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御免こうむります
一足先に、喧嘩の心得

『テメェ!やっぱりまたきやがったかっ!この化けモンが!!』

『ぼす!』

突然、俺の体の上に覆いかぶさって来たもの。
それは、片目に傷を携え、いつも俺にむかって爪を立ててくるぼすだった。
例に漏れず今日のぼすも俺の上に覆いかぶさりながら、グサリと俺の腹に爪を立てている。

『いたい、いたい!いたい!』

『昨日はよくも人間に媚び売って逃げやがったな!今日こそお前をここから追い出してやる!』

ぼすは叫びながら、更に俺の腹に爪を立てる。
周りからは何やら人間の叫び声やら何やらが聞こえるが、俺はそれどころじゃなかった。
お腹の毛の上からギリギリと立てられる爪は、先程アカやしろに踏まれた右足と相成って俺から体の自由を奪う。
しかし、ここで動かねば俺はぼすに殺されてしまうかもしれない。

不思議だ。
俺は死なない変な猫だけど、やはり腹の奥底には“死にたくない”が横たわっている。
ずっと、ずっと横たわってる。

「ぐぅううう!フゥゥゥゥゥ!!」

俺は腹の底から威嚇の声を上げると、俺の上に乗っているぼすの首筋に噛みついた。
こんなに叫んだのはいつ振りだろうか。
それは、その昔、まだ俺が普通の猫で縄張り争いにその身を置いていた時以来の威嚇かもしれなかった。

「に゛ゃぁぁぁぁぁあ!」

俺の突然の威嚇と攻撃に不意をつかれたぼすは思わずその体から力を抜き、俺の上から飛び退いた。

『テメェ……やりやがったな。げほっ、ごほっ』

『…………』

ぼすが俺を睨みながら咳き込む。
しかし、ぼすの目は一切俺から離れない。
そして、俺の目もぼすから目を逸らさない。
互いに互いを睨み続ける。
先程の、アカやしろのように。

縄張り争い、メスを巡る争い、食べ物を巡る争い。
それら全てにおける争いは、まず互いの“睨み”から始まる。
目を逸らさず、機をうかがう。
逸らせばその時点で負けだ。
しかし、目を逸らさず、相手の目を逸らさせる事ができればこちらの勝ち。

簡単なようでこれが最も難しい。
そして事によっては爪や歯を使った直接攻撃なしでも相手を負かす事ができる。
喧嘩の大半はこの “睨み”で勝負が決すると言っても過言ではないのだ。
弱い猫や、若く経験の伴わない猫はまずここで負け、強者の世界から切り捨てられる。

俺は争いを避け、人間の元に下った。
しかし、やはり俺は猫だ。
どう足掻いても猫でしかない。
ぼすが俺の目をジッと見て逸らさない。

俺の腹の底には、腐っても野良猫の本能がずっとずっと横たわって俺を見ている。
それはきっとぼすもそう。

アカやしろが俺から目を逸らしても。
やはり、同族であるぼすは俺から目を逸らしたりはしない。

『ぼす、俺はこれからもこの商店街には入るよ』

『許さねぇって昨日言わなかったか?覚えてねぇのかこの化けモンが』

ジッと睨みあいながら互いの顔をこれでもかと言うほど近付ける。
前傾姿勢を取り、耳は伏せる。体中の毛を膨らませ、尻尾は動きやすいようにゆらゆらと動かす。
互いに互いの目からは目を逸らさぬが、常に次の攻撃箇所に狙いを定めている。
目、首、腹。
どこに爪を立て、どこに噛みつき相手の動きを止めるのか。
本能で考える。

その片隅で、俺の思考の邪魔をするものがある。
“痛み”だ。

先程ぼすから爪を立てられた腹から少しずつ流れている血。
多くはないが少なくない量の血が今も俺の体から流れ出ている。
きっと時間をかけてしまえば俺は昨日のように意識を失うだろう。

それに加えてアカやしろに突進していった時に痛めたらしい、右足。
この痛みは一体次の攻撃開始にどれほど影響を及ぼすだろうか。
あぁ、痛みでぼすから目を逸らしてしまいそうだ。
しかし、目は逸らさない、意識も逸らせない。

そして、考えなければならない。
考えなければ闘いは勝てないのだ。

「フゥゥゥゥゥゥゥ」

正直、これほどの手負いでぼすを相手にするのはかなり厳しい。
手負いというのは、それほどまでに闘いに影響する。意識集中の邪魔になる。
ぼすは片目でよくやっていると思う。本当にここまでの猫になるとは正直思わなかった。

けれど。

『ここがぼすの縄張りで、どうしても俺をここに入れないというなら……俺はこの商店街をぼすから奪う』

俺も猫だ。
そして、元は俺も縄張り争いに身を置いていた身。
譲れないものは、誰であっても、どんな状況だって譲りたくない。

『っあははは!やってみろ!やってみろよ!この化けモンが!テメェの涼しい面を俺の縄張りで拝むのは胸糞悪くて仕方がなかった!』

ぼすは地面を蹴ると俺に向かって飛びかかって来た。
「ぎゃぁぁぁ!」と言うぼすの叫び声が、商店街の天井まで響き渡る。
俺は横飛びでそれを避わすものの、やはり右足の痛みのせいで一瞬の遅れが生じた。
またしても、ぼすの爪が俺の脇腹を掠める。

『い、ったいなぁぁぁぁもう!!』

俺はよろめく体を尻尾で体制を整え、攻撃態勢のままのぼすの顔に向かって爪を向ける。
片目のぼすへの攻撃で、やはり有効なのは右側からの攻撃。
そして、残った片方の目を潰す事だ。

「に゛ゃぁぁぁぁぁ!」

「ふぅぅぅぅぅぅ」

しかし、やはりそれは甘かった。
長い間片目で過ごし、片目で闘ってきたぼすにそれは予想しうる攻撃の一つでしかたなった。
逆に、わかりやすく右目を負傷しているからこそ、これまでの闘いでも同じように相手はぼすの右側から目を潰しにかかって来たに違いない。

『化けモンが化けモンが化けモンが化けモンが!!!』

『うるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさい!!』

とうとう俺とぼすは互いの体に噛みつきながら必死にしがみつきながらごろごろと転がっていった。
俺の歯がぼすの首筋に食い込む。ぼすの爪が俺の鼻の上を引っ掻く。

ごろごろごろごろ。
互いに漏れる威嚇の鳴き声が味坂商店街中に響き渡る。
痛いし、苦しいし、腹が立つ。
腹の毛がブワブワするのが止められない。

『なんで無視するんだ!なんで主じゃなきゃだめなんだ!なんで化け物って言うんだ!俺は俺のしたい事だけするんだ!みんなだってそうじゃないのか!勝手ばかり言うな言うな言うな!』

俺はぼすとごろごろしながら叫んでいた。
あれ、俺は一体誰に対して腹の毛をぶわぶさせているのだろう。
誰に対して俺は叫んでいるのだろう。

『なにを!わけわかんねぇ事ばっか言ってやがる!この化け物がぁぁぁ!!』

ぼすは目を血走らせながら俺の耳に噛みつく。
俺はぼすの腹を引っ掻く。
ごろごろごろごろごろごろごろごろ。

そうやってどのくらいごろごろしただろうか。
俺とぼすの体は見事傷だらけになり、そして互いに未だ臨戦態勢のまま歯をむき出しにして睨う状況。
終わりの見えぬこの状況に、ある変化を及ぼしたのは、やはり人間だった。

互いに最後の咆哮をしようと口を開けた、次の瞬間。
俺でもぼすでもない人間の声が商店街中に響き渡った。

「こんな所で何をやっとるかー!!!」

そう、激しい声で怒鳴りながら俺達の元に走って来る人間がいた。
俺とぼすの意識が一瞬にしてそちらに向かう。

それは上から下まで真っ青な服を着ており、手には長い棒のようなものを持っていた。
しかも、その男が走って来た後には赤いピカピカ光る車が止まっており、俺もぼすもそれに釘付けだった。

『っち!これだから人間の多いところで喧嘩は嫌なんだ!』

しかし、すぐにぼす俺の上から退くと人間に向かって背を向けた。
『次はぜってーぶっ殺す!』なんて怖い言葉を叫びながら走り去って行くその背中は、既に商店街を抜けていた。

こういうところがぼすは野良だよなぁと思う。
俺は逃げるぼすの背を見送りながら走ってくる、青い服の人間を見た。

俺は知っている。
この青い服の人は“おまわりさん”という名前で悪い人間をつかまえる人の事だ。
俺達猫には関係のない人

の筈なのに。

「こーら!こんか所で喧嘩ばしてからに!お店の看板まで壊して!」

おまわりさんは何故か俺をジッと見下ろしてくると、そのまま俺の首根っこをぎゅんと掴んだ。俺の背中の皮がみょんと引っ張られて視界が高くなる。

あれれ、これはどういうことだろうか。
俺はおまわりさんの目の前まで持ち上げられると、おまわりさんの言う壊れた看板が、まさあかの先程まで俺とぼすが取っ組み合いをしていた真横にある事に気付いた。

『ちがうちがう!俺が看板をこわしたんじゃない!ちーがうー!』

「保健所につれていかるっぞ」

“ほけんじょ”とは何だろう。
と、そんな事を悠長に考えている暇はない。

俺はおまわりさんに持ち上げられて気付いたが、何やら俺とぼすの居たところの周りにはたくさんの人間が集まって来ていた。
こんなに一か所に集まった人間は初めて見るかもしれない。
どうやら俺はいつの間にか商店街の中の人間が注目する程の大騒ぎをしていたらしい。
そして集まった人間の視線は全て、おまわりさんに掴まれた俺に向けられている。

『あれを壊したのはしろだ!俺じゃない俺じゃない!』

しかも、その中にはあんなに目をギラギラさせていたアカとしろまで居る。
今やその目は呆然としており、口もあんぐり開いている。
こんな時まで俺を無視するなんて、なんてやつらなのだろう。

アカやしろだって喧嘩をしていたのに、どうして俺ばっかり。

『ううううううう』

俺は乱暴に掴まれた首根っことぼすとの喧嘩でついた体中の傷がジクジク痛み出すのを感じ唸り声を上げた。
右足のずきずきも止まらない。
止まらないどころか酷くなっている気がする。

俺はアカやしろを見た。
アカは俺を無視した。
しろも俺を無視した。
それにしろは今日は俺にふれんちとーすとを作ってくれるって言ったのに。

「くうううううう」

俺は腹の毛がバサバサなるのを感じながら、これでもかという位暴れた。
突然暴れ出した俺におまわりさんは「良い子にせんか!」と怒っているが、俺だってもう我慢ならん。
俺は人間からごはんを貰うから人間を噛んだり、引掻いたりしない。
けど、今日はもういやだ。

『くらえ!』

俺はおまわりさんの手首に爪をしまったまま左手で叩いた。
爪はしまっているが、今度こそ驚いたおまわりさんはとっさに俺の首筋から手を離した。
その瞬間、俺は地面に着地し勢いよく駆けだした。
着地した瞬間、右足のズキズキが酷くなった。

いつもより早く走れない。
だって体中痛くて痛くて仕方が無かったから。
けれど、俺はそのまま振り返らずに足を動かし続けた。

後ろの方で何か人間の声が聞こえるけど、俺は今もうれつにゆっくりしたかったのだ。
家に、帰りたかったのだ。

かみさま。
かみさま。

一度も会った事はないけれど、今日あった毛のとてもぶわぶわする話を聞いてください。
できれば、隠れてないで出て来てくれると嬉しいです。

みんな、みんな、無視をするから。
かみさま、かみさま。


俺はとても―――――。


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あきゅろす。
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