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風を切って歩け
10月29日



 橘 庄司は驚嘆していた。


 何に。
高校生の考えるなんとも面白い企画案とその出来栄えに。

「いや、まて!この出来栄えは圧巻過ぎだろ!」
「待て、待て、橘。企画立案は伊中だ」
「……坂田。何で、お前が得意気なんだよ」


 庄司は目の前に映し出されたその高校生達の“とっておき”に年甲斐もなく心を躍らせてしまっていた。



        〇




 現在、昼休み。
 庄司は昨日同様、伊中と坂田の3人で、とある教室に居た。

 ただし、この時既に昼休みは残り15分を切っていた。

もちろん昼食は食べ終わった後である。やっとの事で果たした『学食で昼を食う』というミッションだったが「この後行くところがあるから秒で食え」と、出会い頭に坂田が無茶苦茶を言い始めたせいで、正直、学食で食べたA定食の味は既に記憶の彼方となっていた。

 ただ、隣で特に急ぐ事なく食べていた伊中は、庄司同様A定食にプラスしてうどんと天ぷらも付けていたにも関わらず、食べ終わったのはほぼ同時だった。しかも、その挙句に「まだ物足りない」などと言いだすものだから堪らない。

おかげで、またしても庄司は高校生の食欲に心の奥底でスタンディングオベーションをする事になった。

 こうした早食いのせいで若干の腹の痛さを抱えた庄司が、坂田に連れて来られたのが、この教室。
そこは大量のパソコンが並ぶ、所以パソコン室と呼ばれる場所だった。

 この教室は庄司が学生時代にも、もちろん存在はしていたが、この教室はその頃とは比べ物にならないくらい進化していた。

 まずはパソコン室と呼ばれる教室が、庄司の時代は1つしか存在していなかったのだが、今では第1パソコン室から第5パソコン室まで存在し、台数にして計200台ものパソコンを保有する大規模なものになっていた。
それは学年単位でパソコンを使用しても事足りるようにと、数年前に一気に導入が進められたという事らしかった。

「(時代の流れってすげぇ)」

 外観的にはさほど変わっていない母校だったが、中を覗けば確かにそこには、はっきりと時間の流れを如実に表す場所もこうして存在している。パソコン室は内装も明るく、他の教室と異なり圧倒的に垢ぬけていた。ここだけは、さながら都心のベンチャービジネス系のおしゃれオフィスのようである。

「きゅ、急に呼び出してしまってすみません」

 そんなお洒落パソコン室の一角で、庄司達3人の前に立つ、どこかオドついた2人の男子学生の姿。2人はこのお洒落で洗練された教室にありながら、決して垢抜けているとは言い難い様相をしていた。
所以、一般人から見れば「オタク」と一括りにされてしまいそうなパッとしない見た目の人間だ

「気にしないでくれ。俺達の方こそ、昨日は放課後にこちらに来れなくてすまなかったな」

 そんな2人に対し、伊中の隣に立っていた坂田がすかさず答える。その様子は、普段の眼鏡の奥の眼力は封印されており、相手に安心感のみを与える穏やかさを湛えていた。
さすが生徒会副会長。眼光の鋭さは相手によりけりでオンオフ式になっているらしい。

「あ、ありがとうございます。山戸会長、坂田副会長、それと……」
「俺の事は気にしなくて大丈夫。俺はただの橘です」
「あ、は、はい。橘先輩」

 イチイチ言葉を詰まらせる相手に、庄司はひとまずニコリと笑っておいた。こういう手合いは、どんなにこちらに敵意がない事を示してフレンドリーに接したとしても、逆に恐縮させるだけなので、最初はある程度の距離を保って交流するしかない。

「(橘先輩、ねぇ)」

 庄司はその、懐かしいような懐かしくないような呼び名に、チラリと頭に何かが過るのを感じた。しかし、微かなデジャビュにも似たソレを、特に庄司は気にする事なく流す事にした。
今はそんな事よりも、目の前にある素晴らしく面白いものに目を向けるのが先決であった。

「これ、本当に君たちが作ったの?」
「あ、は、はい。でも、企画、をもちかけて、くれたのは山戸会長、です」
「いや、これは企画もさることながら、このサイトの出来栄えは圧巻の一言に尽きるよ」

 庄司が圧倒的関心を寄せるソレは、一台のパソコンの中に映されている画面にあった。

 それは紀伊国屋高校のポータルサイトに作り上げられた、一つのデモサイト。

サイト上部には「キノクニファウンデング」と赤を基調としたゴシック調のフォントが表示されており、隣には紀伊国屋高校の校章である大樹をモチーフにしたロゴが描かれている。そのページが、どうにもスタイリッシュで洗練されており、直観的に何をどう操作すべきか、見るものに迷わせない画面構成は本当に見事な出来であった。

 そう。それは、紀伊国屋高校の生徒のみが利用できるように作られた【クラウドファンディング】のデモサイトだった。

「ちょっと、触らせて」
「は、はい。ど、どうぞ」

 庄司はパソコンの前に立つと、カチカチとマウスを動かし、様々なページへと飛んでみた。

 これを高校生が、しかも目の前の圧倒的に垢抜けない容姿の彼らが作り上げたというのだから驚きだ。いや、センスの有無が見た目は直結する訳ではないのだろうが、ここまでのデザイン性のモノが作れてどうして、こうも彼らの髪の毛や見た目はそれに伴ったものになっていないのかは不思議なところである。

「クラウドファンディング形式で部活動の設立の一部をイベント化して管理するとは考えたね」
「だから、それは伊中の発案だ。凄いだろ」
「……坂田、お前ほんと気持ちわりぃな」
「っは、お前に言われたくない」

 先ほどから“伊中の発案”を幾度となく得意気な様子で声高に言い募る坂田に、庄司はこの副会長がどれほど伊中に全幅の信頼を置いているのかヒシヒシと感じた。

 ただ、どうにもその張本人である“伊中”自身がそれを我が身の事として捉えていないのが、庄司には引っかかった。しかも、褒めている坂田も、隣に居るはずの伊中ではなく、どこか別の誰かを思って言葉を発している節がある。

「伊中、褒められてるんだから素直に喜べよ。確かにすごい発案だぞ、コレは」
「…………」

 庄司はマウスから手を放すと、すぐ傍に置いてあった企画書を手に取った。
A4サイズの用紙5枚分にも及ぶその企画書は、細かく作り込まれており、正直高校生がこれを作ったというのは、なかなかに信じがたかった。

「この企画書の書き方も本当に上手いよ。簡潔かつ分かりやすいし、企画の根幹については省かず必要な所が漏れなく書かれてる。伊中、凄いじゃないか」

 思わず心の中のスーツ姿の庄司が全面に出てしまった。これではまるで、部下や後輩を褒めているようではないか。

「……っは」

 しかし、当の伊中は庄司がその企画書を褒めれば褒める程、その表情を不機嫌そうに歪め、終いにはフイと庄司から顔を逸らした。どうやら、庄司は何か圧倒的に伊中の機嫌を損ねる事をしてしまったらしい。

「良かったな、伊中。橘も褒めてくれて」
「眼鏡叩き割るぞ、このメガネ」

 ついでに、坂田がニヤニヤと笑みを浮かべ皮肉めいた事を言うものだから、伊中も伊中で物騒極まりない事を言い出した。
そこからは、伊中と坂田で喧嘩とはまるで言えない、テンポの良い悪口合戦が始まった。本当に高校生とは思えない“わるぐち”の応酬。
「めがね」「ばか」「あほ」「くそ」「不良」と、殺傷能力のまるでない悪口は、隣で聞いている分には単純に笑えるので、庄司もほっとく事にした。

「(これはマジで上手い事を考えたもんだな)」

 庄司は手元の企画書と、実際にそれを元に作られたサイトを交互に見ながら、体が少しずつ熱を帯びるのを感じた。それは初めて、心の中に住まう学生姿の庄司と、サラリーマン姿の庄司が同じ感情を持った瞬間であった。


 クラウドファンディング。
インターネットを通じて不特定多数の人々から少額ずつ資金を調達するという、比較的歴史の浅い新しい資金調達の手法である。

 アイデアや想いを持つ人は誰でも“起案者”として発信でき、それに共感した人は誰でも“支援者”として支援できる。
そのように、双方にとっての手軽さが最大の特徴であるソレは、銀行から融資を受けたり、株式を上場するといった、そもそも信用を構築していなければ出来なかった資金調達を、個々が自由に行えるようになった事が、それまでの方法とは大きく異なり画期的であった。

 その資金調達の特徴が、まさに紀伊国屋高校の部活動の在り方と見事に合致している。

 この紀伊国屋高校は、十数年前、庄司の提案により部活動の在り方が一新された。重視されるのが集団と実績から活動そのものに変わったのである。
その契機を紀伊国屋高校では【部活動設立の民主化】と呼ぶが、皮肉な事に、それは生徒会の権限を大きくしてしまうという、相反する結果も生んでしまった。

 それまで、設立までに一番多くの時間を要していた部活動としての活動形態は一変し、誰もが発案し行動した結果に部費や部室を付与する事になった事から、それを精査する機関として、生徒会はある一定の権限を持つようになったのだ。

 とは言っても、最終的に決定を下すのは学校側であり、生徒会は明記された一定のルールに則って事前審査をするに過ぎない。

 しかし、生徒側からすればそう言った目に見えにくい真実より、目の前にある明らかな結果だけが、彼らにとっては真実に違いなかった。
そう、皆、部活動設立に掛かる審査の結果を「生徒会の決定」として受け止めているのだ。

 昨日、庄司が生徒会業務に参加した際、その風潮は空気感に顕著に表れていた。ただ、その事実に対し、生徒達が不満を持っている様子はない。しかし、民主化と銘打って改革を成しておきながら、結果、こうして生徒間に蔓延する「生徒会が決めた事だし」という緩やかな独裁感に、庄司は強い違和感を覚えたのだった。


「(やっぱ、俺の考えも穴だらけだったって事かぁ)」


 そう、庄司は過去の自分を思い、少しだけ落胆した。
あの時は、これは画期的で素晴らしい制度だと、心の底から思っていた。生徒一人一人のやりたい事を、いや、庄司自身のやりたい全ての事を、少しでも実現出来るようなプラットフォームを作り上げるのだとやる気に燃えていた。

 そして、それは実現出来たのだと、あの時は本当に思っていた。

「(けど、違った)」

 やはり、一人の人間が思いつく事に完璧なんてなかったのだ。そんな当たり前な事に、あの時は気付けなかった。そんな当たり前の事を、大人になってやっと知る事ができた。

だからこそ、人ひとりが出来る事のちっぽけさと、社会と言うあまりにも大きな、自分ではどうする事もできないモノを前に、漫然と嫌気がさした。

 嫌気がさした結果、庄司は今ここに立っている。

 学生服姿の庄司は広い世界を知らず、根拠のない自信だけを持っていた。
 スーツ姿の庄司は世界の広さに圧倒され、一人の人間の持つ力の限界を知った。


「(けど、俺は俺で、間違ってなかった。俺はあの時、最高の決断をしたんだ)」


 庄司は自身の手にしっかりと握られた企画書とクラウドファンディングのサイトに目を向け、胸のすくような気持ちになった。

「(この方法なら、これまで様々な弊害で、活動に至る事ができなかった個人の希望や計画も発表の場を作り出せるし、そしてそれを実現させるか否かの決定権も、生徒側に持たせる事が出来る)」

 クラウドファンディングという形は庄司が根付かせた個人主体のプラットフォームを、更に上手く生かせる仕組みだ。なにせ、企画の発案も、そしてそれを成功させるのもボツにするのも生徒側の手に委ねられている。そう言った点で、透明性も抜群だ。お陰で、誰もが“当事者”になれる。

「(あぁ、もう……何なんだよ)」

 と、このようにどんな制度上のメリット言い連ねるより、庄司がこの企画書で一番心躍ったのはソコではなかった。
何より、一番はこの企画そのものが「楽しくて」「面白い」これに尽きる事。

 この目の前にあるデモサイトに、様々な人間の生み出した面白可笑しい、そして、時にはハッとさせるような企画が掲載されるようになると思うと、それは想像するだけでワクワクする。

 きっと、一人では到達できない何かが、ここには生まれるのであろう。


「(皆して、俺の提案なんて目じゃない事ばっかりしてくれる)」


 これだから、後輩たちは。
そう、庄司は少しだけ企画書を握りしめる手に力を込めた。
この企画は面白い。それは庄司が考えた過去の提案なんかよりも、ずっと、ずっと。

 握り締められた手の中で、企画書にクシャリと皺が寄り、小さな悔しさが、庄司の心に浮かぶ。しかし、すぐに庄司はその手の力を抜くと、同時に口元に小さな笑みを浮かべた。
そんな悔しさは、今の庄司にとって、本当に些細な事だった。

「(俺の提案があったから……あの日の俺達生徒会の奔走があったから。また今もこうして、面白い事が提案できるんじゃないか!)」

 そう、あの日の最高の決断は、今日この日の最高の提案へと確実に繋がっている。一人の決断は、月日とともに、一人の決断ではなくなり、脈々と続く歴史の中で次へと繋がる“道”そのものになっていくのだ。

 庄司は昨日、昼休みの終わった後、延々と午後の時間を使って読み込んだ生徒会のこれまでの業務資料を思い気分が高揚するのを感じた。10年と少しの時の中で、少しずつ、だが確実にこの母校は生徒の手により変わっていっている。

「この企画、本当に最高!完璧!これに勝る提案なんて、まるでない!伊中天才!」
「完璧とか、褒め過ぎだろ」

 気分の高揚を止められぬまま、殺傷能力のまるでない口喧嘩の中に、庄司は思い切って飛び込んだ。そのくらい、今の庄司は気持ちが軽やかで仕方がなかった。

「……そんなに良いかよ、こんな紙切れが」

 しかし、どうあっても伊中の機嫌は直るどころか、ますます悪くなるばかりだ。
どうやら照れている訳でもなさそうである。多分、伊中自身に自覚はないだろうがその口は少しだけ尖っているのだから、分かりやすすぎる。

 そんな伊中の様子に庄司は思わず吹き出すと、庄司はパンと伊中の背を叩いた。

「今の自分がまず完璧で最高で、イケてると思わなきゃ何も本気でやれないだろ?自信を持て、伊中!」
「…………この企画書がなくてもか?」
「え?」

 伊中はどこか不安気な様子で、庄司の持つ書類を見つめながらボソリと呟くように言った。
先ほどから異様に、伊中はこの企画書の存在にこだわる。まるで、この企画書こそが伊中の不安の根源だと言わんばかりに。
その不安がどこから、何に起因してくるのかは庄司にはハッキリとは分からない。

 庄司は改めて自身の手の中にある、企画書にふと目を落とした。

 ただ、この企画書の中に住まう伊中と、この目の前に居る伊中に多少のズレを覚えてしまうのは確かだった。この企画書は、どこかまるで高校時代の庄司が書いたような、妙なデジャビュを感じる書き方をしている。

これは庄司自身をけなす訳ではないが、この文章の書き方は、確かにそつなく上手く書けているのだが、どこか、そう。

「(こざかしい)」

 庄司はふと自身の中に浮かんできた言葉に、小さく笑った。

 そう、圧倒的にこざかしいのだ。
本音と建て前、欲望の本質を上手くぼかす美辞麗句、相手の立場や役割を利用し、相手の逃げ場を上手く塞ぎつつ、己の望む方向へと誘導するような文章構成。

 見る者が見れば上手く出来た文章である事は間違いない。しかし、これはまるで自身の高校時代の企画書を見ているようで。

「(……ハズい)」

 そう、なんとなく恥ずかしかった。
根拠のない自信に満ちた文章、そしてそこから滲み出る未熟さ。
まるで若い頃の自分をそのまま鏡越しに見せつけられているような気分である。
庄司の若い頃と、こうも似た文章を書く人間だ。きっと、こういった文章を書く手合いは、きっと出会えばすぐ分かる筈なのだが。

「…………」

 庄司は目の前に立つ、不安気な様子の若者を真っすぐ見つめた。

 それに応えるように、伊中は庄司の視線をまるきり受け止める。不安そうな顔をしている癖に、視線が泳ぐ事も、逸らす事もしない。
そう、伊中は、いつもまっすぐだった。庄司には無い、まっすぐさが彼の最大の武器で、弱点で、そしてそれが庄司の中で最も彼を好ましく思う点でもあった。

「(あぁ、そうか)」

 その瞬間、庄司の中で圧倒的に「違う」という言葉が浮かんだ。この文章は伊中が書いたものではない。まだ付き合いは浅いが、こんなに真っすぐな若者が、こんなにも表情豊かにこちらに感情を訴えかけてくる不器用な少年が、このような小手先の技を用いた器用な文章など書かない。

 いや、書けない。

「(これ、別のヤツが書いたもんだな?)」

 庄司はやっと伊中の内にある“不安”をその手に掴んだ気がした。もしかすると、この発案自体が伊中の着想ではないのかもしれない。
この数日間の共にあり続けた“山戸伊中”が、この文章からはひとつも垣間見れないのだ。その圧倒的事実に近い予想に、庄司は少しだけホッとした。

 庄司はこの企画書に、少しだけ、ほんの小指の薄皮程だけであるが、将来これを書いた人間は、庄司自身を脅かす“何か”になりそうな恐怖を感じたのだ。

あと、微かな同族嫌悪。

「庄司……?」

 とうとう我慢できなくなった伊中が、どこか控え目に庄司の名を呼ぶ。その声に、庄司は思い切り笑顔で返した。
あぁ、良かった。庄司の出会った伊中が、この文章の中にいなくて。
そう、心から思った。

「何言ってんだ、伊中。さっきのやつは、お前が金平亭で俺に教えてくれたんだろうが!今自分の出来る事を指折り数えて、これが出来る俺最高!って、俺に思わせてくれたお前が、そんな顔するな!この企画書がなくったって、伊中は最高だよ!俺はお前と出会ってから楽しい事しかなかった!」
「……ほんとうか?」
「あぁ、心配するな。伊中、お前の価値はこの企画書にあるんじゃない。お前自身にあるんだ。それは、どんな姿になっても、何歳になっても変わらない。不安なら俺がお前の証明になろうか?俺は口が上手いから、誰にだってどんなヤツにだってお前がどれだけ最高なヤツか紹介できる!俺のお前と過ごした時間は、それくらい俺にとっても大事なモノなんだよ」
「っ」

 庄司の言葉に、伊中は驚いたように大きく目を見開いた。隣に立っている坂田も、何故かなんとも言えない表情を浮かべている。

「橘、お前……もしかして」
「なんですか、坂田先輩」
「いや、なんでもない」

 坂田はチラリと隣に立つ伊中を盗み見るように視線を動かしたが、その瞬間、どこか呆れた様子で伊中から目を逸らした。

 そんなに呆れないでやってほしい。そう、庄司は静かに思った。ただ、坂田の気持ちもわからなくもない。

 それほどまでに今の伊中は誰がどう見ても変な顔をしていた。嬉しいという表情を上手く表せずに居るのか、それとも隠そうとしているのか。落ち着かないその顔こそが、まさに彼にとっての最高の破顔なのであろう。
しかも、どこか照れくさいのか、その耳は真っ赤だ。

「伊中、お前は本当にすごいやつだよ」
「もう、いい」
「本当だからな!お前は最高なんだ!かっこいいやつだ!俺はお前を尊敬してるよ!」
「わかった……わかったから、一旦止まってくれ」

 そう、最早顔を隠しながら後ずさる伊中に対し、庄司は愉快な気持ちで詰め寄るのをやめてあげた。今や首まで真っ赤な若者をからかってやるのは本当に面白かったが、これくらいにしてやろう。


「これから何があっても、俺が言った事、絶対に忘れるなよ」


 庄司はからかいの中に隠した本心を、そっと伊中に投げた。どんな風に受け止めてくれるかは伊中次第。ただ、これから成長する上で、きっと様々な困難に出会うであろう若者を、少しでも守る言葉になればいいと、そう、庄司は心から思った。

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