいるが、その経験はしたことがない。経験不足に頭が上がらないよ」
「いや、そろそろ本から頭を上げろよ、じいさん」

この皮肉も全然変わらない。
庄司は思わず笑ってしまうと、カウンターの店主の前の席に座り、言った。

「アメリカンを1つ」
「……金は持ってるんだろうな」
「いや、持ってるよ。俺を何歳だと思ってんだ。じいさん」
「その格好で何歳か聞かれて正しく答えられるヤツが居たら見てみたいものだよ」
「あーもう!わかったよ!持ってる!持ってます!俺ももう29歳でちゃんと働いてるよ!ほら財布!」

庄司は半分笑いながら、カウンターに財布を叩きつけた。そこでようやく財布へと動く店主の視線
。仙人めいた風貌で、金にはがめつい。がめつい癖に、こんな寂れた店を変わらず営み続ける。ちぐはぐだが、その筋の通らなさすら、懐かしかった。

「昔のツケもついでに払っていけよ」
「一回もツケでなんて飲ませてくらなかっただろうが!シレっと事実捻じ曲げんな!」

毎度、バイト代から引いていたくせに!
庄司の笑いを含んだ言葉に、ようやく店主は本を置いた。本に珈琲がかかってしまっては大変だ。本日初の客に珈琲を淹れる時がきたのだから。



     〇




「なぁ、じいさん。俺のこの格好の事、聞かないのか?」
「お前は昔からバカな事ばかりしていただろう。今更なんの事がある」
「バカな事かぁ」

庄司は珈琲を口につけながら、店主の言う昔を少しだけ思い出した。バカな事、とは皆目見当もつかないが、ひとまずあの頃の庄司はやりたい事″はきちんと余す事なくやっていた。
それをバカな事、と称するならば、きっと今のコレもそうだろう。

ただ、あの頃のように突き動かされるような衝動が今は少なくなってきた気がする。
このハロウィンによる仮装だって、やりたい事というよりは、なんだろうか。きっと逃げの一種のようなものであった。

いつしか当たり前になっていた代り映えのない、閉塞感のある日々から庄司は逃げたかった。逃げた先がこの制服を着た時代であるならば、きっと庄司は無意識にこの頃の自分に戻りたいと願っていたのだろう。

そんな庄司を店主は一つ息をついて肩をすくめると、カウンターの内側、足元にまで及ぶ本棚から数冊の雑誌を取り出した。

「ここはブックカフェだ。本を読め」


BRUTUS(ブルータス)
それは、昔から庄司が好きで読んでいた雑誌の1つだった。月2回刊行されるソレは興味深い特集の目白押しで、ページをめくっては心を躍らせたものだった。大人になったらコレをやろう、こんな事だって出来る。お金があれば、大人にさえなれば。


(大人になったのに、1つもやれてねぇな)


差し出された雑誌の懐かしいバックナンバーに、庄司は店主から全てを見通されているような気がした。
目の前には、ブルータスが定期的に特集するテーマである「読書」や「珈琲」「写真」「建築」他にも様々な特集のバックナンバーが山積みにされていた。これを読んで当時の庄司は今の自分に出来る事はないかと頭を悩ませていた。

「そう言えば、あの頃は色々やってたような気がするなぁ」
「自分の事なのに他人事のようだな」
「いや、10年以上前の事だし、あんまし思い出せないんだよ」
「はっ」

はっきりと鼻で笑われた。
昔のバイトとは言え、今は客だというのに。確かに10年前など、きっとこの仙人には昨日のような感覚なのだろう。

「なぁ、じいさんって何歳なの」
「…………」
「無視かよ」
「いいから、本を読め」

店主の視線は完全に先ほどまで読んでいた本へと戻っていた。ちらりと見た背表紙から推測できるのは最近出たばかりの話題書だという事。ピンクの表紙に勢いのあるタイトルは、確か最近芥川賞を取った本ではなかっただろうか。

「(ほんとに何でも読むんだよな、このじいさん)」

店主の見た目から想像すると、一見堅苦しい本ばかりあるのかと思えるこの喫茶店の本棚だが、その種類は幅広かった。
確かに倫理学や、古典、歴史書のような本もあるが、その隣には若者向けのメンズ雑誌や、ゴスロリ服の専門誌、果ては週刊の漫画雑誌も置いてある。更に奥の壁にはサーフボードが掛けてあったりと、本当に無秩序だ。
唯一なかったのはエロ本位だっただろうか。いや、隠しているだけかもしれないが。

「(そういえば、俺、このじいさんに憧れてたんだよな)」

そう、この店主の興味の幅の広さや、喫茶店の店内に憧れて庄司は高校時代色々と奔走したのだ。先ほどまでモヤがかっていた十数年ぽっちの過去が、この喫茶店とともに少しずつ明るみに出てきた気がした。

無意識に恰好だけを高校時代という戻りたかった過去へと似せてきたが、ここへきてやっと中身が追いついてきたようだ。

庄司は仮装初日に感じたような酩酊感でも、今朝がた感じた慣れからくる持て余し感とも違う、なんとも心地よい感覚を得ながら、雑誌に手をかけた。


その瞬間だった。


庄司の携帯が短く鳴る。ちらりと見てみれば、相手は先ほどふざけた写真を送り付けた相手。山戸伊中であった。

「ぶはっ」

庄司は伊中からのメッセージと共に送られてきた画像に思わず吹き出した。


【ひまだ】


先程、庄司が相手に送ったままの文章と、同じように寂れたポルノ映画館のポスターの前で笑う伊中の姿。貰ってみて分かったが、これはとてもヤバい。
面白過ぎる。シュールにも程があるではないか。

庄司はすぐに自分も、自撮りで自身の笑顔と店主をバックに写真を撮ると、すぐに伊中に返信した。勝手に写真に撮られた事に、眉を顰める店主の事などおかまいなしに、庄司は笑って言った。

「じいさん、友達も来るから。もう一杯アメリカン用意して」
「金は」
「あるから!」

やっぱり、ハロウィンをして、ここに来て、良かった。
庄司は心の底から思った。







庄司から送られてきたメッセージと写真に、伊中、いや宮古は息を呑んだ。

そこには、宮古もよく見慣れた店内が映っていたからだ。そこは夜な夜な行く場所が無くなった、宮古やその仲間たちが最後に行きつき、たむろする店だった。

正直、不良と呼ばれる自分たちには似合わない程、本に満ちた場所であったが、その店だけが、まだ家には帰りたくない自分たちを受け入れてくれる唯一の場所でもあった。

「(あの店、俺達以外にも客はいたのか……)」

失礼極まりない衝撃を受ける宮古に、更に小さな混乱をもたらしたのは庄司からのメッセージだった。


【早くその場を離れろ!捕まるぞ!金平亭に来い!】


 メッセージの下にはマップが添付されている。確かに商店街の端の端の裏にあるような、あの店の存在をお互いに知っているとは思わないだろう。それにしても、捕まるとはどういう事だろうか。

宮古がそう思った瞬間だった。


「また紀伊国屋の生徒か」
「は?」


振り返ったそこには、宮古達が普段からよくお世話になる制服の人間が立っていた。所以、警察官という職業の大人だ。


「あそこは真面目な生徒が多いと思っていたが。さぁ、今は学校の時間なのに、こんな場所で何をやっているのかな」
「…………」


まずい。
普段ならの宮古の姿で捕まるならばまだしも、今は弟である伊中の姿カタチをしているのだ。捕まれば弟に迷惑をかけることになる。
ましてや、今年は高3。もうすぐ受験だ。

学校をサボって、こんな寂れたポルノ映画館のポスターと共にツーショットを撮っている最中に警察のお世話になっては、弟の名誉は棄損どころか、粉砕してしまう。

【早くその場を離れろ!捕まるぞ!金平亭に来い!】

そのメッセージの意味をようやく理解すると、宮古は庄司とは違い、軽やかに駆け出した。
警察を走って撒くなど、体力の有り余る現役高校生にはお手の物である。
弟の名誉がかかった逃走劇だったが、宮古は走りながら込み上げてくる笑いを抑えられなかった。

「ははっ、なんだこれ!」


宮古は余裕で風を切って走ったのであった。



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