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風を切って歩け
10月28日


橘 庄司は圧倒されていた。

何に。
自身と同じ制服を着た、しかし自身とは圧倒的に異なる本物の若者達の集団に。


「伊中、おっせぇな」

庄司は数年前に改装されて、少しだけ小綺麗になった母校の学食に居た。
自分たちが居た時とは違い、ありとあらゆるものが新しくなっており、庄司にとって場所としての懐かしさは余りなかった。
ただ、若いという言葉を具現化したような、熱気と狂騒が渦巻くそこは、いくら小綺麗になろうとも、成長期達の腹を満たす場所という本質は揺ぎ無い。その在り様は、やはり庄司にとって記憶の中にあるソレと重なり、純粋に懐かしく思えた。

この日は見学だった昨日とは違い、実際に体験をする為に母校に居た。何の体験か。高校生となって学食で昼食を摂るという体験をする為だ。
この学校のセキュリティのユルさは昨日のうちに実証済の為、庄司はどこか安心して学食の入口に立っていられる。

今、庄司は十分に空かせた腹を抱え伊中を待っているところだ。

「伊中のやつ、何やってんだよ」

昼休み。
この時の為に空かせていた腹を、これでもかと刺激してくる昼食の匂いに庄司はポケットから携帯を取り出した。

【腹減った】

この姿になって、要件のみの一言メッセージが増えた気がする。件名も無ければ、時候の挨拶も、まどろっこしい美辞麗句もない。
あぁ、職場のメールもこんな風で良ければ楽なのに。


To:ぶちょ
件名:書類はよ見て返して
本文:


想像して、思わず吹き出す。いや、本当に用件のみのやりとりのメールで済めば、きっともっと仕事もスムーズだ。
しかし、そうはいなかい社会人の滑稽な性。ただ、書類を早くチェックして返してほしい、ただそれだけの事をメールするのに、どれだけの無駄な言葉を駆使し、相手の様子を伺う事か。


【腹減ったー!早く来い!】


もう一度続けて一発。

庄司は相手の状況などまるで考えず送る事のできる、この用件だけのメッセージのやり取りすら、楽しんでいた。



    〇



「伊中、ちょっと来い」
「あ?」


今日も今日とて、伊中に化けた宮古は自身の通う蔦屋学園とはまるで違う、全国でも有数の進学校、紀伊国屋高校に居た。
やはり授業はチンプンカンプンで、ほとんどの時間を睡眠に充てて過ごしたせいで、とてつもなく頭の中はクリアだ。今だったら、きっと喧嘩で20人を一人で相手にしても圧勝できそうな気がする。やはり、睡眠は大事だ。

そして、やっと待ちに待った昼休み。成長期真っ盛りの食欲の暴徒とまではいかないが、伊中とてまだ18歳。成長期の残滓をその身に宿す、圧倒的若者である。その体は常にエネルギーを求めていると言っても過言ではなかった。

それに、今日は昼休みを庄司と過ごす事になっている。そう言えば、同じ学校だというのに、庄司とは学校内で会った事がない。いつも庄司と会うのは学校外だ。
庄司は授業が終わるや否や席から立ちあがると、その自慢の足で食堂まで駆け出そうと教室の扉を開けた。


そして、開けた瞬間に宮古に向かって放たれたのが冒頭の言葉である。


「伊中、お前この3日間ほとんど学校に来てなかっただろ」
「あ、あぁ」

宮古の目の前には、眼鏡をかけた穏やかそうな見た目の男が立っていた。穏やかそうな見た目とは裏腹に、その声と視線は一切の穏やかさを宿しては居ない。
その目はハッキリと宮古からの拒否を受け付ける事を拒否する強い意志があった。

宮古はここに来て初めて“伊中”の個人的な人間関係から腕を掴まれた。逆に言えば、よくもまぁ入れ替わって4日目の今日まで、それらに捕まらずに済んだものだと言える。

伊中などは初日から宮古の仲間たちに正体がバレてしまい、そこから常に行動を共にしているのに。それもこれも、先ほどの眼鏡の男が口にしたように、宮古自身が殆どこの学校に身を置いていなかったからに他ならない。

宮古はどうしてよいか分からぬまま、眼鏡の男に腕を掴まれズンズンと廊下を進んでいく。一体、自分はどこへ連れて行かれているのか。
そして、容赦なく襲ってくる空腹は、連れて行かれている場所が明らかに食堂ではない事にいち早く気付き、警報音を鳴らしている。

「伊中、この忙しい時に一体どこをフラフラしてたんだよ。来週には生徒会の引継ぎもあるっていうのに。それに引き継ぐと言っても、それまでは俺達がやらなきゃならない仕事も山積みなんだぞ。わかってるのか?」
「…………あ、あぁ」
「ん?なんだ?そう言えば、昨日は腹が痛いと言って帰ったって聞いたけど、具合でも悪いのか?」

いつもと様子の違う伊中(宮古なのだが)に、それまで後ろを顧みる事なく進んでいた男が宮古の方を振り返った。
そこは【生徒会室】と書かれた教室の前で、いつの間にか周りに沢山居た生徒たちは居なくなっていた。

ぐうううううう。

鳴り響く、少し高めの腹の虫の鳴き声。

「具合は、別に悪くないようだな。さ、今日は昼休みなんて取ってる暇はないからな!」
「い、嫌だ!」

昼休みなんて取ってる暇はない。
その言葉に、宮古は思わず掴まれてた腕を振り払った。こんな腹の虫を抱えているというのに昼休みが取れないなんて冗談ではなかった。それに、昼は庄司と学食へ行こうと約束しているのだ。そして、昨日の夜送られてきたあの写真についてもそうだ。宮古は庄司に聞きたい事が山ほどある。

「ん?伊中?お前、なんか変だぞ」
「…………」

そう言って宮古の顔を覗き込んでくる眼鏡の男に、宮古はどう答えてよいものか全く分からなくなっていた。この男が誰で、伊中にとってどういう立場の人間かもわからないままでは、正体を明かして良いのかの判断もつかない。
昨日、無理を言って伊中から借りたこの姿だ。

余り、弟の迷惑になるような事は宮古とて避けたかった。
しかし。

「……お前、伊中じゃ、ない?」
「…………」

宮古の決意は空しく朽ちた。速攻でバレてしまった。

「…………あ、あぁ」

バレてしまっては仕方がない。どうせ、この後どうしたら良いのかといった事の計画性は皆無だったのだ。それに、伊中の方も初日に速攻で自身の仲間たちに正体がバレているので、バレてもお相子ではないか。
そう、これで良いのだ。

宮古は先ほどの「弟に迷惑をかけてはならない」という気持ちから180度気持ちを一変させた。人間と言うのは、その瞬間に応じて自分の立場を正当化させるのに長けた生き物なのだ。

「あぁ、もう!確かにおかしいと思ったんだ!だったらアレか。お前は伊中の双子の兄さんってやつか?」
「そうだ」

しかも、この眼鏡の男は理解も早かった。宮古は説明する手間が省けた事に安堵しながら、目の前で深い溜息を吐く男に、伊中同様こいつも相当頭が良いのだろうなと、ぼんやりと思った。まぁ、眼鏡だし。

「はぁぁぁ。伊中のヤツ、やってくれるよ……もう。この生徒会が忙しい時に。アイツどうするつもりだったんだ?」
「……悪い。俺が言い出したから」

確かにそうだ。全て話を持ち掛けたのは宮古である。
昨日も夜に『もう少し、このままで良いか』メッセージを送り合った際、伊中は『俺もやる事があるから、今週いっぱいね』と釘を刺してきた。きっと、やる事というのは、目の前のこの男が言っている事と同じ事であろう。

「……いつまで入れ替わってるつもりなんだ?」
「今週いっぱい」
「はぁぁぁぁ、おいおいおい。伊中がそれを許したのか?」
「あぁ」
「はぁぁぁぁぁ」

目の前には頭を抱え、溜息を会話の合いの手のように挟んでくる眼鏡の男。その表情はどこか疲れ切っているように見える。

「悪い」

宮古もさすがに申し訳なくなり、再度謝ってみる。一体何をしなければならないかは分からないが、ひとまず伊中が居ない事で不都合が生じているのは確かなようだ。

「お兄さん、顔はそっくりな癖に伊中とは全然違うな……」
「よく言われる」
「伊中は、言葉も行動も、頭の回転も全部早いから……お兄さんさ」
「なんだ」
「伊中のスペックの半分とは言わないまでも、お兄さんが言い出して今週いっぱい伊中をやるっていうんなら、それなりの事は手伝ってもらうからな」
「え……」
「伊中が今週いっぱいまで良いって許可を出したんなら、きっとアイツの中では来週でどうにか出来る算段が、きっと立ってる筈なんだよ」
「そ、そうか」

ならば、自分が手伝わなくて良いのでは?
宮古は、眼鏡の奥に圧倒的な眼力を秘める眼鏡の男に、思わず一歩後退ってしまった。喧嘩の時、どれだけの人数に囲まれても怯む事のなかった宮古は、初めて強いという言葉が腕っぷしにだけ使われるものではない事を知った。

相手に有無を言わせぬ力。それは、眼力であり、言葉でもあり、そしてオーラでもあった。

「その、どうにか出来る“算段”には、今週いっぱいで俺がある程度何とかしているだろうという、伊中の楽観的かつ俺の性格を把握した上で成り立つ、ほぼ確実な?予定?に違いないんだ。言ってる意味、分かるか?」
「……い、いや」
「俺は、伊中のその楽観的だけど、どこか絶対的な算段を崩したくないんだ。それって、俺の事を信用してるって事だろ?この忙しい中でも、俺がある程度何とかしてくれるって思ってるって事だろ?」
「…………」

何を、言っているのか。何故、こんなうっとりしたような表情で、伊中に化けた自身を食い入るように見つめてくるのか。
宮古は背筋に嫌な寒気を感じると、ともかく黙って頷いてやった。

そういえば、伊中は昔から変なヤツに好かれる傾向があった。兄の自分から見ても、伊中が優秀であることは火を見るよりも明らかで、しかも行動力も言動力も持ち合わせるものだから、伊中の後ろにはいつの間にかポツリポツリと信者が生まれていく。
この男は、きっと3年間で立派な伊中信者に成り果てた、その成れの果てであろう。

「だから、俺は今ある状況を伊中の予定調和の中に持っていく事を最優先にする。その中で使えるものはなんだって使う。伊中でなくとも、伊中のカタチがあれば、どうにかなることもある筈だからな」

そう言って、クイと眼鏡を上げる男の瞳は眼鏡の逆光で伺いしれなくなった。宮古の周りには、もちろん眼鏡をかけた者は一人も居ないため、眼鏡を上げるという動作すら、最早恐ろしく感じた。

「お兄さん、今日から伊中が帰ってくるまで、俺の言う通りに動いてもらうからな」
「……わ、わかった」

宮古は内心、こんなのを手懐けてしまう弟にすら恐怖を覚えつつ、頷くより他なかった。ただ、頷いたは良いがともかく腹が減っては何もする気が起きないのも確か。

「ひとまず、昼飯だけ食わせてくれ。腹減った」
「…………はぁぁぁぁ、伊中の顔で、そんな筋肉ゴリラみたいな頭の悪そうな発言をするなよ」
「…………」

思わず拳が出そうになるのを止めたのは、ポケットの中で震える携帯であった。そうでなければ、きっと目の前の眼鏡は今頃粉々に違いない。
宮古はメッセージの送り主に大方の予想をつけて、画面を見る。
予想通り、そこには短いメッセージがあった。


【腹減った】


先程までの、思わず拳が出そうになる衝動が一気に霧散した。
あぁ、こんなに自身の肩の力を抜かす事ができるなんて、庄司はやはり凄いヤツだと、宮古は心の底から感心した。
お陰で、弟の名誉と目の前の男の眼鏡を粉砕せずに済んだ。

「とりあえず、仕事は手伝う。今は飯を食ってくる」
「…………俺も行こう」
「なんでだよ」
「逃げられたら困るからだ」
「逃げねぇよ」
「俺は、いつも伊中と昼は食べるようにしてるんだ」
「俺は伊中じゃない」
「伊中が居ないから仕方なく、だよ」

いつの間にか並走するように早歩きで廊下を駆ける二人を、周りの生徒達はどこか笑いながら見ていた。その笑みの意味を宮古が知る由はない。

【腹減ったー!早く来い!】

続けざまに送られてきたメッセージに、宮古の足は更に早まった。
それに合わせるようにスピードを上げた眼鏡の男に、宮古は奇妙にも肩をぶつけ合いながら駆け抜けて行った。




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