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御免こうむります
一足先に、息子との再会(2)

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『そう言えば、人間には皆、名前があるだろう。お前にも名前はあるのか』

泣きやんでもしばらく俺を抱えたまま離れないアカに向かって、俺は少しだけ話しかけてみた。俺も人間の中で生きている猫だ。
名前がないと、とても不便だと感じる。

まぁ、アカと呼んでもいいのだが、どうせ言葉が通じるなら我が子の名前くらい知りたいものだ。

「お、俺っすか……今の、名前っすよね。あ、ありますけど」

『人間の名前に決まってるだろう。お前に猫の時代名前があったか?』

そう俺がからかうように言ってやると、アカはしばらく考えるように黙り込んだ。そして一息吐くと俺の腹に埋めていた顔をゆっくりと上げた。

その顔は目から流れる水のせいで真っ赤になっている。

「あの、俺の名前、兄貴が付けてくれないっすか」

『俺が?』

「そうです。子供の名前は親が付けるもんっすよね。俺、猫の時名前を貰ってないから。兄貴につけてもらいたい」

そう、真剣な顔で言ってくるもんだから俺は『ふむ』と鼻を鳴らした。
確かに、あの時の俺には名前という概念が無かった。というか、猫には名前の概念などない。しかし、だ。

『もう、お前には名前があるだろうに』

「兄貴に呼ばれる名前は兄貴につけて欲しいんっすよ!」

そう言ってまた目に水を溜めるもんだから、俺は慌ててアカの目を舐めてやった。
我が子に泣かれると、やはり困ってしまう。

『わかった、わかった。俺は猫だから変な名前になると思うぞ』

「いいんです!兄貴が付けてくれる名前っつーのが重要なんすよ!」

『そうか、ならば』

「はい……!」

『アカ』

「あ……あか?そ、そのままっすね」

俺の言葉にアカは己の毛を軽くいじりながら、詰まった鼻で返事をする。
確かにそのままだ。毛が赤いからアカ。
しかし、俺は最初にアカを見た時から、ずっと心の中でアカと呼んでいたのだ。
だから、呼ぶならアカというのが一番しっくりくる。
それに、だ。

『俺が色にも名前があると知ったきっかけが、アカだったんだ。アカは俺に色を教えてくれた色だから、アカがいい』

そう、俺が世界に様々な色というものがあると知ったのは死にかけて起きたあの日の事だった。
俺は人間の言葉が分かると同時に、見える世界さえもその日を境に変わったのだ。
俺の周りには俺の知らない色で溢れていた。
その中で、最も俺の中に強烈に見えた色、それが赤だった。

俺の見た強烈な赤は夕焼けだ。
夕焼けの色を見て俺が驚いていると、たまたま傍を通った子供が「夕焼け真っ赤だねー」と言って母親に笑いかけていた。
それが、俺の赤と、色の名前との出会いだ。

赤は俺に色というものを教えてくれた。

気まぐれで育てた子猫に、俺が多くの事を教わったように。
だから、アカが良い。

夕焼けのような毛の色を携えて、口を開けたままこちらを見ているアカにそう言うとアカはまたしても目から水を流し始めた。
どうしてアカはすぐに目から水を流すのだろう。
しかも、ただの水ではない。しょっぱい水だ。

「兄貴、俺、アカがいいっす」

『そうか、それなら良かった』

どうやらアカはアカという名前を気に入ってくれたようだ。
俺にとってはこれが初めての正式な命名だ。
ぼすの事も俺が勝手に名付けたが、あれとこれとはその意味合いが全然違う。
人間に名前をつけた猫なんて、多分俺が初めてだろう。

そう考えると、なんとも腹の毛がフワフワして気分が良い。

『一応聞くが、お前の人間の名前はなんというんだ?』

「えっと、俺は“高宮安武”っていいます」

そう、どこか躊躇いがちに言うアカに俺は繰り返すように「タカミヤヤスタケ」と呟いてみた。長い。言いにくい。

「兄貴は俺の事、アカって呼んでくださいよ!」

『そうする。タカミヤヤスタケは長い』

俺がコクンと人間のように頷いてやると、アカの顔がこれでもかという位明るくなった。
そうだ、名前ついでに俺の名前もアカに教えてやろう。もちろん“ぶーちゃん”ではない方の名前だ。しろが付けてくれた、かっこいいほう。

『俺の名前はな、キジトラという。かっこいい名だろう』

そう、俺がグルグルと喉を鳴らしながら言ってやると、それまで笑っていたアカの表情がピキリと固まった。
どうした、また目から水を出すのか。
俺が舐める準備をしていると、アカは先程までとは違う不機嫌そうな様子で俺を見て来た。
この顔の動きは、しろもよくしていた。
怒った時のしろだ。

「キジトラって……兄貴、それ、兄貴が自分で付けた名前っすか」

『違う。しろに付けて貰った』

「ちょっ!しろって……もしかして、朝倉の事じゃないっすよね!?違うって言ってください!!」

『なんだ、どうしたいきなり。アサクラってなんだ。しろは、しろだ』

「朝倉海道!兄貴が俺達の所に走って来た時に俺の前に居た胸糞ワリィ白髪野郎っすよ!」

アサクラカイドウ。
俺が走って来た時に、アカの前に居たむなくそわるい白髪野郎。
アカの前に居た、白い髪の人間の男。

俺はあの瞬間を思い出した。
俺が走ってあの裏路地に入った時に居た男。
俺とおしゃべりしてくれる毛の白い人間。
あれは、しろだ。
ふれんちとーすとを作ってくれると言って、作ってくれなかったしろだ。

『アカの前に居たのがしろだ。しろが俺にキジトラと付けてくれた。しろは良い奴だ』

そう、俺が言うと、その瞬間アカは「ノウ!!!」と叫んで布団の上に突っ伏した。そして、そのまま拳を握りしめ布団をダンダンと叩きまくっている。
一体何がしたいのか訳が分からない。
水を出したり、暴れたり、アカは人間になっても全く落ち着きがない。

「クソあの野郎!あの時キジトラとかその猫どうすんだとか気持ちワリィ事聞いてくんなと思ったらそう言う事だったのか!?殺す殺す殺す殺す!アイツぜってー殺す!」

『しろを殺すのか?俺は人間の肉は食わないからいらないぞ』

その昔、俺に向かってそれはでかいカワウを咥えてきたアカを思い出して俺は身震いをした。まさか、アカは俺が人間の肉を食うと思っているのだろうか。
それならば、それだけは勘弁だ。俺は人間の作ったものは好きだが、人間を食おうと思った事は一度もない。

それに、しろを殺されては俺はしろのふれんちとーすとが食べれなくなる。
それは困るのだ。

『しろは良い奴さ。アカもしろにごはんを作ってもらえばわかる』

「あにきぃぃぃぃ!!兄貴は、兄貴はアイツの猫っすか!?アイツに飼われてるんすか!?どうなんすか!?」

『何を言うんだ。俺は昔も今も人に飼われた事は一度もない。俺はずっと野良だ』

「なら!なら何で!?なんで兄貴の名前をアイツが決めたり、アイツの作った飯を食ったりするんすか!?うあぁぁぁ!!」

『アカ。お前だって知っているだろう。俺は色々な人間にご飯を貰う。しろもその一人だ。お前こそ、どうしてしろをそんなに言うんだ。しろのごはんは美味いのに』

俺にとって一番重要なのはご飯だ。
しろは俺に美味しいご飯をくれる。
それに話相手になってくれる。
俺を人みたいに扱ってくれる。

『俺、しろ好きだ』

「っひいいい!!兄貴!ごはんなら俺が毎日スゲー美味いのあげますから!だからもう朝倉の所には行かないでください!なんなら俺ん家の猫になりませんか!?俺マジでスゲー兄貴の為に働きますよ!ねぇ!兄貴!!」

そう、ぼすみたいなギラギラした目で俺に迫って来るアカに俺は体中の毛が逆立つのを感じた。アカはもう獣ではないくせに、どうしてこう野生の本能を丸出しに出来るのだろうか。こんなところも昔とちっとも変っていない。

俺はアカに食われてしまうような気がして少しだけ怖くなった。

『アカ、俺はこれからも野良だ。人間に飼われたりしない』

そう、俺が少しだけ腹の毛を震わせながら言うと、それまでギャンギャンと騒いでいたアカの表情が一気に萎んでいった。
またか、また水を出すのか。それとも、また乳吸いをするのか。

「あにきぃ……あにきぃ」

乳吸いの方だった。
アカは力なくまた俺の腹に顔を埋めると、少しだけ体を震わせていた。
あぁ、これはきっと水も出しているに違いない。
俺は腹の毛の震えを止めると、またしてもペロペロと顔を舐めてやる。
なんだか、子猫の時よりも世話が焼けると感じるのは気のせいだろうか。

「ごめん、あにき。俺があにきを飼うなんておこがましかった。あにき、あにき、あにき。俺をまた前みたいに傍に置いてください。お願いです、俺を置いていかないで」

そんな事を言ってたくさん水を流すもんだから、俺は何と言ってよいのやらわからなくなった。置いて行くもなにも、以前だって俺がアカを置いて行ったわけではない。どちらかと言えば、アカが俺を置いて行ったと言った方が良いだろう。

けれど、今のアカを見ているととてもじゃないがそんな事は言えそうな雰囲気ではない。
アカはおかしな人間だ。
人間のくせに、俺の傍に居たいと言う。
まぁ、俺はおかしな猫なのだから、アカがおかしいのも仕方ないのかもしれない。

何故ならアカは俺の息子なのだから。

『好きにしな、俺はいつでも渡瀬神社に居るよ』

俺はシクシク水を流すアカを舐めながらそう言った。
しかし、今回は舐めても舐めてもアカの水は止まらなかった。
止まらなかったし、乳吸いも止めなかった。
俺は久しぶりの我が子に、アカが水を止めて眠りにつくまでずっと顔を舐めてやった。

その後。
アカが泣き疲れて眠った後、俺はアカの部屋を出た。
アカの部屋は2階で、少しだけ飛び降りるのに足が竦んだが、俺は気にせず飛び降りた。
外はもう真っ暗で空にはピカピカがたくさん出ていた。

飛び降りて歩きながら俺はある事に気が付いた。
昼間、ぼすに引掻かれて怪我した筈の背中が痛くないのだ。
それに舐めてみても、そこには傷一つなかった。

どういう事だろう。

俺はそんな疑問が止まなかったが、考えても分からぬため思考を放棄した。
今更傷が消えているなんて驚く事でもない。
俺は“変な猫”だ。
年も取らず、死なず、人間の言葉が分かる。

怪我が消えていても、なんて事ない。

まぁ、もし機会があれば俺を運んで逃げたアカに聞けばいいだろう。

俺は真っ暗な空に浮かぶピカピカを見ながら尻尾をユラユラさせた。

『(あしたは、しろの家でふれんちとーすと)』

俺は夢のような食べ物の名を口の中で転がしながら、春の夜空の下を歩いて行った。



この日、俺は俺の止まっていた時間の運命が少しずつ動き始めている事に気付いていなかった。

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あきゅろす。
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