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風を切って歩け
同日




山戸宮古は今日も双子の弟である“伊中”の姿に化けていた。



現在“伊中”に化けた宮古は、朝きちんと起きて、制服に袖を通して、学校へ向かっている最中である。

昨日、弟である伊中に、もうしばらく互いに変装して過ごそうと提案してから、宮古に化けた伊中は早速家に帰って来なくなった。
確かに、宮古は宮古をしている時、家に帰らない事が多かった。
別に家が居づらいからという訳ではなく、仲間達とツルんでいると自然とそうなる事が多かっただけだった。
故に伊中の不在に不審さは全くなく、逆に自然だった。

昨日の電話から察するに、どうやら伊中も“宮古”を大いに楽しんでいるようである。
チームの仲間から宮古の携帯にいくつかメッセージが来ていたが、どれを読んでもしょうもない内容ばかりであった為、返信していない。
どうやら伊中に勉強を見てもらっているらしかった。

「……馴染み過ぎだろ」

両親も普通に二人が入れ換わっている事に気づいていない。
紀伊国屋高校の連中も宮古の事を“伊中”だと認識したまま気付かない。
チームの仲間達も伊中と楽しそうにしている。

「そんなもんか」

案外、自分という存在がそこまで他者に影響を与えていなかった事実に、宮古はじんわりと戸惑いを覚えていた。
しかし、それは特にネガティブな戸惑いではなかった。

「そんなもんかぁ」

宮古は戸惑いながらも、駅へと向かう道のりをぼけっと歩く。
歩き続ける。
朝の澄んだ空気を、きちんと睡眠を取った体で歩くと言うのはなかなか気持ちの良いものだと、宮古は昨日、初めて知った。
通常ならば朝帰りで、気だるい中を歩いていた道のりだったので、その差は歴然である。

「(やっぱ、夜は寝たほうがいいな)」

そんな当たり前の事を、澄んだ空気感の中歩きながら思う。
すると、先程までじんわりと戸惑っていた「自分の存在の影響力の希薄さ」という事についても、なんとも好ましく思えてきた。

「かるい」

全国の不良達の集まる私立蔦谷学園、現生徒会長。
それは、数百の不良高校生達のトップに立っているという事だった。

「かるい!」

そんな肩書も今やペラペラと薄っぺらく、とても“肩の荷”が“肩に乗る小鳥”になったようだ。ほっておけば肩から飛び立って自由にどこかへ行ってしまう。
そんなものなのだ。
自分が思っているほど他人は自分の事など気にしてないし、求めていない。
そんな一見ネガティブなポジティブで、宮古は思わず走りだした。

軽い事が嬉しかったのだ。

『また、明日な』

そして、そんな軽い中で昨日出会った橘庄司という一つ下の後輩を思い出してさらに、宮古の足は軽くなる。

橘庄司は面白い奴であった。
絡まれていた宮古に何の躊躇いもなく寄って来たかと思えば、特に宮古に恩を売るわけではなく、軽く笑うだけだった。
庄司はふわふわと掴みどころのない奴だ。
庄司の笑顔や行動には、何故だか“しがらみ”を感じない。
だから、ふわふわとしたように感じるし、掴みどころがなく要領も得ない。

庄司は宮古にとって、最も好ましい軽さを持っていたのだ。

「混んでんなぁ」

宮古は軽い足取りで駅まで到着すると、伊中の定期をかざし改札をくぐる。
満員電車など乗るような時間に電車に乗った経験のない宮古にとって、人の多い電車というのも新鮮で面白かった。
しかし、まさかたまたま乗った車両で痴漢騒ぎが起こるとは思わなかった。

そして、その渦中の人物が橘庄司であるなんて、まさか思い至ろう筈もなかった。


   ○


「お前、何やってんの」
「学校行こうと思って電車乗ってた」
「え、え、えぇぇ?」
「朝から嫌なもんみたわー」

庄司は伊中に手を掴まれたまま、しばしその場でもごもごしていた。
まさか、昨日別れた一期一会な相手と早速朝から再会しようとは思いもよらない。
二人が乗っていた電車は既に発車し、二人は誰も居ないホームにポツンと取り残されていた。

「ちょっ、待て待て。とりあえず。座ろ」
「あー、おっけおっけ。座ろ」

伊中の提案で二人は手を繋いだまま、駅のホームに等間隔で設けられたベンチに腰掛ける。
二人共そうであるが、閑散としたこの名も知らぬ駅では初めて下りる。
ベンチの足の下からは草が生え、本気で二人の他には人が居なかった。

「え、庄司お前なに、痴漢されてたの?」
「なわけない。誰も男子高校生のケツなんか触るわけがない」
「いやいや、だってさっきケツ触られたっつってただろ」
「なわけなーい」

庄司はどこかオロオロしながら尋ねて来る伊中に、何だか急に笑いたくなった。
笑いたくなったので、その気持ちに従いケラケラと笑い始めた。
先程まで、腹立ちやら悔しさやら嬉しさやら、様々な想いがぐちゃぐちゃにないまぜになっていたのだが今ではもう「笑い」しかない。
庄司のぐちゃぐちゃの感情は、どうやら目の前で戸惑う伊中によって吸い取られてしまったようだった。

そして、未だに伊中によって繋がれたままの己の手を見つめ、庄司ははたと思いついてしまった。

「伊中、ちょい立って」

庄司は伊中の手を握ったままそう言うと、自分はベンチから立ちあがった。
未だに座ったままの伊中は、庄司にひっぱられ手を上げた状態で固まっている。

「は?」
「ほら、立てって」
「いや、てかじゃあ痴漢は?」
「後で話すから、立てってば!」

それにしても痴漢の話はどうなったのだろうかと、伊中は内心はそればかりが気になって仕方がなかったのだが、今は立つしかないようだった。
何やら悪戯でも思いついたような表情の庄司に、伊中は少しばかり警戒しながら立ちあがる。

「立ったけど?」
「ほいほい」

手を繋ぎ、そして並んで立つ二人の学ランを着た男子高校生。
傍から見たら一体どういう風に見られるのだろうかと、伊中は静かに思う。
そんな伊中の心中など知ってか知らずか、庄司は自分達が先程乗っていた電車の向かった方向へと向き直ると、繋がれた手を自分達の体に水平に伸ばす。
そして。

「バルス!」
「っぶ」

その瞬間、伊中は庄司のやりたかった事を理解し、そして余りのしょうもなさに思わず吹きだした。

『バルス』
それはスタジオジブリのアニメ映画作品である『天空の城ラピュタ』の終盤で登場する“滅びの呪文”であった。
しかし、それは主人公とヒロインが陰謀をたくらんでいた相手に使うものであって、今の二人に“敵”は居ない。
敵どころか、此処には誰も居ない。

「俺達って何を滅ぼしたワケ?」

伊中は未だに繋がれた手を面白おかしく見つめながら、庄司を見た。
すると、庄司も笑いながら伊中を見る。

「そりゃあもちろん痴漢野郎だよ」
「よくわかんねぇけど、滅びたんじゃね。無事」
「いや、ちょっと不安だからもう一発やっとこうと思うわ。今度は伊中も一緒に御唱和下さい」
「ええええ。じゃ、俺がパズーで」
「え、じゃあ俺シータ?」
「お前が痴漢被害者なんだろ?だったら庄司がシータ」
「まぁ、ちげーけど了解した」
「……つか、俺ラピュタの主人公の名前が意外にもするっと出てきた事に感動してんだけど」
「わかる。俺も自然とヒロインの名前出てきたの若干感動してる」
「じゃあいこうか。シータ」
「わかったわ、パズー」

では、せーの。

「「バルス!!」」

カシャ。

二人が同時に過ぎ去って行った電車に向かって滅びの呪文を唱えた瞬間、シャッター音が閑散としたホームに響いた。
二人は同時に音のした方を見ると、二人とは反対ホームに立っていた一人の女子高生が、黙って携帯のカメラを向けていた。

カシャ。

何故かトドメのもう一発。
いつの間に人が居たのか。
いつからそこに居たのか。

同時多発的に二人が思う事は同じであった。
そして、次の瞬間二人が取った行動も同じであった。

「ばっか、もう!お前、ばっか!お前ほんと!」
「伊中先輩がやろうって言ったんじゃないっすか!先輩命令だったんで逆らえなかったんじゃないっすかぁぁ」
「はいはいはいはい、きました。きました。庄司がやろうっつったんだろうが!この人ですから!やろうって言ったのこの人!」
「とか言っちゃってー!先輩の発案っすよ!?俺巻きこまないでほしーな!伊中せんぱーい!」

わざと大声で互いに罪をなすりつけ合う。
そんな二人に、向かいのホームに立つ女子高生はクスクスと笑い、絶賛なすりつけ合う二人はジワリジワリとホームから移動した。
そして、階段の近くまで移動した瞬間、二人は走って階段を下りた。

「っぶねー!危うく俺のせいだと思われる所だったー!」
「いや!?お前のせいだから!庄司!?お前の罪だからな!?」
「伊中が止めてくんねーから俺らが滅びちゃったじゃねーかよもう!」
「俺とばっちりじゃねぇか!あれ、ぜってーツイッターとかに載せられるパターンだからな!?あーもう!」

互いに文句を言いながら、しかし二人は既に爆笑していた。
走って階段を下り、改札まで走る。
見ず知らずの駅の改札をくぐるその瞬間まで、伊中も庄司も互いに手は離さなかった。

愉快で、愉快でたまらない。

「あははははは!!」
「伊中!?爆笑し過ぎだから!?ぶはっ」

肩に乗る小鳥よりも、“伊中”は……いや宮古は今、身軽だった。
共に笑いながらどこへなりとも走る庄司を追いかけながら、宮古は思った。
こんなに笑ったのはいつぶりだろうか、と。
最早、爆笑なんて数年単位でしていない。
これは、大袈裟でもなんでもなく事実だった。

「(俺って、こんなに笑うヤツだったのか!)」

それもその筈、私立蔦屋学園の山戸宮古といえば、クールで無表情、何に対しても感情を表に出さない鉄仮面として有名であった。



     ○
    


「なぁー。伊中」
「なに?ほら、まぁたソコ間違ってる。そこは正弦定理だってば」

伊中。
そう呼ばれる、髪の真っ赤な男子高校生は、同じく色とりどりの頭をした男子高校生に向かって教科書を突き出していた。
それは一見普通の学生達の行う勉強風景のようであったが、その場所は学校ではなかった。

「なんかさー。クソ不思議―。あの鉄仮面宮古に勉強習ってるみたいでー」
「あーもう、だからそこは主語が三人称単数だから!動詞はそこにはこないから!」

伊中。
山戸伊中。
それは現在“宮古”に成りきっている本物の伊中であった。
そして、現在、伊中の居る場所は商店街の端にある古ぼけた喫茶店である。

「伊中―。ぜんぜん、宮古から返信こねーんだけどー。アイツ学校で喧嘩でもしてんじゃねーの?」
「え?喧嘩するなって言ってあるから、多分それはないと思うんだけどなぁ」
「いやいやいや、伊中!お前のにーちゃんの無表情の下に隠れた手の早さを舐めたらいかんぜよ!」

その古ぼけた喫茶店の中には、店が今や満員になる程の不良達が所せましと居座っている。
店主と思わしき人物はそこにはおらず、最早、皆好きな場所で好きなようにやっている。
中にはソファで眠りこけている者までいる程だ。

「そりゃあ、確かに喧嘩っぱやいけどさ。宮古だってなんか俺の姿でやりたい事あるみたいだったし、そんなんで喧嘩なんかしないよ」
「そこだよ!俺はお前らが入れ換わったって聞いて、宮古はすぐ優等生なんてやれずに帰って来るって思ったんだよ!」
「賭けてたよな!俺ら!1日で帰って来るって!」
「はぁ?俺の兄さんで賭けなんかしないでよ」

伊中は周りで慣れない手つきでノートに問題を解いて行く不良達を見渡しながら、昨日の宮古の電話口での声を思い出した。

『今日だけじゃなくて、もうしばらく入れ替わるか?』

宮古にしては珍しくはしゃいだような声だった。
他人からは無表情だの無感情だとの言われる宮古だったが、それは真実ではなかった。
宮古は感情が表に出にくいだけで、確かにちゃんと感情がある。
むしろ豊かな位だ。
しかし、表情を表に出すのが得意ではないと幼い頃からのたまっていた宮古は、その言葉通り表情の乏しい子供だった。
宮古の感情を正しく読み取れるのは、家族でも伊中くらいのものだ。

そんな宮古が、あの電話口では誰がどう聞いても分かるくらいはしゃいでいた。

もともと、入れ変わろうと提案してきたのも宮古だった。
何が彼にそうさせたのか伊中にも分からない。
けれども、それを提案してきた時の宮古はどこか疲れていたようであった。

だから、伊中は頷いた。
自分からこうして弟である自分に何かを提案してくる事など、子供の頃以来だったから。
けれど、頷いて正解だった。

「きっと、宮古も今頃楽しく遊んでるんだよ」
「はぁ?マジで?」
「ナイナイナイ。多分家でずっと寝てるか、喧嘩してるかのどっちかでしょー!」
「つーか、宮古って家で笑ったりすんの?」
「ナニソレ!ちょー気になる!伊中!どうよ!?」

その問いが放たれた瞬間、勉強したり寝ていた不良達の視線が一気に伊中に向けられる。
その状況に、伊中は苦笑する。
一体、自分の兄を何だと思っているのか。

「笑うよ、笑う」
「マジで!?」
「うっそだー!?」

驚きの声が不良達から一斉に上がる。

「(まぁ、心の中で、だけど)」

伊中はクルリと手に持っていたシャーペンを回すと、髪を真っ赤に染め上げ“宮古”になりきったその姿で、不良達に向かって満面の笑みを向けてやる。

「にこ!」

その瞬間、古い喫茶店の店内に「うおおおおお!」と言う歓声が上がったのだった。






10月26日
ハロウィンまであと5日

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