蛇足
助けて楓ママ
『楓の言う事を聞け』
その蛭池の一言により楓は現在、すこぶる柄の悪いクラスメイト達の視線を一気に集めていた。
それはもう一身に。
そしてその視線のどれもが、蛭池へ向けるような憧れを含んだものでも、彦星に向けるような友好的なものでもなかった。
楓へと向けられる視線。
その気持ちを代弁するならば、何でこんな奴に俺らが従わなきゃなんねーんだよクソが、と言ったところだろう。
一般人の楓からしてみれば、その視線は軽く拷問のような状態であった。
「……という感じなので……皆さん怪我をしないように…カレーを作りましょう」
楓が若干彦星の背後に隠れながらビクビクと説明を終えると、クラスメイト達は面倒くさそうにそれぞれの準備へと取りかかった。
もう体中脂汗だらけだ。
もう一生分の脂汗を今出し切った気分でさえある。
楓がよかったと胸を撫で下ろしていると、楓の前に立っていた(というか楓によって立たされていた)彦星がクルリと楓に向き直った。
「楓ー!俺達も作ろー」
そう笑顔を向けてくる彦星に楓は内心泣きそうになるのを堪え、がばりと彦星に抱きついた。
抱きつかれた彦星は驚いて自らに抱き付いている楓に目を落とす。
だが楓もこの時ばかりは周りの目やら、世間体やらを気にする余裕は一切なかった。
「彦星……疲れた」
それに相当怖かった
楓はそう口に出てしまいそうになるのを、寸前で飲み込む。
精神的疲労状態ピークの楓も男の子としての意地は少量だが残っていたようだ。
楓は彦星に抱きつくとそのままギューッと力を込めた。
とりあえず今は人の温もりが欲しい。
するとさっきまで目を丸くしていた彦星だったが、次の瞬間にはその表情を明るくした。
そして楓の背中に手を回すと、こちらも力一杯抱きしめ返した。
「楓頑張ったねーお疲れ様ー」
「……うん」
楓は彦星に力一杯抱き締められながら力無く頷いた。
疲れた
本当に疲れた
それもこれも全ての原因は
「お前ら何やってんだ」
この隣に立つ年齢詐称男のせいだ。
楓はジトリとした目で表情の読めない蛭池を見上げた。
「何であんな事言ったのさ?蛭池くん」
「あ?楓ママか?」
「ちがう!そうじゃなくて……何で俺に従えなんて言ったのさ……こういうのは蛭池くんがやるべきだよ」
「いや、俺は楓、お前が一番適任だと思ったんだがな?」
「そんな……どう考えたって蛭池くんがやったほうがいいに……」
「あっつー!」
「ちょっ!たける、お前何やってんだよ!」
「っ!?ちょっ!何?!どうしたの?!」
楓は部屋に響いた叫び声に一瞬にして彦星から離れると、一目散に声のする方へと駆け出して行った。
「ほらな?適任じゃねぇか?」
蛭池は離れていく楓の背中を見つめながらニヤリとその口元に笑みを浮かべた。
「か…楓ぇ…」
その隣では突然離れて行った楓に寂しそうな表情を浮かべる彦星がいた。
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