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風を切って歩け
同日



    〇



山戸 伊中は、たった一人で金平亭に居た。

学校はサボった。今日1日はどうしても一人でやるべき事があったからだ。
黙々とただ一人きりの金平亭は、他のメンバーが居なければこれほどまでに静かだったのかと感動すら覚える程の落ち着きようだった。
きっと、この姿がこの店本来の姿なのであろう。

カウンター前のいつも座る椅子に腰かけ、とあるノートに何かを書き連ねる伊中。それと呼応するように、黙々と本を読みパラパラとページを捲る店主。どちらも真剣で、そしてただただ静かだった。
伊中は他にも古いノート数冊を隣に並べ、パラパラと開いては閉じ、また開いては目的のページを見て閉じ、たまにペンを走らせるの繰り返しだった。

そのノート。
先日、不良達に示した「どうやって学校側から上手く金銭をせしめる事ができるか」もとい「自身の要求を上手く通すか」についての講義で使用した【生徒会 裏 引継ぎ書】そのNo.1。
その歴代生徒会長が、書き足し書き足しでここまで作り上げられたソレは今やノート5冊分にも及ぶ。
これは紀伊国屋高校の歴代生徒会長達の歩みであり、後輩達が苦境に立たされた時の為にと書き残されたものだった。

こういうと、中身はとても大それた事を書いてあるようだが、そうではない。本当にそれはその時々で、生徒会長という職に就いた彼らのアナログな掲示板のスレッドのようなものだった。

【生徒会のメンバーと上手くいかなくなった時!俺はこうした!】
【生徒会と彼女と勉強の3足のわらじを上手く成功させる方法!】
【ていうか、まずは彼女を作る方法だろ!】
【ともかく午後の授業がダルくて眠い時のサボり方15選!】
【彼氏を作る方法が載ってなかったから書き足しておいた!】

各々が本当に好き勝手書いているそのノートは、けれど、その時々の生徒会長を様々な側面で支えてきたものでもあった。
このノートの始まりは12年前。ノートを開いた表紙の裏に最初の生徒会長の言葉が、マジックで大きくに書いてある。


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長い歴史の中で、立証されている事がある。そう、人は同じ歴史を繰り返すという事だ。それならきっと、今君たちを襲っている困難もまた、過去の誰かが経験したものに違いない。どうにもならないと苦しんだ時。生徒会長をやる上で、今を打破するきっかけをここから見つけ出してほしい。
そして、貴方がこのノートを別の誰かに手渡す時の為に、未来の誰かの困難を打破するヒントを残してくれると嬉しい。このノートに書かれている事が、後のまだ見ぬ後輩達へ届くことを祈って。

苦しい時もあるだろうけど、後輩達よ。ともかく楽しんでいこう!
第25代 生徒会会長 橘 庄司
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ここに書いてあるように、伊中は何か悩む度にこのノートを開いてきた。そして、幾度となく見たことも会ったこともない先輩達に助けられてきたのだ。
その中で、やはり一番読み込んできたのが、このノートの始まりの人物が書く様々な面白おかしい文章だった。

文章ながら、彼はいつも饒舌に伊中に語り掛けてきた。

彼。
橘 庄司。
【部活動設立の民主化】を謳い、現在の紀伊国屋高校の特色の礎の全てを作ったと言っても過言でないその変革をもたらした人物は、伊中にとって偉大な先輩であり、憧れの人と言っても良かった。

橘庄司という人物は、変革を成す際に自身がやった事を全てこの中に残してくれている。伊中もそれにならい、必死に自身のやりたい事を妥協せずにやってきた。

じき、伊中の代の生徒会も終わる。
来週には完全に業務の引継ぎを行わなければならない。その時がきたらこのノートも次代の生徒会長へと手渡す事になるだろう。どうにかその前に、現在、伊中が提案している【部活動設立のクラウドファンディング計画】を完成させておきたかった。

「(けど、もう……今回は無理かも)」

部活動設立の道を、今の生徒会の認可に頼るのみの一本道から複数の道を作り出したい。

その望みの一躍を担うのが【クラウドファンディング】を用いた、疑似資金調達サイトの運用である。
これならば、発案者も支援者も、それぞれが個人として参加できる為、資金面やその他諸々の事情で、そもそも活動にすら踏み出せずにいた個人のアイディアを生かせる道を作り出せる。

きっと、それが上手くいけば紀伊国屋高校は今よりもっと盛り上がるに違いない。
それなのに。

「(しかし、しかし、しかし!そればっかり!少しは一緒に成功させる方法を考えてよ!)」

伊中は最近染めたばかりの真っ赤な自分の髪を、グシャグシャときむしると、お手上げとばかりに喫茶店の天井を仰ぎ見た。
どうしてこうも“大人”は「金」を若者から遠ざけようとしてくるのか。どうして既得権益が不特定多数の手に渡る事に恐怖を覚えるのか。

どうして、変化を拒むのか。

この【クラウドファンディング】サイトの運営を、学校側はなかなか首を縦には振らない現状。理由は様々あるが、一番は疑似資金調達サイトとは言え、現実世界で生徒間の金銭の授受を誘引しかねないものを学校として認める訳にはいかないというものだった。

「(意味わかんないでしょ、その理由)」

これまでに5回の直談判。来週もダメ押しで6回目に向かう予定だが、それを通す為の策はもうない。そもそも、全く意見を通す気のない相手に意見を受け入れてもらうなど、不可能ではないだろうか。

「(橘庄司。あんたは部活動の設立の民主化を進める時、どんな気持ちだった?やれる自信があったのか?それとも、その時の校長先生は、若者の言葉を聞き入れてくれる、柔軟な先生だっただけか?)」

伊中は立ち行かなくなった自身の計画を前に、過去の生徒会長達に無性に詰め寄りたい気分になった。橘庄司の他にも、PCの大量導入に一役買った生徒会長、図書館に書籍だけでなく漫画の人気コミックスの導入を果たした生徒会長と、教育現場にとって良しとされないモノをこの学校に取り入れた生徒会長は他にも様々存在する。

「(そもそも、俺の案がダメだったのかな)」

伊中は天井を仰ぎ見たまま、静かに目を閉じた。否定が続けば続くほど、自分の全てに自信がなくなってくる。どうにか立ち直らないと。
せっかく、兄の宮古がくれたまたとない気分転換の機会だ。無理やりにでも切り替えないと。行き詰ったら、問題から一時離れる事も必要だと、橘庄司も書いていた。

故に宮古から入れ替わりの提案を受けた時、伊中にとってもまたとないチャンスだった。橘山戸伊中の殻を脱ぎ捨てて、知らない世界に飛び込む事で、何か打開策が見いだせるかもしれないと、心のどこかで自分に期待をしていた。
けれど、現実はそうは甘くなかった。アイディアや策なんて待っていて急に降ってくるものではないし、現実世界で急に救いの手が差し伸べられるなんて事もない。

「(あぁ、ダメだ。もう……誰か助けてなんて、俺らしくないよぉ)」

そう、伊中が今度は勢いよくカウンターに突っ伏した時だった。ノートの傍に乱雑に置かれていた自身の携帯が勢いよく鳴った。
ダラリとした力ない手で携帯を見てみると、そこには【坂田 喜一】の文字。

「坂田……?」

久しぶりに口にした生徒会の仲間の名。もしかして、宮古の正体がバレてしまっただろうか。
めんどくさいなと伊中が気だるげな気分で通話ボタンを押した瞬間、声が響いた。

『伊中か!?』
「はいはい、こちら伊中です。なんでしょうか、坂田くん」
『喜べ!伊中!』
「なんだよ、急に」
『例の件、通るかもしれんぞ!』

電話口で響いたその言葉を、伊中は一瞬、全く理解できなかった。例の件とは一体どの、例の件だろうか。いや、例の件がそうそう2つも3つもあってはたまらない。その瞬間、伊中は突っ伏していた頭を勢いよく上げた。

「なんで!?何があった坂田!」
『今日、また校長に直談判したんだよ!』
「いやいや、待て待て!なんで今日!?来週って決めてたじゃん!」
『文句があるなら、お前の兄に言え!こっちも今週は色々と大変だったんだぞ!』

坂田の口から、当たり前のように出てきた“お前の兄”というフレーズ。やはり、坂田には既に入れ替わっている事はバレてしまっているようだ。いや、しかし、今はもうそのような事を気にしている場合ではない。入れ替わったあの口下手な兄が、まさかあの校長相手に直談判で意見をひっくり返したなんて、絶対にあり得ない事だ。
『いやいやいや、伊中!お前のにーちゃんの無表情の下に隠れた手の早さを舐めたらいかんぜよ!』
急に、宮古の仲間の一人が笑いながら話していた言葉が脳裏を過る。いや、まさか。いや、しかし。

伊中は一気に背筋が凍るのを感じると、携帯に食いつくように言い被った。

「宮古がなんかしたの!?まさか殴って言う事聞かせたとかじゃないよね!?」
『はぁ!?そんな事してたら、逆に例の話が通る訳ないだろうが!それに漏れなくお前も停学か退学だぞ!もう少しまともな予想をしろ!ちょっと遊びまわり過ぎて、頭が悪くなったんじゃないか?』
「ぐ」

確かにそうだ。伊中は、自分が圧倒的に冷静でない事を今一度きちんと自覚する事にした。自覚を促すには、まず、言葉で自分の耳に聞こえるように声を出す事。
そう、裏引継ぎ書の中にも書いてあった。

「坂田、俺は今ちょっと冷静じゃないようだ。順を追って説明してくれないか」
『いや、それは無理だ。今から色々とやることもあるし。ただ、例の件が上手い事行きそうな事だけ伝えたかっただけだからな。来週から学校には来るんだろ?なら、その時話す。じゃあな』
「はっ!?」

気付いた時には勝手に通話は切られていた。勝手に電話をかけておいて、今度は勝手に切るとは。しかも、気になる事だけ伝えて、詳しい内容は何一つ教えてくれないまま。
あぁ、これは完全に坂田は、伊中に対して――。

「何アイツ!俺が勝手に宮古と入れ替わってたの、完全に根に持ってんじゃん!」

先程の坂田の、これでもかという程強めのイントネーションを置いて発音していた“来週から”という言葉に、伊中ははっきりとした不満を感じ取った。
「一言くらい相談して欲しかったよ」そう、伊中の脳内にしっかりと住まう坂田が、冷たい目で伊中に言った。現実世界の坂田もまさにそう思っている事だろう。

「もう!こんな気になるニュース放っておける訳ないじゃん!」

伊中が急いでカウンターに広げていたノートをとペンを掴むと、急いで鞄の中に仕舞い込んだ。現在の時刻は17時30分。急いで学校へ向かえばまだ間に合うだろう。
そう思って店から駆け出そうとした時だった。

「お前、その頭で行くのか」

それまで黙って本のページを捲る事に終始していた店主が、静かに言った。その瞬間、伊中は自身の姿が今はまだ兄の“宮古”のままである事にようやく気が付いた。髪の毛は真っ赤、加えて制服も蔦屋学園のモノを着ている。このまま、紀伊国屋などに乗り込んでしまえば、下手をすると教師陣に捕まって警察などを呼ばれかねない。

「あっ、あっ、コレ、どうしよう。まてまて、落ち着け。俺は今まったく冷静じゃない」
「そうだな、お前は冷静じゃない」
「そう、今は俺はまったく冷静じゃない、冷静じゃない……」

店主に向かって謎の呪文のように「冷静じゃない」と繰り返す伊中は、確かに誰がどう見ても冷静ではなかった。しかもそれを唱えて冷静になっているかと言うと、いや、それは全く冷静になれないままである。

「そう、まず髪の毛。この髪の毛を染めなきゃだけど、コレは宮古にやってもらったから、自分じゃどうやればいいのか分からないし……」

そう言って伊中がチラリと店主の方を見てみたが、本に目を落としたままにも関わらず、その瞬間「知らんぞ」とバッサリと切られてしまった。そう、まず髪の毛をどうにかしなければならない。しかし、美容室に行く為のお金はない。

「えっと、えっと」

そうこうしていると、店の扉がカランといつもの軽い音を立てて開く音を伊中は聞いた。思わず振り返ると、そこにはこの一週間、共にバカをやって楽しく遊んだ十人十色の髪色達。彼らは店に入るなり伊中を見つけると「伊中、ガッコサボるなんていけないんだー」と楽し気な笑みを浮かべて近寄ってくる。

あぁ、神よ。日頃、彼らを知能低めの愉快な仲間たちと思っていた事をお詫びします。
伊中は神に心から懺悔すると、本気で半分泣きながら彼らにすがりついた。

「あぁぁぁ、君たちに会えて本当によかったぁぁぁ」
「うわ、宮古が俺達に泣きついてきてるみたいでヤバ!キモ!」
「どこまでいっても辛辣!」

伊中は最早こいつらは本当に宮古の事を慕っているのかと本気で疑いたくなる気分を必死で抑え込むと、ともかく用件のみを簡潔に伝える事にした。

「お願い!この髪、黒く戻して!」
「えー!もう宮古のコスプレ止めんのー?」
「そうっ!今は少しでも早く“伊中”に戻りたいから、お願い!俺の髪染め直してくれない!?」

そう、心底必死に縋りついてくる伊中に、不良達は互いに顔を見合わせてニヤリと笑うとその瞬間「わかった!」と良い子の返事をした。

「よーし!じゃあ、俺は今から急いで染めんの買ってくるぜー!」
「ありがとう!代金は宮古に請求しといて!」
「お金はいらねーよ!俺達トモダチだろ!」

そう言ってもう圧倒的に何かをイタズラを仕掛ける気満々の笑みを浮かべる彼らに、この時の伊中は全く気付く事ができなかった。それもこれも、今の伊中は圧倒的に冷静ではなかったかだである。
冷静でない事を冷静でない時に自覚するのは、本当に難しい。本来ならば、この時にこそ、伊中は声に出し自覚べきであった。「俺は冷静でない」と。
まぁ、そんな事を今の伊中が出来る訳もなく、伊中は目を潤ませながら「ありがとう!」と言うのみだった。

「あは!まっかせろー!」

そう言って数人の不良達が店を駆けだす。その彼らが店の外で「何色買ってくる?」「青は!?」「ピンクは!?」「パープルは!?」など、恐ろしい計画を楽しそうに立てているなど、冷静ではない伊中は思いもよらない。


数時間後、伊中の絶叫が金平亭に響き渡る事となる。




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