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風を切って歩け
同日



    〇



宮古は、またしてもつまらない授業を半分寝ながら受けていた。

昼は、急に現れた坂田という、伊中と共に生徒会をやっている男に捕まり、一時は昼抜きになるところだったが、間一髪でそれを阻止し、無事に庄司との約束を果たす事が出来た。
本当ならば、昼は学食で、という約束だったが坂田のせいで、それは叶わなかった。

その為、購買で買ったパンを生徒会室で食べる事になったのだが、しかし、まぁ、あれはあれで良かったと言える。
生徒会室には宮古達3人しか居なかったお陰で、落ち着いて食べる事ができたし、食べ終わったからと言って周囲に気を遣って席を立つ必要もなかった。

「(……庄司のひみつって何だ)」

ただ、宮古は昼以降、自身の中に渦巻く何とも形容しがたい気持ちに苛まれ続けていた。お陰で、このような訳の分からない授業を前にしても、午前程気持ち良く眠りにつく事が出来ず、結果、半分しか眠れていない。

まぁ、どうしても半分は寝ているのだが。

宮古は「くあ」と頭を下に向け、小さく欠伸をすると、そのまま机からチラリと携帯を取り出した。いつものように、仲間たちからの返信に値しないくだらないメッセージが山のように来ている。
その中に庄司からのメッセージはない。まぁ、互いに授業中な為、メッセージが来る訳もないのだが。

ふと、昨日の夜庄司から貰った写真データが目に入った。そう、ちょうど弟の伊中から連絡が来た時に見て吹き出してしまった“アレ”である。
またしても、思わず吹き出しそうになるのを、宮古はグッと堪えた。

その画像。それは庄司が昨日の夜、別れた後に送ってきたとっておき“の写真だった。

そこには2日前、電車のホームで至極真面目な顔で手をつなぎ今まさに「バルス!」と叫ばんとする二人の様子が、真正面から写っていた。しかも写真は1枚ではない。複数枚存在した。「バルス」と叫んだ瞬間、それを他人に見られて二人して顔を合わせる瞬間、みるみるうちに真っ赤になる瞬間、二人して手を繋ぎながら駆け出す瞬間。連続して見ていくと、それは正にパラパラ漫画のように、あの時の二人の様子を克明に写し出していた。

確かにあの日、二人の様子を向かいのホームで写真に収める女子高生が居た。この写真は、どう考えてもあの女子高生が撮影したものだ。
昼を食べながらこの画像について聞いてみると、またしても庄司らしいカラッとした答えが返ってきた。

『たまたま、帰りの電車にあの女の子が居たから貰ったんだよ!すげぇ偶然過ぎでもう、笑ったわ!』

そう言って、すっきりと笑ってみせる庄司に宮古は「本当にそんな偶然あるのか」と本当に驚いたものだ。しかし、実際こうして画像はあるし、庄司が見せてきた携帯の画面には、あの写真を撮った女子高生と思しき、女の名前のメッセージ欄がしっかりと出来上がっていた。

この庄司のフワフワとした掴めなさは、何故か相手に警戒心を抱かせない不思議な力がある。そして、庄司自身の性格もその不思議さに似合った魅力で溢れているのだ。
急に現れた赤の他人の男子高校生に、なんの躊躇いもなく連絡先を教える相手の女よりも、やはり宮古にとっては庄司の方が心配で仕方がなかった。

「(誰にでもホイホイ声をかけやがって)」

写真の中で、まるで自分だとは思えない程笑う自身の姿に、宮古は小さく息をついた。

「(庄司、お前の言えないひみつって何だよ)」

写真の中で自身と共に大いに笑う庄司を見て、宮古は答えの無い問いに少しだけ焦りを覚えた。宮古には、もう余り時間がない。この“伊中”という姿カタチは、もうすぐ本当の“伊中”に返さなければならないのだ。


『ほんと、俺、お前の事好きだわ』
『こんなに面白い生徒会長なら、もっと早く仲良くなってたら良かった』


そう言って笑う庄司の隣も、なにもかも。全部、伊中のものになる。庄司は今日の坂田のように、中身が入れ替わった後、その伊中が宮古自身ではない事に気付いてくれるだろうか。
もしかしたら、何事もなかったかのように、庄司の毎日には弟の伊中がすげ変わってしまうかもしれない。

山戸伊中という人間は、元来、人を惹きつける特別な何かを持っている。それは、昔から一番近くに居る宮古がよく分かっている。
だから、坂田のように妄信したような人間を生み出すのだ。

『おーい!伊中!生徒会終わって暇なら、俺とあそぼーぜ!』

なんて。
まるで、山戸宮古という人間など、最初から居なかったかのようになってしまうかも。
そう、宮古自身がこの姿になって実感した「自身という存在が、そこまで他者に影響を与えはしない」という、入れ替わった当初はスキップをする程嬉しかった事実が、今ここに来て重くのしかかった。

「(ひみつって、なんだよ)」

ぐるぐる、ぐるぐる。
最早、半分程残っていた筈の眠気すら消えてなくなっていた。こんなに頭の中で思考を行ったり来たりと考え尽くしたのは、いつぶりだろうか。いつも、考えるよりまずは行動で答えを見つけてきた宮古にとって、コレは行動だけでは解決できない難題だった。

どうすればいいのか、宮古には全く分からない。もはや、自分自身が何にこんなに苦しんでいるのか、それすら分からなくなっていた。


「伊中!おい、伊中!」
「っ!」

急に現実に呼び戻された。
宮古は俯いていた顔をとっさに上げると、そこには不機嫌そうな表情を浮かべる坂田が立っていた。どうやら、いつの間にか授業は終わっていたらしい。
教室の中を見渡すと、皆各々帰り支度をしている者も見られる事から、授業どころかHR
すら終わっているようだ。宮古はどこまで自分が深い、深い思考の中に浸かってしまっていたのか理解し、呆れるしかなかった。
もしかしたら、寝ていたのではとすら思える程、周りの状況など気にならなかった。

いや、気にしてなどいられなかった。

「授業が終わったら生徒会室に来いって言ってただろうが」
「あ、あぁ」
「もう、橘はとっくに生徒会室に来てたぞ」
「庄司が?」
「何が楽しいのかは知らんが、生徒会室ではしゃぎまわってる。鍵は閉めたと思ったんだが開いてたみたいで、一番乗りしていた」

言われた庄司がとっさに携帯を見てみると、そこにはまたしても用件のみの一言メッセージが来ていた。

【先に生徒会室に居るからなー!はよ来い!】

宮古は何の答えも出ないまま、ただ、庄司が呼んでいるのならとすぐに立ち上がった。考えるのは苦手だ。だから、宮古はいつも通り、考える事は放棄し動き出す事にした。



       〇



最初にその場所を訪れた時、庄司は懐かしさの余り卒倒しそうだった。


【生徒会室】


変わらぬその場所は、庄司が学生だった時よりも少しだけくたびれてしまっていたが、おおよそは何も変わってはいなかった。あまり広くないそこは、壁の両脇に生徒会にまつわる数多くの資料が並べられていた。奥には一台だけパソコンも置いてある。
真ん中には8人程が向かい合って座れる長机と、パイプ椅子。

どれもこれも、庄司が居た十数年前と何も変わっていない。

昼食を3人で摂る為に入った時は、伊中と坂田の手前、庄司とて表面上は冷静に過ごしていた。ただ、坂田が伊中と放課後に生徒会の業務について話すのを聞いて、考えるよりもまず体が動いてしまっていた。

「俺も一緒に手伝いたい!」

最初は生徒会メンバーですらない部外者に業務の一端を担わせる事へ渋い顔をしていた坂田だったが、伊中が大いに助け舟を出してくれた。

「別にいいだろ。庄司だってこの学校の生徒なんだし」

その助け舟に、庄司は自身の後ろめたさが更に大きくなるのを感じた。庄司はこの学校の生徒ではない。ただ、元生徒ではある。どうにかそうやって、自分を正当化させ、渋る坂田に畳みかけた。

「俺、多分すっごい役に立ちますよ!」

『こんな雑なプレゼンあってたまるか』と、久々にサラリーマンの庄司が心の中でツッコんできたが、制服を着た庄司はそんな苦言に耳を貸す事はない。
高校生の庄司は、やる気と熱意でどうにか坂田に意見をぶちこむのみである。

「荷物運びでも、なんでもやりますから!生徒会メンバー全員分位のスペック持ってます!俺!」

叫んだ瞬間、坂田が「言ったな?」と力強い視線で庄司を射抜いた。坂田の視線に、庄司も一瞬怯んだがここで引き下がる訳にはいかない。なにせ、庄司はここに来て初めて母校で本当に“高校生”をやれるチャンスが巡ってきたのである。庄司の休みも折り返し地点にきた。やれる事、やりたい事は全部やらなければ。きっと残るのは後悔だけだ。

「もちろんです!」

庄司は坂田に思い切り応えてやった。ここに来てやっと、坂田も折れたように「わかったよ」と頷いた。

「橘。先ほどの言葉、真に受けさせてもらうぞ。放課後、時間になったら此処に来るように」

真に受けさせてもらうぞ。という中々聞かない返事の仕方に、庄司は坂田という男の独特さを垣間見たようだった。申し訳ないが、思わず笑った。

「了解しました!」

庄司のカラッとした二つ返事に、坂田はどこか胡散臭そうな表情を浮かべたが、そこから坂田が何か言う事はなかった。
昼食の後、一旦午後の授業へと戻る二人にならい、庄司も2年の教室へと向かった。
否、向かったフリをした。

もちろん、庄司には受けるべき授業もなければ、所属するクラスもない。庄司は二人が見えなくなるまでその背中を見送ると、すぐさま動き出した。
何の為に動きだしたのか。それは、今しがた出た懐かしの生徒会室へと再び戻る為に、だ。

ただ、生徒会室の入口は先ほど、坂田がカギを締めてしまい正面から中に入る事は叶わない。

しかし、そんな事で諦める庄司ではなかった。
庄司は他の生徒や教師陣に見つからぬよう、素早くグラウンドに駆け出した。その途中で、授業の開始を知らせるチャイムが鳴り響く。その音すら懐かしくて泣けてきそうなのだが、そんなチャイムの音如きで懐かしさに浸っている場合ではなかった。

生徒会室は部室棟という、そもそも教室のある棟とは離れているため、日中は殆ど人が居ない。その中でも生徒会室は最も東側にある角部屋の為、授業さえ始まってしまえば誰も邪魔者は来ないのだ。

「(よし、これでいい)」

庄司はグラウンドに面した窓の一つに手をかけると、その扉がカラと小さな音を立てて開くのを確認した。この扉は、先ほど昼食を食べている際に庄司がこっそりと鍵を開けていたものだ。庄司はその窓の淵に手をかけると、勢いよく生徒会室にその身を潜りこませる事に成功した。

そう、こうして過去、幾度も庄司は授業をサボるのに生徒会室を利用したものだった。

生徒会室、そして授業のサボり。
それら全てが、あの過去の日の庄司そのものだ。庄司は踊るように軽い足取りで生徒会室を隅々まで物色した。この棚にはこれまで発足した部活動とその記録のファイルがある、あの棚には生徒会の活動記録。そして、この奥には歴代生徒会の名簿とアルバムがある。

庄司は名簿とアルバムのある棚を開けると、指でなぞるように1冊1冊、アルバムの背をなぞっていった。そして、ある1冊に辿り着いたところで、その指はピタリと止まった。流れるような動作で、その1冊を人差し指と親指で取り出すと、庄司は近くにあったパイプ椅子に軽く腰かけた。

パラパラと、ページをめくる音だけが部屋へと響く。遠くからはどこかのクラスの授業をする声が聞こえる。グラウンドからは生徒達が何かの試合をしているのか、声援や歓声も響き渡っている。
ここは、本当にその全てが“学校”であった。

「ほんとうに、なつかしいな……」

庄司が静かに見つめるその先には、至極真面目な顔で写真に写る、庄司自身が居た。

【紀伊国屋高等学校 第25代生徒会会長】
橘 庄司

庄司は確かに十数年前、この学校の生徒だった。
生徒会長だった。

ここは、庄司の母校だ。


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