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風を切って歩け
同日


宮古は自身の感情の処理が追いつかないという状態に生まれて初めて陥っていた。

揺さ振られる、揺さ振られる。
今、宮古は自分がどんな顔をして、どんな気持ちで、どんな状態にあるのか、自分の事なのに一つも理解出来ずにいた。

ただ、ものすごく熱い。体中がどこもかしこも熱くて仕方がない。

先程まで、隣では宮古をどうしようもないという様子で見ていた坂田だったが、今は目の前で庄司やあのパッとしない学生の一方と何かを話している。本来ならば、一応生徒会長という肩書の弟に成り代わっているのだから、話し合いの内容くらいは聞いておくべきなのだろうが、多分今は無理だ。
きっと聞いた所で情報は右から左へと流れていくだけに違いない。

宮古は熱くて仕方がない自身の体を鎮めるように、深く息をついた。そして反芻する。


『お前の価値はこの企画書にあるんじゃない。お前自身にあるんだ。それは、どんな姿になっても、何歳になっても変わらない』


まさか、あんな事を言われるとは思わなかった。まるで、庄司は今の自分が本当の“伊中”ではない事を知っているかのような。

「(庄司、お前は……俺が伊中じゃないって知ってるのか?)」

いや、そんな筈はない。
宮古はまたしても反芻する。今度は、庄司と初めて会ったあの日の事を。


『名前は?』
『橘 庄司。あんたは?』
『俺は……山戸伊中』
『伊中?珍しい名前だな。そんな先輩いたっけか?』


あぁ、そうだった。
庄司と出会ったのは、あくまで本当に偶然の賜物だった。そして、なにより庄司が伊中の事を知らなかったではないか。

初めは変なヤツだと思った。不良なんかに絡まれる圧倒的に面倒事に違いない宮古を、なんてことない顔で助けに来た。
『いこうか』なんて軽い一言と共に差し伸べられた手。
その存在感はどこか掴み所がなく、フワフワと軽かった。期間限定のこの姿にピッタリの後腐れのなさそうな、しがらみを感じさせない人間。

しかし、宮古は次第に“橘 庄司”という人間の本質をこの手に掴みたいと思うようになった。

カラカラと軽く笑って、宮古の手を引いて駆け出したあの日。あの日、確かに宮古は庄司と手を繋いで風を切って走った。あの日のように、しっかりと繋いだあの手を、今も繋ぎ止めておきたい。危なっかしい後輩、変なヤツに、変な事をされないように、傍に居て守ってやらなければ。

フワフワとした庄司が誰かに割られてしまいそうで怖かった。

けれど、それは違った。
掴み所がないのは変わらないが、この橘庄司という人間は、たまに普段とは全く違った顔を覗かせる。それは“後輩”なんて弱い守るべき者としての顔ではなく、圧倒的な包容力を持った、大きな器を思わせる“何か”。「守ってやらなければ」なんて傲慢極まりない事を考える宮古の、その全てを包むような表情を庄司はその顔に浮かべる。

『これから何があっても、俺が言った事、絶対に忘れるなよ』

そう言った時の、庄司の優しく包み込むような笑顔を、宮古は忘れる事はないだろう。
こんな笑顔も、出来るヤツだったのか。それを見た瞬間、息のつまるような、全身がシビレるような。そんな、不思議な何かに包まれたような気がした。

「(俺は、どうしたいんだ)」

全ての始まりは、いつだっただろうか。ただ、ともかく自身を取り巻く全てに嫌気がさして、少しだけ現実逃避をしたかっただけだった。自分にある全てのしがらみが面倒で、断ち切る事はできなくとも弟と入れ替わる事で、自身の存在をこの世界から薄めてしまいたかったのだ。

故に、入れ替わった当初は自身の存在の希薄さがたまらなく嬉しくて楽しくて、乗っていた肩の荷なんてどこかへ消えてなくなったような気さえした。

「(俺は……)」

なのに、今はまるで逆の事を考えている。自身の存在感が庄司の世界で薄められるなんて嫌だった。消えないように、濃く、刻みつけたい。
こんな偽りの格好でそれが出来るのかは分からない。ただ、先ほど、庄司が言った言葉。あの言葉を宮古は信じる事にした。

「(価値は俺自身にある)」

あの、捨ててしまいたかった肩の荷を含めて自分自身であるのだとしたら、宮古のすべき事は決まっている。荷物を取りに戻って、全て背負った上で、もう一度“橘 庄司”と出会いたい。

そう、伊中がやっと納まった自身の熱と思考に、冷静さを取り戻した時だった。

「や、山戸生徒、か会長」
「……あ?」

宮古は隣から、オドつく声で呼ばれた声にハッとした。またしても、思考の奥深くに潜りすぎていたようだ。顔を上げると、どうやら3人の話し合いも終わりに差し掛かっているようだ。声をかけたのは、パッとしない容姿の、パソコン部のもう一人。
庄司と話す方とはまた異なり、こちらもこちらで更に髪の毛は野暮ったく伸ばされており、その表情はあまり伺い知る事はできない。

「なんだ?」
「あの、俺、このき、企画を山戸会、長に頂いた時、すごく、うれしかった、です」
「そうか」
「な、なにより、こんな俺達の、目立たない部の、事も、ちゃ、ちゃんと見てくれてる、人が、いるって、事が、うれしく、て」

オドオド、オドオド。
こういった手合いは正直、苦手だ。何に怯えているのか分からない、そのはっきりとしない感じが苦手というより嫌いだった。特に、宮古の元の容姿では、目が合っただけで怯えられるなんて事は山のようにあった為、普段なら絶対に相手になどしない。

ただ、今はどうしてだろうか。伊中の姿を借りているせいなのかは分からないが、聞き取りにくいが懸命に紡がれるその言葉達を、宮古は静かに聞いてやる事ができた。

「さっき、た、橘、先輩が、山戸、先輩に言ってた言葉。や、山戸会長がさ、最初に、俺達に、言ってくれ、た言葉と、似てて、びっ、びっくりしました」
「へぇ」

伊中のやつがそんな事を。
宮古はここには居ない、入れ替わってから一切顔を合わせていない弟の事を少しだけ懐かしく思った。年齢が上がるにつれて、幼い頃より関わる事の減った弟だったが、宮古は、弟の事だけは昔から尊敬していた。

言葉を紡ぐのが苦手な自身とはまるで違い、饒舌に自身のことや周りの事を語れる弟を羨ましく、妬ましく思った事も多々あった。しかし、そんな伊中が誰よりも、言葉足らずな宮古の言葉にいつも耳を貸してくれもした。

そういう事を、伊中は当たり前のように誰にでも出来るヤツなのだ。

「俺達は、も、もし。この、き、企画が、学校側に、とお、らなくても、もう、十分、です。山戸、会長達と、いっしょ、に、いろいろ、できた、だけで、たのしかったから」
「企画が通らない事なんてあるのか?こんなスゲェのに」

宮古は思わず相手の口から出てきた「企画が学校側に通らない」という言葉に、思わず眉間に皺が寄るのを止められなかった。

先ほどから皆が口にする「クラウドファンディング」の事はよく分からないが、この2人が作ったというサイトの出来については、素人目にも凄いものだと理解できた。それに加え、企画があの伊中のものなのだ。何の問題があるのかが分からない。

「も、もう。5回も、学校側に、直談判、して、もらってるんですけど、き、金銭の授受、の発生が、せ、生徒間で、起こる、恐れ、のあるものを、が、学校は、ゆる、さないって、こないだ、先輩、が……」
「そ、そうだったな」

宮古は慌てて頷くと、先ほどまで何やら話し込んでいる様子だった庄司が宮古の元へ向き直っていた。

「なぁ、伊中。ちょっといいか」
「なんだ?」

その時の庄司の目は、普段の軽い笑みを浮かべる庄司のソレとは一変していた。
宮古はヒュッと自身の呼吸がテンポを崩すのを感じたが、目だけは逸らさなかった。

あぁ、また初めて知った。橘 庄司という男は、こんな顔もするのか。

その表情は圧倒的に、何か大きな敵を見つけた狙撃手のような目をしていた。それは、宮古にとって喧嘩相手を前にした時の馴染みのある目であったが、庄司にもこんな一面があったとは。

そして庄司の敵は、誰なのか。

「この企画案、本当は来週、お前と坂田先輩が6回目の直談判に行く予定になってたらしいんだけどさ。その6回目、今日、俺にくれ」
「え?」
「おい、伊中。橘を止めろ。この企画に大いに入れ込んでくれるのは有難いが、まだ俺達も上にどんな風に改案して提案すればいいのか、思いあぐねているところなんだ。今行っても無駄だ」

あの坂田までもが困った顔で、宮古の方を見てくる。普段の圧倒的な眼光も今はナリを顰めている。それどころか、その目における力強さなら、今は圧倒的に庄司が上回っている。

「伊中、頼む。俺にやらせてくれ。悪いようにはしないから」
「庄司……」
「伊中、お前……わかってるよな?」

庄司と坂田の視線が宮古へと集まる。特に坂田は本物の伊中が不在のこの状況下で、勝手を許さないと言いたいのだろう。気持ちはわかる。
どうやら、この企画。伊中や坂田にとって、とっておきの企画である事は間違いないようだが、学校側からの反対により、それはどうにも分の悪い状況のようだ。

伊中の予定調和を崩したくない坂田にとって、ここで庄司や宮古が勝手な事をして、取り返しがつかなくなんて事は、絶対にあってはならない事なのだろう。
ただ、宮古はここにきて、このギラつく目を湛えた庄司の姿にこそ、宮古の探していた橘庄司という男の本質を探るカギがあるのではと、本能的に悟った。

だから、気付いた時には頷いてしまっていた。

「あぁ、やってみろ」
「……ありがとう、伊中」
「伊中!」
「坂田……ごめん」
「ごめんて……お前、そんな」

「ごめん」なんて、当たり前の短い謝罪しか出てこない。何かあったら責任を取るなんて言えない。責任は取れる者が言わなければ、その意味はそれこそ軽く風に吹き飛ばされてしまう程に軽い言葉になってしまう。
申し訳ないという思いだけは、庄司にとって圧倒的に本心であり、その部分を軽くしたくはない。だから、余計な事は言わない。

「ごめん」
「……お前ら、急に来て……もう、あぁぁぁもう!」

坂田は乱暴に頭をかきむしると、苦し気な表情で宮古と庄司の両方を見つめた。

「坂田先輩、俺最初に言いましたよね」
「なにをだ!」
「俺、すっごい役に立ちますよって。俺、生徒会メンバー全員分位のスペック持ってます。訳あって諸事情により、生徒会長のスペックだってあります。どうか、今回も俺に騙されたと思って、真に受けてください」
「…………あぁぁもう!勝手にしろ!そもそも、校長にアポも取ってないから、聞いてもらえるかもわからないからな!」
「了解です!その辺、突撃するのも慣れてますので!」

庄司は先ほどまでの真剣な表情のまま、ニッと不敵な笑みを浮かべると、その瞬間、昼休みを終えるチャイムがパソコン室に盛大に響き渡った。

「それでは、皆さま。放課後になり次第、またこの場所に集合してください!」
「橘……ここでいいのか?校長室でなく?」
「こ、ここは、文科系の、部の、部室も兼用、してるので放課後は、お、おちつか、ない、かも」

口々に放課後の集合場所がこの場所に指定された事に疑問を呈する坂田達に対し、庄司は「まぁ、その辺も大丈夫ですから」とニコリと笑うだけだった。まだ不満の残る坂田を他所に、宮古は庄司の前に立った。

「庄司、俺に出来る事はあるか?」
「そうだな……伊中は、俺を見ててくれ」
「見てるだけか?」
「いや、そうだな。なら、後は俺の隣で、ともかく堂々としててくれ」
「……俺に出来る事は何もないって事かよ」
「何言ってんだ!それが一番重要なんだよ、伊中。俺はお前に見ててもらえてたら、それだけで頑張れるんだ。あとはお前のそのまっすぐさを、俺の隣で遺憾なく発揮してくれればいい」

だから、俺の隣で、俺の事を見てて。
そう呟くように囁かれた言葉に、宮古はもうそれ以上何も言う事が出来なかった。その時の庄司の目が、どこまでも本気で、どこまでも優しかったから。
だから、もう宮古ももうグダグダ言うのは止めた。代わりに、深く、深く、頷いた。

どうやら橘 庄司は、宮古がこれまで闘ったものがないものと、盛大に闘うらしかった。

「(あぁ、傍で見ててやるよ。庄司)」

宮古は胸の高鳴りを抑えきれぬまま、二人並んでパソコン室を出た。



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