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心苦しくも私もゆとり世代でございます。
・・・・・


  ○

大宰府の携帯が震えた。
その時、大宰府はちょうど取引先の会社から出てきた所だった。
天気は良すぎるくらいに快晴で、日差しが強い。背広は今や脱いで腕に引っかけていた。
腕まくりする程ではないが地肌に風を感じたいと、大宰府は少しだけ裾をまくる。
幾分、暑さの和らいだ自身に、大宰府は脱いだ背広のポケットから携帯を取り出した。

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大宰府さん
今日、香椎花と飯に行きます。宮野さんのお店に行きます。どうしましょう。がんばります。
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大宰府は携帯に映る文面を静かに目で追いながら、昨日の春日の姿を思い出した。
体を丸めて肩を震わせる春の姿には、今でも大宰府の心は締めつけられる。
そして思った。

「……心配過ぎる」

思わず漏れた言葉は本音以外の何物でもなかった。
自分の仕事の部下であれば、平気で崖の下に突き落とす事を是とする大宰府であったが、こと春の事となれば話は別であった。
相談されれば多少厳しい事も言ったりはするが、それでも実際の職場の大宰府と比べると、その対応は大分優しい対応に分類されるであろう。
それは春が本当の大宰府の部下ではないからなのか、それとも大宰府自身が春に妙に惹かれてしまっているからなのか。

まぁ、理由は確実にその両方であろう。
惹かれているが故に出来るだけ優しく接したい。そして、己と春の間に仕事の繋がりがないが故に手放しで優しくしても何の問題もない。
その状況が大宰府の春への態度を酷く甘いものとした。

それに大宰府には分かっているのだ。
どんなに自分が横から上司面したところで、春が本当にアドバイスして欲しいと願っている相手は別に居る。

宮野 陣という、春の元上司であり、大宰府の友人でもある男。
宮野は己の筋を通す男だ。
その宮野が自らはもう言うべき立場にないと、徹底して仕事について建設的な意見を述べなくなった。

それなのに、やはり春にとっては宮野こそ本当に助けて欲しい相手なのだ。

(宮野さんのお店に行きます)

その一文が全てを物語っており、大宰府は妙な胸のつっかえを感じざるを得なかった。

「たまには平日に飲むのも悪くない」

胸の中のつっかえを、大宰府は見て見ぬふりをしてそう小さく呟いた。
大宰府は素早く携帯に文字を打ち込むと、そのまま速足で駅を目指す。
今日も、出来るだけ早く仕事を片付けるべく。

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頑張ってください。応援していまふ。
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周りから何でもできると思われているベテランリーマンは、今日もプライベートでは小さなうっかりと動揺に揺れていた。



    ○



カランと揺れた入り口から、突然元気な声が響いた。

「っべーっすね!マジここしゃれとんしゃー!」

店では余り聞かないその若いテンションと声に、宮野は思わず「いらっしゃいませ」の言葉を詰まらせながら入り口を見た。
すると、そこには見慣れた元部下の姿と、初めて見るのに、何やら何度も聞き知ったような者の姿。直観的に宮野は『やっぱり来たよ』と自分でも無意識のうちにしていた覚悟を思い知った。

「お好きな席へどうぞ」

宮野はカウンターから接客スマイルを浮かべてそう言うと、やたらテンションの若い若者の後ろからチラチラと自らを見てくる春を接客オーラで跳ねのけた。
宮野は仕事を辞めた身という己の身分を、春に対して綺麗に線引きする事を徹底してきた。
それが宮野陣と言う男の筋だ。
ここでもそれを徹底する事は、きっと春にもこれで伝わるだろう。
時間が浅い故、まだ店内は比較的に空きがある。
まぁ、個室などなく余り広くない店内だが、奥の席に座ればプライバシーの確保位はできるだろう。

そう、宮野は思ったのだが。

「香椎花、カウンター行こうか」
「カウンターっすか!いっすねぇ!めっちゃしゃれとんしゃー!」

宮野は仕事をするフリをして、手元の綺麗なコップを無理やり洗い始めた。

(何でコッチ来てんだ!?)

春の最初の緊張した顔を見た時、宮野は分かった。きっと春が今日、かねてより悩んでいた事をあの若い新人と腹を割って話すのだと。
きっとというより、これはハッキリとした確信だった。
なのに、どうしてわざわざこんな絶好に話のしにくそうな席に来るのだ。
宮野は春に詰め寄って、サラリーマン時代のようにピシャリと叱ってやりたい衝動に駆られた。

駆られたものの、必死にその衝動を抑え込む。
そして食器を洗いながらチラリと春の姿を覗き見た。

「っ」

すると、そこにはヘラリと笑いながら最近の話題の中心であった19歳の後輩に向き合う春の姿がった。
特に宮野自身に何かを求めたり、聞き及んで欲しいなどといった気色は、春の顔には一切なかった。
そして、その姿を見た瞬間、宮野は分かってしまった。
春は宮野に助けを求めてこのカウンターに来た訳ではないのだと言う事を。

(アイツ……!)

ただ、春は真似をしているのだ。

誰を。
そう他でもない宮野の事を。
宮野自身、確かにそうだった。

『カウンター行くぞ!春日!』
『はい!宮野さん!』

宮野が春と飲みに行く時、それはいつもカウンター席だった。
そう、宮野が辞める話をするあの最後の飲み以外は。
いつも、いつだって。

『春日、後輩との飲みはなぁ、カウンターが一番なんだよぉ。わかるかぁ?上司と終始向き合いっきりなんて気が滅入るだろうぉ。そうだろぉ。カウンターのこの横の距離感が最適なんだよぉ。わかるかぁ?春日ぁ』

席がなく、いつもカウンターになる事をちょっとだけ正当化してテキトーな事を言っただけだった。それを、春日が余りにも真面目に、一見自分よりも先輩に見えそうな顔でキラキラしながら頷いてくるものだから、宮野はいつも春に少しの酔いと高揚の中、本当にテキトーな事を言い続けてきた。
その結果がここにはあるのだ。

(この、バカたれが)

宮野は綺麗になりつくし、最早洗う必要なんて欠片もなくなってしまったコップをゴシゴシと洗いながら、何故だかむしょうに心臓が締め付けられるような気持ちになった。
自分の夢の為に今まで必死に働いて来て、今、こうして夢を叶えた。
大変だが、毎日が充実しているしやりがいもある。
しかし、どうして。
人間と言うものはいつも常に隣の芝生が青く見えてしまう。

「香椎花?何飲みたい?好きなモノ頼みなよ」

そう言ってメニューを広げる春の姿は、宮野と飲みに行っていた時とはまるで違い、誰がどう見ても見た目のままの上司と部下だ。
宮野は見る事の叶わなかった元部下の上司としての姿に、静かに蛇口を締めた。

「春せんぱーい!ゴチになりまーす!」
「はいはい。ほら、何がいいの?」
「そっすねー。ほんとはアルコールを摂取したいとこっすけど、ここは先輩のツラを汚さないためにジンジャーエールにしときますよ!」
「ははっ。ツラ汚しって。食べ物はテキトーに頼むから頼みたい時はその都度言ってね」
「うえーい!くっそ腹へってたんで、マジ楽しみー!あ、春センパイは飲んで下さいね!俺、春センパイの酔うとこみーてーみーたーいー!」
「んー、俺あんま酔った事ないからなぁ」
「春センパイ、酒強そっすもんね!」
「いや、強いというか……そんな飲んだ事ないからなぁ」
「なら、ますます酔わせたいっすねー!すみませーん!ちゅーもんお願いしまーっす!春センパイはとりあえず生でいいすよね!カシオレなんて女子みたいな事言わせませんよー!」

宮野はその元気な声にはじかれたように顔を上げると「いえーい!お洒落店員さん、うぇーい!」と、既に酔っぱらっているかの如くはしゃぎ倒す香椎花という19歳の新入社員を、始めて真正面から見た。

(へぇ、コイツは……バカじゃないな)

さて、なるほど。この19歳の香椎花という若人。
確かに“変わった新人”と言うレッテルを貼られ悪目立ちしそうではあるが、それはこの香椎花が10代でつい最近まで高校生という出自がカバーしている。
出る杭は打たれるというが、香椎花は自らの未熟さや若さを逆に全面に押し出し、打たれる範囲をそこだけに絞っている。
他者から打たれない事は目指していない。自らの許容範囲内でのみ打たれるように上手く他者に隙を見せているのだ。
それを計算でやっているのか、それとも天然でやってのけているのかは微妙であるが、香椎花の処世術は、なかなかに完成されている。
要は春が感じている通り、年上からは可愛がられるラインを上手く歩いているのと言う事だ。

宮野は「少々お待ち下さい」と笑顔で受け答えると伝票とペンを手に、二人の座るカウンターの前へと移動した。

「はい。ご注文を承ります」
「ジンジャーエールと、とりあえず生で!あとはー、食べ物なんにするんでしたっけ!春センパーイ!」
「香椎花、ちょっとうるさい」
「しーっすね!」
「もう、それはいいから!」

香椎花の「しーっ」と言うジェスチャーに、春が少し照れたようにメニューに目を落とす。
そんな春を香椎花は隣でケラケラと笑っている。

「えっと、食べ物は……」
「めっちゃうまそうっすねー!」

この明るさも、ある程度は地だろうが上乗せして計算による明るさも勿論あるのだろう。
自分は未成年故飲まない前提で、かつ先輩に気を使わせずに飲めるような空気を自然と作っている。
多少強引ではあるが、自分のキャラでは許される事を分かってやっているし、確かに許せるキャラである。常時高いテンションと、カラカラと天真爛漫な笑いは、どちらにせよ上司からしてみれば自分と居て楽しんでくれているという事が分かりやす過ぎる程に伝わって、なかなか気分がいいだろう。

「はい、では少々お待ち下さい」

宮野は二人から注文を聞き終えると、何やら仕事の話で盛り上がり始めた二人を横目にカウンターをくるくると動き始めた。
手際良く酒を注ぎ、ソフトドリンクを注ぎ。
背後から聞こえてくる何やら懐かしい固有名詞に耳を傾けながら、自分のサラリーマン時代を振り返ったりしていた。
そして、ただただ俯瞰した目線でしか関係性を見る事のできなくなった自分に一抹の寂しさを感じた。

(3年前までは、俺も確かにあそこに居たんだよな)

会社の歯車として働く事に精を出していた日々。夢への道半ばの、たかが通り道に過ぎなかったそこに、宮野は今更ながら妙な郷愁と哀愁を覚えた。
夢の実現と共に置いて来たものが、そこにはある。

「部長マジ勘弁っすよー。もう一発でぴしゃり言ってくれればいいのにー」
「まぁ、俺も確かに入ったばっかりの頃は思ってたなぁ」
「でっしょー!?こないだなんて俺の持ってった書類見てチラ見してー『ちょっと待ちたまえ』とか言ってきて!こっちはもうタイムカード切ってんのに!」
「あはは、俺あの時外で待ってたけど全然来ないから先に帰ったよ」

二人してケラケラ笑い始め、春は早くも二杯目をおかわりした。
スイスイ進む酒と楽しそうな横顔に、宮野は今日はもしかしたらこのまま飲み食いして終わるのかもなと思った。
上司部下という関係のベースもなかなか緩い様子だったが、こうして笑って話しているのを見るといくら春が老け顔だとしても友達同士にようにも見えてくるから不思議だ。

「ねー、ハル先輩―。先輩は今彼女とか居ないんすかー?」
「んー、俺はモテないからねぇ」
「好きな人も居ないんすかー?」
「今は、うん……居ないね」
「彼女欲しいとか思わないんすかー?」
「どーだろ」

宮野の出した料理に手をつけながら、二人の話は右往左往しながらダラダラと続いて行く。
スイスイと酒を飲む春は今はワインを呑んでいる。序盤だが、なかなかペースが早い。それに、結構ちゃんぽんしまくった飲み方で宮野は若干酒を用意しながら眉を潜めた。
けれど、見るからに春はいつもと変わらぬ様子で、顔が赤いとか、呂律が回らないと言った様子もみられない。
7時30分を過ぎたあたりから店にもちらほら客が増え始め、宮野も二人にばかり気をかける事ができなくなっていった。
ただ、どこへ居ても香椎花の声はある程度聞こえてくる。

「俺はー、今の彼女ちょー一筋っすからー。こないだ誕生日特別エッチしてきましたー!」

などという、かなりどうでも良い話も丸聞こえだ。
飲みの場故、まぁ、特段変な話でもないのだが。
他の常連客と話しながらチラリと横目に春を見て見れば、ニコニコといつもの笑みを浮かべている。

「すみませーん!マスター!いえーい!」

すると、宮野はまたしても香椎花に元気よく呼び出された。
いつの間にか呼び方が“マスター”なんてものになっている。
「はい」と、宮野がカウンターへ向かうと、そこには空のワイングラスがあった。

「宮野さん、次何飲みます?」
「んー、そうだねぇ」

宮野はメニューに目を落としながら「んー」と唸る春に、やっと小さな変化を見つけた。

「先輩、けっこうペース早いっすけど、水とか飲んどきますかー?それともまた何か―」
「ウイスキーのロックで」
「おおー。ハル先輩やっぱ強いんじゃないっすかー」
「どうかなー」
「んじゃ、俺はウーロン茶で」
「そう」

顔は赤くない。呂律も十分回っている。
ただ、今の春は非常に返事が短い。
宮野はカウンターで酒を注ぎながらハッキリと分かった。
春がすこぶる酔っぱらっていると。

(おいおいおい。大丈夫なのか?春日)

見た目には殆ど現れていない春の変化だったが、いざ一つが目に付くと春は完全にいつもと違っていた。
返事が短いし、最初に渡したおしぼりで常に手遊びをしている。
ダルそうに肘をつき頬づえをついている。目は話す香椎花ではない、どこか遠くを見ている。

酔っているからしているのか、普段通りなのか。ハッキリ言って他者から見たら分かりはしないだろう。
が、宮野には分かった。
春日 春は心底酔っぱらっていると。
きっともう酒の味など分かっていないのだろう。
だからワインやウイスキーなどの見慣れない味のものをスイスイと飲む。

春は和やかに笑いながらも緊張していたのだ。
いつどこでどう言ったタイミングで、この新人に例の件を話すのか。
そんな事ばかり考えて、緊張の余りアルコールを過剰摂取し、途中から酔っぱらい当初の目的の事は最早頭の片隅にすら残っていないのかもしれない。

(この、バカたれが)

宮野はロックと言われていたウイスキーのグラスに水を注ぐと、意外と堅実な注文ばかりをする香椎花のウーロン茶を冷蔵庫から取り出した。
その間も二人のダラダラとした会話は続く。

「春センパイ、このままずーっと彼女できなかったらどーするんすか!」
「んー?そうだねー。どうしよっか」
「ずっと一人ぼっちチョーさみしーっしょ」
「そしたら、俺は猫、飼うよ」
「猫?」
「そー。このまま30代突入しても独身で、寂しくなったら猫飼う」
「えー!それもう終わりのパターンっしょ!春センパーイ!」

背中を向けていても分かる程のニコニコした顔で話しているであろう、春の声。
その頭の中にはきっと、最近猫を飼い始めたという大宰府とその猫の事が綺麗に浮かんでいるに違いない。
春にとって、大宰府という男は憧れの存在のようであった。
仕事も出来て、容姿も整っており、仕事も出来る。

『大宰府さん、凄いですねー!』

春にとって大宰府互譲という男は、その一言につきる。
独身でバリバリ仕事をこなす大宰府の姿は、春にとっては未来のなりたい自分の姿の一端でもあるのだろう。

(夢みてんねぇ。アイツに)

春は大宰府が猫に日々癒されていると思っているようだが、実際はそうではない。
大宰府は猫の事を、春を呼び込む為の餌程度の認識で考えている。
その証拠に春は大宰府の猫の名前を「クロ」だと思い込んでいるが、あの猫の本当の名前は「クロ」ではない。
大宰府の妹はあの黒猫に「ルービックキューブ」という、なんともヘンテコな名前をつけていたのだ。
それを大宰府が「長げぇ、ダリィ」と勝手に改名したのだった。

『俺も大宰府さんみたいに仕事を頑張ってこなして、いつかもう少し余裕が持てたら猫を飼いたいなー。大宰府さんみたいに』

そう、大宰府さんみたいになりたいのだ。春は。
ほんの2年前までは宮野の部下で、いつも宮野の後ろをついて回っていたのに、今や掌を返したように「大宰府さん、大宰府さん」。
宮野自身がそう仕向けた事とは言え、春のあの大宰府への憧憬は見ていて分かりやすくジェラシーを覚えてしまう。
しかも当の大宰府はそんな澄んだ綺麗な気持を春へ向けているわけではない。

(この、バカたれが)

「終わりじゃないよー。俺はねー、猫を飼って休みの日は猫を撫でながらのんびり暮らすんだー。いいなー」

のんびりのほほん。もう春とは言えない季節になりつつあるが、春の周りはいつも春の雰囲気を纏っている。
宮野は「はぁっ」と小さく溜息をつくと、ウーロン茶とウイスキーに見せかけの水をカウンターへ運ぶ。

「いいなーじゃないっすよ!春センパイ!ダメっすよ!それじゃダメ!」
「えー?何がダメ?いいじゃん猫とゴロゴロしながら、一緒に昼寝したりするんだよ?」
「あははっ、もうヤメて下さいよ!何すかその見苦しい生活は!」

ヒヤリ。
次の瞬間、先程まで春の周りに漂っていた春の陽気が一気に消え去った。
消え去ったのを、飲み物を手にしていた宮野はその肌でハッキリと感じた。

「っぁ」

それは隣に居た香椎花も敏感に感じ取ったようで、カウンターの二人の空間は一気に氷点下まで下がった。
宮野は改めて確信した。
そして、もう少し早目にこの手にある水を、手渡しておくべきだったと痛感した。



春日 春は完ぺきに酔っていた。







否、酒の力を、借りていた。

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