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風を切って歩け
10月25日



橘 庄司(たちばな しょうじ)は煮詰まっていた。


何に煮詰まっていたのか、それは彼の生活のあらゆるものに、とりわけ仕事にであった。
大学を卒業して今の会社に入社して早7年。
もうすぐ30歳を目前にした庄司は、仕事における自分のポジションにも、そして上司にも、部下にも、同僚にも、日々、ふつふつとしたものを感じて過ごしていた。
何か大きな不満があるとかではなく、とにかく庄司は仕事をするべく毎日電車に乗り、馬車馬のように働き、そしてまた電車に乗ってクタクタになる日々に唐突に自分ではどうしようもない程の嫌気が差したのだ。

そして、その嫌気は唐突に爆発した。
いや、爆発というのは言い過ぎかもしれない。
何故なら庄司はいきなり上司に辞表を出したりしたわけではないのだ。
言ってしまえば、パンパンに膨らんだボールの空気がゆったりとどこかに開いた穴から抜けていくようなものだった。

庄司は申請書を出した。

有給の申請書を。

突然出された有給は、突然出されたにも関わらず1週間という長期にわたった。
10月の最後の1週間。
まるっと庄司は休みをとったのである。
申請を出した時の上司の呆れ顔を庄司は生涯忘れる事はないだろう。
しかし、申請を出した後にネチネチ言われた小言に関しては早々に忘れるだろう。

庄司は煮詰まり、鬱々とする自分を発散するある方法を考えた。

「ハロウィンをしよう」

ハロウィン。
日本ではクリスマス程の賑わいを見せる事はないが、妙に静かに浸透している行事。
子供が仮装をして「お菓子をくれなきゃイタズラするぞ」と言って近所をまわる行事。

29歳、独身、男。
そんな庄司のハロウィンに関する知識はそれくらいのものだ。
しかし、そんな彼が一体どうして一週間の有給を使ってわざわざハロウィンをしようなどと奇特な事を言い出したのか。

それはとても簡単な理由からだった。

「別人になりたい」

庄司はとにかく今の仕事中心の自分の人生から少しでも良いから脇道にそれたかったのだ。
煮詰まった自分とは別の人間になって、とにかく、今の自分から解放されたい。
そう、庄司は思った。

故のハロウィン。

しかし、良い大人がハロウィンだからと言って仮装をして街を闊歩したならば、すぐにおまわりさんに連れていかれてしまうだろう。
狼男とか、ドラキュラとか、魔法使いとか。
そんな突飛な行動は仮装期間中の夢の国くらいでしか認めてもらえない。
夢の国に行く気もない。

故に庄司は考えた。
夢の国以外でも他者に変に思われず、そしておまわりさんにも連行されずに済む仮装はないかと。
少しだけ考えて、彼は「そうだ」と一人暮らしのアパートから実家へと足を伸ばした。
連絡なしで帰ってきた息子に母親は何かいろいろと文句を言っているようであったが、庄司はそれらを全て無視した。
そして、庄司は目的のものを見つけると、すぐに実家を後にした。
そんな庄司に、母親は「あんた、いい加減ねぇ」と更に続くと思われる文句を垂れ流しながら玄関まで見送ってくれた。
実家は今日も平和であった。

まぁ、それはいいのだが。

実家に向かった道のりを、また同じように帰る。
電車に揺られ、平日の昼間の見慣れぬ風景に半分意識を持っていかれながら、庄司は家路についた。
そして、帰宅した庄司は早速鏡の前に立った。
自分の顔を見て、少し長めだった髪を散発し、髭をそり、そして実家のクローゼットから持ち出したあるものを着た。

「ギリギリ、いけるかな」

鏡の前に立つのは10年以上前に自分が着ていた高校の制服。
学ランだ。

鏡に映る庄司の姿は、どこか違和感は抜けないものの、高校生と言い張ればなんとかなるレベルではあるようだった。
これが、庄司の考えたハロウィンだ。

今から庄司は29歳の橘庄司ではなく、おこがましくも18歳の橘庄司になろうとしたのだ。

「ははっ」

庄司は学生服を身にまとう自分の滑稽さに満足気に笑うと、その格好で自宅アパートを後にした。
彼が向かうは母校、県立紀伊国屋高校。
今から行けば、まぁ放課後の部活生達に混じって校内を見回る事くらいはできるだろう。

庄司はハロウィンと言う名の仮装ごっこを楽しみながら、街の中を歩いた。
一歩、また一歩と歩いて行くうちに少しずつ元の現実から離れていくようで、気分が良かった。

庄司は風を切って歩いたのだ。




【風を切って歩け】

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あきゅろす。
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