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風を切って歩け
同日



   〇


「えっと、そちらはどちら様?」

庄司はやっと現れた待ち人に何故か謎の眼鏡男が付いて来ている事に目を瞬かせた。本当に誰、である。
その戸惑いをダイレクトに伝える為に、庄司は眼鏡男の隣に立つ伊中に視線を投げかけてみる。すると、そこには予想外に自身と同様かそれ以上に戸惑いの表情を浮かべる伊中の姿。

「(いや、お前が連れてきたんだろうが)」

そう声を大にしてツッコミたい程、伊中は戸惑っていた。なんなら、この今初対面の庄司に助けを求めを求めん勢いで。

「伊中を知っていて、俺を知らないとは……」
「す、すみません。先輩」

どうやら、伊中とは親しい間柄のようなので一応敬語を使っておく。庄司は29歳のしがないサラリーマンではあるものの、此処では17歳、高校2年生の橘庄司なのである。

「まぁ、生徒会長の伊中ほど、俺は余り表に立つ機会も少ないからな」
「へ?」
「俺は一応、この学校では生徒会で副会長をしている。坂田 喜一(さかた きいち)だ。」

庄司はその瞬間、副会長という眼鏡の男の名前だけが耳を通り抜け、ある情報の1点だけが強い衝撃となって、頭を殴りつけてくるのを感じた。
伊中の事を、この眼鏡の男は何と言った。

あぁ、確かに言った。
生徒会長、と。

その瞬間、庄司は心底「やってしまった」と頭を抱え込み、その場に倒れ伏したい気持ちになった。もちろん、実際にそんな事はしないが。
庄司は一瞬にして、伊中と初めて出会った日に脳内をトリップさせてみた。



『伊中?珍しい名前だな。そんな先輩いたっけか?』
『俺は……目立つ生徒じゃねぇから。知らないのも無理ない。部活にも入ってねぇし』



そう、確かこんな会話をした筈だ。
わざわざ名前が珍しい生徒会長という、そこそこ露出の高い先輩を忘れ切っているなんて、今思えば不自然極まりない。しかし、起こってしまった過去は今更どうする事もできない。
庄司は、倒れ伏しそうになる自身の体を必死に支えると、一つの決断をした。

「(この件は全力でスルーしよう)」

幸いな事に、伊中が生徒会長である事を知らない庄司を、今の今まで伊中自身が何とも思っていないようであるし、正直学年も異なれば知らなくとも、不審がられる程変な事でもないのだ。
庄司は一気に気を取り直すと、急に黙り込んだ庄司に「どうした?」と声をかけてくる伊中の腕を勢いよく掴んだ。

「伊中、腹減った。飯食お」
「お、おぉ。そうだな。待たせて悪い」

庄司はまずは席を確保せねばと、伊中の腕を掴んだまま空腹の生徒達で溢れかえる広い食堂を見渡した。
2席だけならチラホラと空きが見える。あまり、両脇が詰まっているのは落ち着かない為、隅に窓際の席にしようか。
そう、庄司が伊中と座る席に当たりを付けた時だった。

「人に名前を聞いておいて、自分は名乗らないのか?」
「あ」

少しだけ機嫌を損ねたようなその声に、庄司は思わずはっとして振り返った。
そうだ、もう一人この男が居るのを忘れていた。伊中が生徒会長というのを耳にした瞬間、この男の存在が一気に庄司の中から流れ去っていた。この副会長という、メガネの男。
名前を確か、坂田と言ったか。
庄司は若干の気まずさの中、とりあえずヘラと愛想笑いを浮かべておいた。

「坂田先輩、すみません。あんまり腹減ってたんで、つい。俺は橘庄司って言います。2年です」
「橘庄司?」

庄司が名乗った瞬間、坂田の眉が顰められた。まずい、そう庄司はここにきて一気に背中に嫌な汗が流れるのを感じた。
紀伊国屋高校がいくら庄司の母校とは言え、在籍していたのは10年以上も前の話だ。「聞かない名前だが、お前は何組だ?」などと聞かれようものなら、最早一貫の終わりである。
あぁ、何が終わるかなんて考えたくもない。

しかし、その庄司の焦りは坂田からの予想外の言葉で杞憂と終わった。

「どっかで聞いた事ある名前だな」
「へ」

逆に、である。
聞いた事ないと問い詰められるかと思いきや、まさか、まさかの予想外。
このような好機を逃すわけにはいかないと、庄司は顎に手を当て考えている風の坂田にまくしたてるように言った。

「まぁ、なんか生徒会の名簿かなんかで見たんでしょう。よくある名前だし。坂田先輩も早く飯食いましょうよ。腹減ったんじゃないですか」
「……まぁ、そうだな」

結局、何も思い出せなかったのか、坂田も庄司の勢いに押されて思考を手放したようだった。
庄司はその様子を横目で察すると、心底胸を撫でおろした。昨日の警官からの逃走劇と言い、今日と言い、この制服姿は急にスリルを味わわせてくる。
あまり、滅多な事は言わないようにしなければ。

「んー、どこもいっぱいかぁ」

庄司が食堂を見渡してみるが、2人席はチラホラ空きがあるが3人ともなると、なかなか空いていない。このままでは何も食べられないまま昼休みが終わってしまう。それは何としても避けなければならない。

「庄司、俺に良い考えがある」
「お、なんだ。言ってみろ。伊中」

それまで黙っていた伊中が、妙案を思いついたとばかりに声を上げた。伊中は坂田を親指で指さすと「こいつが一人で別の席に行けばいい」と、急に挑発するように言った。指された坂田は、その提案に「ほほぉ」と眼鏡を上げる。
正直、坂田を急に連れて来た張本人である伊中が、コレを言うのはどういう事だと思う。そして、坂田を背にしてソレを言う伊中には見えていないだろうが、庄司の目に映る坂田という眼鏡の副会長は、どんどん笑みを濃くしていく。

その笑みに、正直その提案はやめておいた方がいいと、庄司も本能的に察した。

「伊中、そんな事を俺に言っていいのか?」
「あ?」
「なぁ、ココで全部バラしたっていいんだぞ。俺は。どうやら橘も知らないようだし。なんなら教師陣にだって今すぐ言ってやろうか」
「…………」

目の前で繰り広げられる言葉の応酬。どうやら、伊中には圧倒的に歩が悪いようだ。

「……じゃあ、どこで飯を食うんだよ」
「購買で何か買って、生徒会室で食べればいいだろ。橘もそれでいいだろ」
「あ。はい」
「っち」

どうやら、この坂田という男に、伊中は何かを握られてしまっているようだった。しぶしぶと言った様子で、坂田の提案に舌打ちをする伊中だったが、ソレに否を唱える事はしない。一体何を握られてしまっているのか。

「庄司、食堂は明日行こう」
「了解。伊中、お前一体坂田先輩に何を握られてるんだよ」

一応、気になるので聞いてみた。思わず口元に笑みが浮かんでしまうのを止められない。
そんな庄司に、伊中は眉間に皺を寄せて、視線がユラユラと定まらなくなってしまった。その顔にはハッキリと「言いたくない」と書いてある。
そして、伊中の口からやっとの事で絞り出された言葉に、庄司は思わず笑ってしまった。

「…………ひみつ」
「ぶはっ!何それ!こんなド直球に秘密にされたら、もう聞けねぇじゃん!」

ひみつ。
こんな直球過ぎる隠し事の表現を、庄司はなんだか久々に聞いた気がする。だから、これ以上は聞かない事にした。伊中の言いたくないひみつ“を暴ける程、庄司自身が清廉潔白ではないのだから。
あぁ、ひみつ“は確かに言えないだろう。そして、その言葉は、伊中がウソをついてない事だけは明らかにしていて、庄司は気持ちがじんわりと温かくなるのを感じた。

テキトーな嘘で誤魔化すなんて器用な真似ができない、このまっすぐな若者が、庄司は好ましく思えて仕方がなかった。

「伊中、そんな顔すんなよ。もう聞かねぇから」
「……おう」
「さて、さっさと購買で飯買って食おうぜ!」
「そう、だな」

どこかホッとしたような、少しだけ釈然としないような、なんとも言えない表情を浮かべる伊中に、庄司はふと思った。

「(ひみつ、は嘘じゃないんだよな)」

庄司はいつの頃からか、伊中に嘘をついてしまっている自身に、嫌な引っかかりを覚えるようになっていた。最初は、その時限りの出会いだと、何も感じていなかった筈なのに。
なのに、今はどうだ。

「(嘘、つきたくないなぁ)」

庄司は目の前を歩く伊中の背中に、ハッキリとそう思っている。隠し事は、今更だ。もう、仕方がない。言えない事は、どうしても言えっこないのだから。
だから、せめてこの関係から、嘘だけは取り払っておきたい。

「なぁ!伊中!」
「あ?」

坂田に何か言おうとしていた伊中を、庄司は思ったよりも大きな声で呼んでいた。

「俺も、伊中に言えない事があるんだ!」
「え」

庄司からの思ってもみなかった言葉に、伊中の目が大きく見開かれる。その隣で共に振り返った坂田も、なんだと眉を顰めた。
滅多な事を言わないようにしなければ、なんてつい先ほど心に留めた自戒を早速破ってしまった。変に問い詰められたりしたら、それこそ面倒な事になるのは必須。
しかし、庄司は、今、少しでも早く、伊中に伝えておきたかった。

「言えない事って、なに?」
「ひみつだよ」
「…………言ってくれないのか」
「ひみつ、だからな」
「知りたい」
「ぶはっ、もう何だよ!伊中!素直過ぎか!お前もう最高だよ!」

自分はハッキリと先ほど秘密があるから話せないと言った癖に、庄司の秘密には「知りたい」なんて興味関心意欲の全てを詰め込んだ言葉を放ってくる。どこまでも自分本位で、そして、まっすぐなんだ。
庄司は伊中の肩をパンパンと軽く叩くと、もう笑いが止められなかった。伊中はそんな庄司に「誰にも言わないから教えろ」と、まるで子供のように秘密を暴こうとしてくる。
誰にも言わない。いや、他の誰でもない伊中にこそ知られたくない事なのに、それをその張本人が至極真面目な顔で言ってくるものだから、庄司はまたしても笑いが止められなかった。

「笑い過ぎだろ」
「っは、あはは、ごめん。もう、ほんと。伊中、お前、良いよ。ほんと、俺、お前の事好きだわ」
「…………」
「おい、お前ら2人。何か知らんが、購買も無限に商品がある訳じゃないんだ。さっさと行かないと本当に昼抜きになるぞ」

つい先程までは、庄司の急な告白に何事かと眉を顰めていた坂田だったが、一人で大爆笑を始めた庄司にどうでも良い事だと判断したようだった。むしろ、一番空腹を感じていなかった筈の坂田こそ、この学食で食欲をくすぐる匂いに当てられ今や、最も空腹を抱えた男子高校生に成り下がっていた。
副会長でも、メガネでも、腹は減るのである。

「すっ、すみません。坂田先輩……伊中がもう、面白くて。行きましょう」
「橘、お前伊中とは最近仲良くなったのか?」
「はい。ほんと、ここ2、3日です。こんなに面白い生徒会長なら、もっと早く仲良くなってたら良かった」
「………へぇ、伊中。お前、良かったじゃないか。可愛い後輩に、こんなに好かれて。もうすぐ生徒会も2年に引き継ぐし、お前もこれから今より時間が出来るだろう。後輩は、大事にしろよ」
「…………あぁ」

坂田の、どこか面白がるような表情と先程まで庄司のひみつに食い下がっていた筈の伊中。しかし、坂田の言葉に、伊中は急に押し黙ると、なんとも言えない顔で庄司を見てきた。もう秘密を教えろとは言ってこないようだ。

「(伊中、お前も俺に言えないひみつ“があるんだもんな)」

本当は気になる。ひみつは、嘘ではない。嘘よりはずっと良い。けれど、庄司だって伊中の事なら本当は知りたいし、気になる。ひみつになんてせずに、何でも話して欲しい。けれど、庄司にはそれを伊中に言い募る権利は持っていなかった。
なぜなら、この関係には明確な終わりがある。伊中と過ごす毎日が、楽しくて、面白くて、好ましくて、忘れかけそうになるけれど。

「(もう、今日は木曜日か……あと、休みも3日しかない)」

庄司は伊中の隣に立つと、そのまま肩が触れるか触れないかの距離のまま、先へと歩を進めた。購買の場所は変わらなかった筈だ。ここに来る時に見たら、庄司達が高校に在学していた時と同じ場所にあった。
歩いていると、学生達の騒がしい声が様々なところから響き渡ってくる。若い人間達の生む、熱気と狂騒の溢れる此処は、確かに庄司の居たあの頃”と何ら変わらない。

ただ、どうしても庄司の学生時代は過去だ。今ではない。

「さーて、何買おっかなぁー」

庄司は付きまとう不安を振り払うように、伊中の隣から一歩前を出て歩いた。
二人の肩が触れ合う事はない。




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