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風を切って歩け
同日



        〇



橘 庄司は歓声を上げた。


「「「「おわったぁぁぁぁ!」」」」

17時。市内某所ビル。

そのビルのオフィスの1室で、まるで高校生の体育祭や文化祭の準備を今しがた終えたようなテンションの大人達の歓声が大きく響き渡った。しかし、中には歓声を上げる事なく机上に突っ伏して動かなくなった者も居る。

庄司は今のところまだギリギリ20代という事もあり、致した行動としては前者の歓声の方であった。しかし、体力的には今にも布団に倒れ伏したい気分ではある。何徹もして遊び回っていた20代前半と今では、何がどう違うというのだろうか。
これが確実なる“老い”というものか。

「やっと、やっと…」

一時は最早無理かと思われた顧客全員分の控除証明書の封入封緘作業は、今、こうして無事全てを終える事が出来た。

これで明日、無事に全て郵送に回せる事だろう。

「さて、さっさと片づけて帰りましょうか」

庄司はやり遂げた感動もそこそこに、誰よりも早く段ボールに封をし始めた。やる事はやったのだから、早くここから出なければ。外を見ると17時を回ったばかりだというのに、既に薄暗い。
さすが、明日から11月だ。

庄司は自身の携帯を立ち上げると、そのまま伊中とのメッセージルームへと飛んだ。飛んだ瞬間、何故かブレブレの写真の中で警官から追いかけられる伊中の姿。

「ぶはっ」

何度見てもこれは笑うしかない。これは一体どういう状態だよと心底ツッコミたい気分だったし、実際メッセージでも「何やってんの!?」と突っ込んだ。しかしその庄司のツッコみに対し、伊中からの答えはハッキリ言って意味がわからなかった。

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8542円しかなかった。ごめん
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「何が?」とはもう聞かなかった。否、聞けなかった。封入封緘作業はそこから苛烈に佳境を極め、最後は皆一刻も早くこの作業を終わらせてやるという使命感で、心を一つにしたのであった。
そのお陰もあって17時という、比較的予想より早い時間に全てを終えることができた。人間、やろうと思えばなれるものである。

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18時に金平亭に集合
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そう、庄司が手早く伊中へのメッセージを打ち込んだ時。先ほどまで屍と成り果てていた部長の日比谷が急に体を起こした。

「飲み行くぞ!今日は私が全額持つ!!」

その瞬間、営業部全員から歓声が沸いた。皆、一つの困難を乗り越えたという一体感により既に酩酊状態になっているようだ。普段なら部長の飲みの誘いなど、足蹴にする女性陣もこの時ばかりは「全額私が持つ!」という熱い部長の男気により「日比谷部長サイコー!」などと調子に乗せる始末。

正直、こんな作業を終わらせ明日からまた1週間という状態で、何故に皆こんなに元気なのか一切の理解に苦しむところだ。日比谷などはつい先日50代に入ったばかりなのだから、早く帰っていち早く寝ろといいたい。人間これまで生きて来た人生の中で、今が最も年老いている瞬間なのだから。

「あ、俺は予定あるんで失礼します」

庄司は何かと突っ込まれる前に、そそくさとコートを羽織り鞄を持った。

「ちょっ、ちょっ!空気!空気!」
「いや、こんな有休中の休日出勤に応じただけでも空気読んだと思いますよ、俺」

日比谷の悲壮感漂う呼びかけに、庄司の一切の心は揺るがない。他の日ならばいざ知らず、今日はこれから伊中に会うのだ。ポケットの中の携帯が震える。あぁ、きっと伊中からの返事に違いないだろう。

「せめて一杯だけでも!ね!?」
「そうですよ、日比谷部長の奢りですよ!?」
「いや、だから俺。この後予定あるから」

同僚達からの呼びかけに、半分携帯を見ながら庄司は答える。やはり伊中からの返信だ。『了解』と一言だけきたメッセージに、庄司はすぐに携帯をポケットへと仕舞い込んだ。
その庄司の様子に、ぶーぶーとブーイングを上げていた同僚達の一人が口をついて叫んだ。

「もしかして!彼女か!?恋人か!?」
「え!?橘さん、恋人居たの!?」
「確かに今日、何回もニヤニヤした顔で携帯見てましたもんね!」
「オメデトウ!」

ワラワラと周りに群がりだす同僚達。刻一刻と迫りくる電車と約束の時間。そして、そんな同僚達の後ろでは「結婚式のスピーチはもちろん私に頼むんだよ」と、スピーチ権を確保してこようとする上司の日比谷。

庄司は分かっていた。
この同僚達に、果ては上司までもが、庄司に恋人という存在が居るとは本気で思ってはいない事を。そう、この「橘さん、ソレって恋人ですか?」ネタはよく飲み会で庄司を最大限イジる時に使用してくる鉄板中の鉄板ネタだ。庄司が異性に圧倒的にモテない事などは、この部署では皆が把握済だ。

「(コノヤロウ)」

否、モテないのではなく、それ以前の問題なのだ。
庄司は異性相手で、かつ相手との立ち位置が恋愛へ移行してしまうと、途端にデクの坊になる。それはもう緊張し過ぎてしまい、仕事でのように流暢に話せなくなってしまうのだ。

それもこれも、高校時代初めて出来た彼女に「庄司君って、学校では面白いけど二人の時はめっちゃつまんないよ」と裏で友人達に盛大に話しているのを偶然聞いてしまい、挙句の果てにその次の日にフラれた事の後遺症と言ってよかった。

しかも、以前この話を酔った勢いのまま飲み会で話してしまったせいで、今や会社中に広まってしまっているのだからたまらない。蛇足だが、この高校時代のしょっぱい思い出は日比谷の庄司お気に入りエピソードその1でもあった。

「(……コノヤロウ)」

庄司は「ふう」と、疲れ・焦り・煩わしさその全てを吐きだすように深く息を吐いた。

「橘先輩!彼女さんってどんな人ですかー!?」
「……ひみつ」

そう、庄司はその一言と共に意味深にニコリと笑うと、ひらりと上着をなびかせて同僚達に背を向けた。いつもならば、ここで庄司が架空の彼女についてペラペラと口八丁手八丁で語るのだが、そんなサービスしてやる暇はない。

正直、有休最後の2日間を潰され、庄司とて腹が立っていない訳ではないのだ。
庄司は後ろで手に戸を閉めた向こうから「マジで!?」と大騒ぎし始めた同僚達に、小さくほくそ笑むとそのまま勢いよくビルの階段を駆け下りた。

エレベーターを待つなんて今は出来そうもない。ちょうど、走りたい気分だ。走ってやろうではないか。
庄司は少しだけフラつく体を支えながら、6階分の階段を駆け下りた。途中、膝に痛みが走ったが、そんな老いの片鱗など今は無視だ。
痛む膝を抱え、事務所から勢いよく飛び出した庄司は急いで駅へと向かう。駅へ近づくにつれて、どんどん人間の数は多くなっていく。その誰もが、普段ならしないような面白おかしい恰好で楽し気に写真を撮り合ったり、騒ぎ立てたりしている。

「あぁ、そうだよな」

庄司は知っている。

「今日がハロウィンか」

格好を変えただけで少しだけ気持ちが大きくなる事も、酩酊したような気持ちで思いもよらぬ行動を起こせる事も、普段とは違う自分になれたような気になれる事も。
庄司は全部、全部もう知っている。

もう制服は着ていないけれど、もしかしたらこのスーツ姿だって本当の庄司の中の1つの仮面に過ぎないのかもしれない。そうなのだとすれば、この格好の庄司も、最早ハロウィンの仮装の1つとして捉えてもなんらおかしくはない筈だ。

庄司は集団が向かう駅の方向へと軽い足取りで駆け出した。
今、庄司は初めて29歳、サラリーマンの“橘 庄司”として、伊中に会いに行く。これもまた、一つの仮装だよと笑って言ったら、彼は受け入れてくれるだろうか。

まぁ、受け入れてくれるかは置いておいて、庄司の心は何故か高校生の制服を身に纏っていた時同様、とても、とても軽やかだった。



           〇



山戸 伊中は感動していた。


「おかえり、俺!会いたかった!俺!」

鏡の前に現れたのは、赤髪でもなく、ましてや七色のごきげん頭でもない。1週間離れ離れになっていた、懐かしの黒髪の自分自身であった。

「良かったな、伊中」

そう、坂田も隣の席からひょこりと顔を出して、鏡越しに伊中へ笑顔を向ける。
こちらも久々にまともな伊中と再会を果たす事が出来、やはりその表情はどこかホッとしているようだ。
やはりどのような姿でも自分は自分とは言うが、やはりそこはいつもの見慣れた姿の方が自分も周りも安心する。見た目とは、もとい、髪型とはこうも大事なものなのか。

「いやぁ、ありがとうございます。あのレインボー頭になった時はもう人生終わったと思いましたけど、助かりました」
「いやいやぁ、2時間近くかかっちゃったから疲れたでしょ。頭、痛いトコとかない?」
「全然平気です。もう、本当になんとお礼を言ってよいのか」

伊中はあのレインボー頭から自身を救ってくれた救世主たる男性美容師に深々と頭を下げると、すぐにポケットから財布を取り出した。

「(あぁ、今月のこづかい全部飛んだ……)」

入口に掲示されていたカラーの料金を思い出し、伊中は心の中で溜息を吐いた。
カラーがこれほどまでにお金がかかるとは予想外だったが、これは必要経費である。手痛い出費だが仕方がない。2か月後のお年玉まではひっそり生きていこう。
伊中が財布の中身の乏しさに小さく息を吐いた時。それまでニコニコと笑って喜ぶ伊中を見ていた美容師が、ハタと目を見開いた。

「あれ?宮古から聞いてない?」
「え?何をですか?」

伊中は美容師から突然出てきた兄の名前に、思わず目を瞬かせた。宮古は既に伊中よりも30分程先にカラーを終え、店を出て行った。何やら「ハンカチを探してくる」と、謎の言葉を残して去って行ったのだが、ここ最近宮古に関する謎事項は全て“橘庄司”に関する事と相場が決まっているので、ハンカチも多分そうだろう。

「宮古って本当に大事な事も大事じゃない事もどっちも言葉足らずだねぇ。あのね、今日のお代は宮古がもう払ってるよ」
「えっ!?」
「それで、多分宮古はそのお代をウチの弟からぶち取る筈だから、キミは何にも気にしなくていいよ」

宮古が代わりに支払い、宮古は変わりに美容師の弟から金を取る。
伊中は脳内で美容師の言葉を復唱してみるが、イマイチ状況が掴めない。そんな伊中の心中を察したのか、美容師は胸に付けていた自身の名札を指さすと、困ったような表情を浮かべ言った。

「ウチの弟がごめんねぇ。あんなアホみたいな頭にしちゃって」

美容師の名札にある井尻という名前。うちの弟。そしてこのどこかで見たような顔。

「っは!?井尻さんって、あの、アイツの!」

伊中の中で全ての合点がいった。
『じゃーん!今日から伊中はレインボー伊中になりましたー!』

井尻。
それは伊中の髪をあのレインボーに染め上げた主犯格であった。どおりで顔もどことなく良く似ている筈である。ただ、やはりというか何というか、兄というこの男の髪色は、あの弟のように突飛な色をしている訳ではない為、一切気付かなかった。
やはり、髪型と髪色の外見へ与える威力は生半可なものではない。

「そうそう。だからね、お代は気にしないで?うちのバカが本当にごめんね」
「あっ、いや。もう別に……もう頭も元に戻ったし」
「まぁ、しばらく怒りも収まらないだろうけど、その内、また弟達ともまた遊んでやって?『伊中って面白いヤツと友達になったんだー』って、ちょっと前にわざわざ俺のところに言いに来たくらいだから。きっと黒髪に戻ったらもう遊んで貰えないと思って、バカなりに考えたんじゃないかな」
「…………」

美容師の言葉に伊中の表情は更に渋いモノとなる。いや、こんな事であのレインボーの罪は払拭されるものではない。絶交は絶交なのだ。
伊中の、その胸中を全て表したような表情に美容師も最早苦笑するしかなかった。

「えっと、すぐに、じゃなくていいからさ。また、いつか遊んであげて」
「まぁ……はい」

伊中は何とも言えぬ感情を抱えたまま、苦い顔で頷く。
そして、ふと思ったのだ。1週間近くを共に過ごした、あのバカで底抜けに明るくて、元気過ぎて、めちゃくちゃに笑い合った十人十色の髪色達について。

今頃、どうしているだろうと。

「絶交は、まぁ、そろそろ解除してもいいかな」
「ぶはっ!絶交してたの?絶交って懐かしいなぁ」

伊中の口から発せられた“絶交”という、強い漢字の割にどこか懐かしくて幼稚な響きに、美容師は腹を抱えて笑った。

「あははっ、アイツらなら今日はハロウィンだーとか行ってその辺ウロウロしてるか、いつもの金平亭に居ると思うから、暇なら顔見せてやって」

美容師にそんな事を言われ、伊中はどうしたものかと思案した。壁にかけてある時計に目を向けると、17時45分とある。店内から見える外の様子は既に真っ暗で、商店街には普段では考えられない程の人が集まってきていた。
まぁ、こういうお祭り騒ぎというものは、あぁいった手合いのバカ達と居た方がより楽しめそうな気がする。

「坂田、まだ今日時間ある?」
「別に、俺に予定などない」
「それ、言ってて悲しくならない?」
「今更だな」

そう何の気なしに答えてくる坂田に、伊中は眉を寄せ吐きだすような心地で口を開いた。

「ねぇ、坂田」
「いいぞ」

即答。しかも中身はまだ伝えてもいない。けれど、坂田は伊中よりも先に店の出入口へと向かっている。

「行くんだろ?仲直りに」
「…………まぁ、うん、仲直りっていうか、許しに行くっていうか」

どこかバツの悪そうな顔で視線を逸らしながら言う伊中に、坂田は「明日からは忙しくなるからな」と軽く返した。

「気になる事は今日中に片づけておくに越した事はない」
「……ありがと」
「どうしたしまして」

伊中は坂田からの後を追うように店の出入口へと走ると、最後にペコと美容師に頭を下げた。

「また、いつでも来てねー」

美容師の見送りの言葉に、伊中は最後にチラと美容室の鏡に映る黒髪の自分を見た。
黒髪の自分にどこかまだ慣れない心地がするのは、きっと赤もレインボーも、今となっては悪くなかったと、そう思えるからだろう。

「(まぁ、全部終わったからこそ思えるんだけどね)」

伊中は坂田と共に仮装で盛り上がる人込みの中へと飛び込むと、お祭りの雰囲気を楽しみながら商店街を闊歩していった。縁があればカラフルな彼らともその辺で会えるだろう。会えなかったら、金平亭でも覗いてみればいい。
きっとあの店の事は、坂田も気に入ってくれる筈だ。

なんて、その時の伊中は黒髪に戻った事少しだけ浮ついていた。


直後、謂れのない罪で警官から肩を掴まれるとは、この時の伊中はまだ知る由もないのであった。




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