[携帯モード] [URL送信]

風を切って歩け
同日



      〇



宮古は坂田と共に、生徒会室へ向かうべく歩いていた。

「お兄さん。俺はお前を他の生徒の手前“伊中”とお前を呼び続けるが、本当の名前は何というんだ」
「……宮古」

宮古の答えに、坂田は小さく「伊中と宮古か……」と呟くと、ピタリと足を止め伊中の方へと向き直った。

「宮古、俺がお前を宮古と呼ぶのはこれが最後だ」
「あぁ」
「俺は学食でお前の正体をバラすぞと脅したものの、俺にはそんなつもりは毛頭ないから安心しろ」
「……助かる」

突然、坂田から真剣な顔で放たれた、思ってもみない言葉。
その言葉に、宮古はホッと胸を撫でおろした。もし、あの言葉で今後も随時、宮古自身の行動に制限をかけられてはたまらないからだ。特に、これからは庄司も共に動く事になる。余り、滅多な事を言われてしまっては、近いうちに坂田の眼鏡と弟の名誉を粉砕する事がほぼ確定するところだった。

「勘違いするなよ。これはお前の為なんかじゃない」
「……伊中か?」

宮古の言葉に、坂田はその視線のどこかに本当の伊中を思い出しているのだろうか。またしても、あのうっとりとした恍惚の表情を浮かべた。
あぁ、本当にこの男は弟に妄信しているのだな、と宮古は改めて思うと、少しだけ伊中に同情した。

「俺としては、伊中が本当に何事もなかったかのように生徒会に最後戻って来てもらうのが、一番の望みだ。この受験を前にした大事な時期に、こんなバカな事が明るみになって、伊中の将来に傷をつけたくない」
「……お前、なんでそこまで伊中にこだわるんだ」

思わず口をついて出てしまっていた。たかだか、同じ生徒会で同級生なだけの伊中に、どうしてこうも拘れるのか。
宮古にはよく理解できなかった。宮古にも、もちろん仲間は居るが、こんな相手の将来を見据えて本気で心を砕くような相手は、あの頭の沸いた愉快なメンバーには一人もいない。

すると、それまでどこか真剣な表情を浮かべていた坂田が思わず吹き出していた。

「伊中とまるきり同じ顔で、そんな事を言われるなんてな」

そう言って愉快そうに笑う坂田は、フイと宮古から体を背けるとそのまま宮古の前を悠々と歩いていった。宮古もその後を追うように歩く。

「お兄さんには分からなくていい。俺には伊中と一緒に過ごした3年間があるんだ。その3年間を知らずに、その答えはきっと理解できないだろうからな」
「…………」

そう宮古の隣で、どこか嬉しそうに口元に小さな笑みを浮かべる坂田に、宮古は先ほど伊中に対して抱いた“同情心”を潔く撤回してやる事にした。伊中にとっても、きっとこの坂田という男は、それなりに大事だった筈だと、ここにきて少し理解できたからだ。

この二人の関係は、妄信と言う一方的なものではなく、伊中からの何か大きな感情を含む双方向的なものに違いない。相思相愛と言うには語弊があるかもしれないが、きっとそれに近いものだ。

「(きっと、理解できないだろう……か)」

宮古は先ほどの坂田の言葉を反芻してみた。なんとも、小気味良く目の前でシャッターを締められたものだ。しかし、何故か腹は立たない。
それどころか、先ほどの坂田の言葉は気持ちよく、ストンと宮古の心の中に落ちていくものだった。
それもそうだろう。伊中の3年間は伊中だけのもので、いくら双子で家族だからとはいえ、その時間を推し量る事は宮古には出来ない。

言葉を尽くし相手に伝える事が気持ちの良い時もあれば、自分の深い部分にだけ留めておく事が気持ちの良い時もある。
大事に、大事に自分の中にだけあればいいものも確かに存在するのだ。

宮古と庄司の、これまでの僅かだが、確かに過ごしてきた時間のように。

「坂田、お前は良い事を言うな」
「はぁぁぁぁ、頼むから。伊中と同じ顔で、あんまりアホみたいな事を言うな」
「ずっと思っていたが、お前。いい加減その眼鏡叩き割るぞ」
「本性を現したな、この不良」

そんな軽口を叩き合いながら、二人はまたあの昼のように肩をぶつけながら、そして、少しだけ笑いながら走っていた。それを見た周りの生徒達は「また、あいつら“いつもの”やってるぞ」と笑いを含んだ視線を向ける。

「おい、伊中!お前の正体がバレると面倒だから、今日は他の生徒会メンバーは全員帰した!」
「だからなんだ!」
「死ぬほど働けよ!」

奇しくも、入れ替わった筈の宮古も、普段の伊中と同じように坂田と競い合いながら生徒会室まで走っていたのだった。



      〇



宮古と坂田が生徒会室に二人して飛び込んだ瞬間。

弟の伊中は、ほぼ廃墟のような状態にまで放置されていた蔦屋学園の生徒会室に居た。
この生徒会室での最後の活動は乱闘騒ぎだったのかと問いただしたくなる程、そこは机と椅子が乱雑に放り出されており、なんなら廊下側の窓には至る所にヒビが入っている。

「なー!伊中―!何サラリーマンみたいにパソコンなんか打っちゃってるんだー?」
「あちゃー!君たちのパソコンのイメージはサラリーマンなのかーー!」
「ノートパソコンはスタバとかに居る頭良さそうなやつが使ってるのよく見るな!」
「そうだねぇ、意識高い系の人たちかなー?」

そう、思った事をそのまま発言してくる小学生のような不良達に、伊中はパソコンの画面もキーボードも見ずに「うんうん」と微笑まし気に頷いてやった。
そんな伊中に不良達は皆、目を輝かせて「すっげー!キーボード見なくても打てるなんてオトナだなー!」等と、最早頭を撫でまわしてやりたいような事を言ってくる。

「あーもう!なんなの君たち!ほんと可愛いやつらめ!」
「うわー!宮古が俺達の事テンション高く可愛いって言ってるみたいでキモ過ぎだな!」
「急に辛辣!」

伊中は不良達とのアクロバットな言葉の応酬の間も手を止める事なく、パソコンに文字を打ち続ける。このようなバカ会話にいちいち手を止めていては、時間がいくらあっても足りないのだ。
バカを気にしない術は、ここ4日間で見事会得する事ができた。自身の学習能力の高さに、伊中は自画自賛のスタンディングオベーションを送りたい気分だ。

「なー、伊中。お前今なにやってるの?」
「パソコンってエロ動画見る為のでしょー」
「ばっかお前、今時わざわざパソコンで見ねーだろ!」
「まてまて、めっちゃ容量重いやつなのかもしんねーだろ!」

伊中は「なら、お前らの思うサラリーマンは皆エロ動画を見てるのか?」とツッコミたくなる衝動を懸命に抑え込みながら、ひたすら手を動かした。既に完成形は頭の中には出来上がっている。あとはデータとして具現化させるだけだ。

もう少しで【生徒会引継ぎ書】が出来上がる。

「ねーねー、伊中よー!何やってるんだよー」
「んー、生徒会がもうすぐ次の代に移るからその引継ぎ書を作ってるんだよー」
「引継ぎ書って?」
「3年の俺らはもうすぐ卒業だろ?だから、2年に生徒会を引継ぐ時に『これはこうしたらいいですよ』って書いたものを残しておくんだよ。後輩が困らないようにね」

伊中がパンパンと小気味良い音をパソコンで響かせながら言うと、周りの不良達の顔がみるみるうちに輝いていった。

「確かに!俺ら居なくなったあと2年と1年がどこの学校のヤツが調子乗っててシメとく必要があるか書いてた方がいいかもな!」
「どこで喧嘩すると警察に見つかりにくいとか!」
「カツアゲすんならココ!とか!」
「…………そうだねぇ」

本当にこの学校は、その全てが伊中の想像の範疇を軽く超えてくる。
よくもまぁ、宮古はこの飛びぬけた連中を一人で束ねていたものである。伊中は兄である宮古を思い、改めて尊敬と同情を同時にその心に抱いた。

あの口下手な宮古の事だ。言葉でどうこうして、この十人十色の髪色達を束ねてきた訳ではないだろう。きっと、昔から本当に他人より長けていたその運動能力を生かした喧嘩の腕と、逆に多くを語らないその背中が、この個々では一切まとまりのない連中を束にしているに違いない。

「伊中!俺らもひきつぎしょ作るから紙貸して!」

伊中は乾いた笑いを浮かべながら「はいはい、待っててねー」と鞄からルーズリーフとペンを取り出した。
こんなに大量の人間が居て、誰一人ノートも筆記用具も持ってないというのが最早学生としてどうなんだと今更ながらに問いたい。

「引継ぎ書って何から書いたらいいんだ?」
「ってか、伊中はどんなの書いてるんだ?」

早速ペンと紙を持ったままハタと固まった不良達に、しかし、伊中の手は止まる事なく動き続ける。そうはいっても不良達を無視する事はせずに、頭の中ではどう言えばこの不良達に分かりやすく伝わるだろうかと思案した。

「そうだなぁ、俺の場合は……どうやって教師と学校から金を巻き上げられるかって事を主に書いてるかな。それが紀伊国屋の生徒会の仕事のメインみたいなもんだし」

伊中の言葉にそれまでペンと紙を持って固まっていた不良達が、一斉に伊中の元へと駆け出してきた。

「すげぇ!伊中って頭良い学校通ってると思ってたけど、本当は悪い事してんじゃん!」
「ねこも殺さないような顔して!」
「虫な!?虫!ねこちゃん殺さないからね!俺どんな顔なのもう!」

ここに来て伊中はようやく最後の一行を書き終えると、パンとエンターキーを押してやった。ひとまず、大枠の形は出来上がった。細かな訂正は必要としても、ひとまず、休憩と称して、目の前の不良達との会話を転がすのも悪くない。

「学生ってさ、基本的にお金がないよな」
「ないない!ぜんぜんない!1億円欲しい!」
「欲しいねぇ。で、うちの学校、別に成績さえ下がらなきゃバイト禁止ではないんだけど、成績を下げずにって、そこそこ難しいわけですよ」
「だから、先生達から金を巻き上げるんだな!」
「惜しい!先生というか、学校組織から巻き上げるんだよ」
「意味わからん!」

パン!パン!小気味良い卓球のラリーのようなテンポの会話。きっと理解力がない分、いや、理解しようという気がサラサラない分、返しが早いのだろう。少しは長考してくれてもかまわないのだが。

「うちの学校ってね、だいぶ前、といっても10年ちょっと前からなんだけど、面白いルールが出来てね。それでこれまで何回もテレビの取材とか来てたりするんだよ」
「どんな!先生は生徒にお金配る事ってルール!?」

どんなルールだよ。
伊中はガクリと肩を落とすと、この会話を転がし始めた事を少し後悔した。片手で転がすようなテンションで、この不良達に自分達の学校の、他にない制度を紹介するのは無理そうだ。そして、それをしたところで得るものは得になさそうなのが、また辛いところである。ただ、ここまで来て適当に流す事など、目の前でキラキラとその目を輝かせる不良達は許してくれそうにない。

伊中は自身のカバンから1冊の古びたノートを手にスクリと立ち上がると、これまで一切使われてこなかったであろう黒板の前へと立った。黒板の淵には、かろうじて残るカスのようなチョーク達。

「説明しよう!」

伊中はどこかで聞いたようなフレーズを生まれて初めて口にした。目の前には、お世辞にも理解力があるとは言い難い不良達。しかし、その不良達の目はどこか真剣で、いつの間にか片手で転がす程度のやる気しかなかった、伊中の心に火をつけた。

「金のない俺達学生が、学校から正当性を持って金を巻き上げる方法として編み出されたのが」

【部活動の民主化】

伊中はタンタンとチョークで手を白くしながら勢いよく板書した。

部活動の民主化。
それは、紀伊国屋が独自に持つ他の学校にはない大きな特色の一つだ。それは、集団という、数に頼らない、個がそれぞれ平等に力を持てるという制度。

すなわち、1人からでも部活動の発足が可能な制度だった。

本来、部活動とは、ある一定以上の同じ活動をする生徒が集まり、集団となる事で発足されるものだ。その後、部として認められれば、部室に部費、活動場所や顧問が割り当てられる。
しかし、紀伊国屋高校はそうではない。“部活”という集団にその特権が与えられるというよりは、その多くは活動の“結果”にその全てが付与されていく仕組みを取っている。

それは若干、会社経営における経費精算に似ている。

その為、部室も流動的に変わっていくし、発足したからと言って活動し続けなければならない決まりはない。重要なのは組織ではなく“活動”そのものなのである。

その為、紀伊国屋高校には年間100を超える新しい部活動が発足しては消えていく。

生徒個人個人が、やりたい事、自身の将来を見据えやるべき事を、それぞれの行動力、思考力を持って考え、学校はそれを全力でバックアップする、という生徒の自主性を重んじた仕組みである。

全ては生徒の個人を尊重し、若い彼らの興味関心意欲を伸ばしていく為。
この先の日本を背負って立つ若者達を育てる為。
と【部活動の民主化】を発案し制度化した生徒会長は謳っている。

そう、表では。

伊中は手元にある古びた1冊のノートを1枚パラリとめくると、そこには大きな文字でデカデカと勢いのある文字が躍っていた。
【金がない!そんな時に大人と学校を使って上手く金を巻き上げる為の部活動発足のコツ!!】

「その1!学校側が断りにくい大義名分と美辞麗句を全面に押し出す!特に生徒の自主性、や成長、地域との繋がり、果ては国際性など!その辺りの言葉は、大人と学校は大好きです!それらを使ってやりたい事の本質をぼかしつつ、まずは提案していきましょう!大人を上手く騙す為に必要な言葉の一覧はこちらです!」

伊中のその勢いのある言葉と、躍るような板書の文字に、いつの間にか不良達はゴクリと唾を呑み聞き入っていた。それはそれは、彼らが考えつかないような、とても規格外の「カツアゲ」だった。

部活動という従来から存在する生徒の活動形式に、新しい価値と意義を付加させるプラットフォームを作り出した人物。それは、伊中の手にあるノートの創始者でもあり、伊中が静かに心から尊敬する人物でもあった。

ノートの表紙にはこうかかれている。

【生徒会 裏 引継ぎ書】

伊中がパソコンに記した大義名分のみの書かれた引継ぎ書とは違う、それは生徒会長だけに代々受け継がれる、ひみつのノートだった。


[*前へ][次へ#]
[戻る]


第3回BLove小説漫画コンテスト開催中
[小説ナビ|小説大賞]
無料HPエムペ!