風を切って歩け
10月27日
橘 庄司はブラブラしていた。
どこを。
母校である紀伊国屋高校の最寄駅である駅前を抜けた先にある、一番街商店街を。
「……暇だなぁ」
庄司は、心底暇を持て余していた。
○
庄司は2日前より、過去、自身の通っていた紀伊国屋高校の学生服を身に纏い、29歳でありながら高校生に成りきって生活をしていた。
理由は簡単である。
そう、もうすぐハロウィンだからだ。
まぁ、この理由を簡単に理解できるかどうかは人によるが。
それは、サラリーマンとしてスーツを身に纏い会社に出勤する毎日とは比べ物にならない位、新鮮で、そして面白おかしかった。
しかし、庄司は結局その2日間を、母校たる紀伊国屋高校で過ごす事は叶わなかった。
初日は不良に絡まれていた橘 伊中という高校3年生の青年を助けたため。
そして2日目の昨日は痴漢に合っていたOLを、痴漢の魔の手から助けたため。
こうして文章として羅列すると、庄司の行いは善の所業であり、あたかも日々が勧善懲悪の毎日のようだ。
しかし、それは橘庄司という男が正義感に満ち溢れた、心の優しい男であったからではない。
庄司は高校生の仮装をし、気分よく風を切って歩く事に対して、少しばかり酔っていた。
酩酊していたのである。
酒に酔えば、気持が大きくなる。
気持ちが大きくなれば、行動が大胆になる。
後先を考えたり、細かい事を気にしなくなる。
そうして、“いつも”とは違った自分の行動に出れるようになる。
そんな仮装による気持ちの高揚からしでかした所業が、たまたま人助けになったのだ。
しかし、仮装も3日目ともなると心も落ち着いてくる。
前日までのような駆けだしたような気持ちは治まり、今日こそはと庄司は落ち着いて、母校、紀伊国屋高校の門をくぐった。
最初は教師や他の生徒から、自身の正体を見破られるのではという緊張と恐怖が庄司の心の中にもあったのだが、それはすぐに消え去った。
庄司の事など、誰も気にしてはいなかった。
拍子ぬけなほどに、本気で、誰もが、29歳サラリーマンコスプレイヤーに不審な目を向ける事はなかったのだ。
「……え、むしろ大丈夫かよ。この高校」
庄司は母校の危機管理システムに衝撃を受けつつも、懐かしさを胸に校舎のあちこちを散策した。
教室、図書室、体育館、廊下。
それら全てが何の変哲もないものでもあるにも関わらず、しかし庄司には胸の張り裂けんばかりの懐かしさを覚えた。
「(ひゃっほ〜い)」
表面上は何食わぬ顔でフラフラする生徒の一人でありながら、心の中では草原を駆けまわるわんぱく少年になり下がっていたのだ。
しかし、その高揚も長くは続かなかった。
「…………飽きた」
すぐに飽きた。
なにせ、特に授業を受けるでもなく校舎をあちこちぶらぶらするだけなのだ。
生徒の格好はしていても、庄司の所属するクラスはない。
ここに、庄司の居場所はないのだ。
高揚感だけで校舎内を散策して楽しむのも、1時間が限界というものだ。
庄司は最後に校舎のあちらこちらで懐かしい校舎の写真を撮り歩きながら、紀伊国屋高校を後にした。
「ほんとに大丈夫かよ、この学校」
29歳サラリーマンコスプレイヤーは最後に母校を振り返ってそう思った。
母校のセキュリティは最後まで穴だらけである。
○
そんな訳で、庄司は高校の制服を見に纏ったまま紀伊国屋高校から最も近い繁華街である一番街へ来ていた。
時刻は11時30分。
少し小腹がすいてきたかなという時間だ。
「久々にあずま屋のラーメンでも食うかー」
庄司は商店街のアーケードをぶらつきながら、そう、一人ごちた。
そう言えばこの商店街も高校生の時ぶりと言う訳ではないが、なかなかに懐かしい。
さすがに庄司が学生の頃とは多少の変化がみられるものの、劇的なまでに変わってしまっているわけではない。
そう思うと、このアーケードもなんだかワクワクする。
思い出の地は此処にもあったのである。
「そう言えば、この通りの脇にポルノ映画館あったよなぁ〜」
鼻歌を歌いたい気分だ。
スキップをしたい気分だ。
なので、どちらもした。
しかし、ポルノ映画館は既になくなっていた。
「…………うむ」
ただ、時代を感じるエロいポスターだけは薄汚れつつも健在していたため、思い出の一つとして写真を撮っておいた。
「…………もう一枚撮っておこう」
今度は自撮モードでポスターとツーショットしてみた。
上手く撮れた気がする。
高校生の頃は、何度か入ろうと前をウロウロした事があったが結局入れずに終わったその映画館。卒業したら絶対に見に来てやろうと意気込んだあの若かりし頃は、まだ携帯機器など持っておらず、エロ本を入手するにも一苦労であった。
今やクリック一つで動画だって見れる時代だ。
そりゃあポルノ映画館の需要もなくなろう。
『卒業したらぜってー来ようぜ!』
今やエロもワンクリックだ。
そのせいで、絶対に見に来てやろうという高校時代の強い意気込みすら、今の今まで忘れていた。
「せつねぇ」
庄司は元ポルノ映画館跡の薄汚れたポスターを前に、妙に切ない気持に襲われた。
一度くらい、大画面で見てみたかった。
襲われたついでに、撮った画像を伊中に送ってやった。
昨日、一緒に学校をサボって公園で遊んだ仲なので特別だ。
「……え、マジで切ない」
あられもない女のポスター1枚でこうも切なさに襲われる事に庄司は心底戸惑っていた。
母校を探検した時よりも感じる強い郷愁。
このエロいポスターには庄司の青春が詰まっているとでもいうのか。
入りたくても入れなかったという無念が、まさかこんなにも10年後の庄司に強い感情を呼び起こさせるとは。
男子高校生という生き物の業の深さを、庄司は感じずにはおれなかった。
業の深さを感じまくっていたせいで庄司は気付くのが遅れた。
「キミ、一体ここで何をしている」
「え?」
背後に立っていた、警察官に。
「その制服、紀伊国屋の生徒だね。今学校の時間なのに、こんな場所で何をやってるのかな」
「…………」
何ってエロいポスターを携帯のカメラで2回程撮っていたのですが。
とは言えない。
言わなくても分かるだろう。
「(やべえええええ)」
見たところ、この警察官は庄司と同じくらいの年齢だ。
「(に、逃げないと)」
精悍な顔つきで、さぞ身体能力も高いことだろう。
運動不足のサラリーマンが現役警察官に敵う筈もない。
しかし、それにしたって庄司はここで諦めたら試合終了どころか人生終了だ。
何と言っても庄司は29歳サラリーマンコスプレイヤーであり、持っている携帯の画像フォルダには母校の懐かしき写真が数々保存されている。
そこから推測されるその後の庄司の人生に、きっと笑顔はない。
滅びるのだ。
「バルス!!!!」
「は!?」
庄司はともかく叫ぶと、警官の脇をすり抜け駆けだした。
「ひぃぃぃぃ!!」
背後から「待ちなさい!」という警官の叫び声が聞こえるが、待つ筈がない。
庄司は久々の全力疾走に足を吊りそうになりながら、とにもかくにも全力で走った。
そして、チラリと振り返り、警官が居ないのを確認するとスルリと商店街の脇に入った。
確かこの先には、庄司が高校時代バイトをしていた喫茶店があった筈だ。
そこの爺ならば、この庄司の状況を知ればしばらくかくまってくれるであろう。
「頼むから居てくれよ!じいさん!」
庄司は少しだけ泣きながら裏道を駆けた。
29歳。
まだ、人生を諦めたくは無い。
○
「(暇だ……)」
伊中に化けた宮古は午前の授業を受けながら、ひたすらボケっとしていた。
教師が何か説明してはいるが、宮古には一切理解できない。
理解できない事は楽しくない。
つまらない。
宮古は小さく欠伸を噛み殺しながら、それでも必死に教科書を見ているフリをしていた。
「(……庄司、何組っつってたっけなぁ)」
宮古は教科書を見ながら、飛びそうになる意識を必死に保ちながらそんな事を思った。
昨日は庄司と公園で遊んだ。
高校生にもなって何故公園なのかと問われれば、それはもうノリとしか言いようがない。
いつもは居りない駅で降りて、他者からの興味本位の視線に耐えかねホームを駆けだしてからのあの1日は、今思い出しても笑えてくる。
滑り台に、ブランコに、鉄棒に。
宮古は庄司と見事にそれらを使って目一杯遊んだ。
笑い過ぎて顔が痛くなるほど笑った。
庄司という男は本当に掴みどころのない不思議なやつだ。
そう、宮古は思う。
昨日も、痴漢被害にあっていたOLを助ける為に、何故か自分が痴漢の被害者だと声高に叫んだというのだから意味が分からない。
「(そういや、俺を助ける時も、金、出してたよな)」
庄司は少しおかしい。
ズレていると思う。
そして、だからこそ宮古は思う。
「(アイツ、あぶねぇ)」
そう、庄司という男はとても掴みどころがなくフワフワとしていて危なっかしい。
風船のようなやつだ。
だからこそ、傍に居て腕を掴んでいなければそのままフワフワと空に舞い、カラスや電線に割られてしまいそうだ。
「(今日は学校来てるよな、庄司)」
一緒に帰るように連絡をしよう。
宮古はそう思うや否や、机の下から携帯をしのばせた。
しのばせた瞬間、携帯にメッセージが届いていた。
【ひまだ】
その簡潔なメッセージと共に送られてきたのは、一番街商店街の元ポルノ映画館跡地にある風化しかけのポスター画像だった。
否、ポスターと共に写る笑顔の庄司の画像だった。
「ぶはっ!」
思わず吹いた。
吹き出した。
一体何をやっているのだろうか。
暇だからと言ってやることが、これなのか。
とんでもないやつだ。
そして、その画像を見て宮古は確信した。
「(庄司のやつ、今日も学校来てねぇな)」
そう確信するや否や、宮古は立ちあがった。
シンとする教室で突然吹き出し、立ちあがった紀伊国屋高校の生徒会長
の、兄。
山戸宮古は携帯をポケットにしまうと高らかに言った。
「お腹が痛いので、帰ります」
宮古は呆然とするクラスメイトや教師を尻目に、教室を出た。
宮古もまた、風を切って学校を飛び出したのである。
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