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心苦しくも私もゆとり世代でございます。
・・・・・



     ○


『ともかく、二人で腹を割って話してみてはどうですか?それこそ一緒に飲みに行くとか』
『腹を割って、ですか!わかりました!そういうの場所の方が香椎花もきっと好きそうです!大宰府さん!ありがとうございます!』



そんな助言を大宰府から受けた春日は、月曜日、心の底から意気込んで会社へと向かった。
すると、いつもの如くワイワーイと元気に会社へやって来た香椎花。

いつも出社は春日よりも後だ。

「春日さーん!おっはようございますー!昨日どこ行ってたんですか!?」
「えっと、昨日は家に居たよ」
「えー!春日さん引きこもりっすねー!この休み誰とも会ってないんすか!」

ニコニコ笑って放たれる言葉は、やはりどこか無意識に鋭い槍のようだ。
春日は今日どこかのタイミングで飲みに誘うぞ!という意気込みを胸に拳を握りしめた。

「金曜日の夜は大宰府さと五郎丸君と飲んだよ」
「あー!前言ってたイケメンのリーマンさんっすねー!五郎丸君はデカイ剣道部―!」
「そうそう。はい、香椎花、そろそろ仕事するよ」
「はーい!あ、ちーなーみにー俺は昨日」
「香椎花、それは休憩の時に聞くから」
「彼女とラブホ行ってきましたー!」
「言わなくていいから!」
「あは!経理行ってきまーす!」

握りしめた拳は、早々にその力を失いかけようとした。
「(いや、諦めない。今度は大宰府さんに良い報告をするって決めたんだ!)」
春日はデスクの下でもう一度力強く拳を握り直すと「よしっ」と小さく呟いた。


      ○


11時。
春日は未だに香椎花をどうやって飲みに誘うかもんもんと考え、一人休憩室に来ていた。
こんな時に限って香椎花は部長に呼ばれて休憩が被らない。
いつもは嫌という程かぶるのに、どうしてこう言う時に。
春日は備えつけられたアンバサダー横にある貯金箱に30円を放りこみ、珈琲を淹れた。休憩室に珈琲の良い香りが漂う。

「あ、春日さん」
「あ、花畑」

そこへ疲れたような表情で入ってきたのは、春日より一つ下の後輩である花畑であった。
春日は出来あがった珈琲を手に取ると、同じく30円を放りこむ花畑の為に、カップを出してやった。

「ありがとうございます。春日さん」
「ううん、疲れてるねー。仕事忙しいの?何か手伝おうか?」

春日は表情も険しく珈琲が出るのを眺めている花畑にそう言うと、花畑は顔を上げて無言で首を振った。
そして、ちらりと入り口付近を見にて辺りに誰も居ないかを確認すると、春日に向かって小声で叫んだ。

「アイツですよ!香椎花!アイツの声がうるさい!ムカツク!」
「あ、あぁ……なんか、ごめんね」
「春日さんのせいじゃないですよ。けど、部長もあいつに甘いから、聞いててほんとにムカツクっていうか……俺らが入って来た時、あんなじゃなかったですよね!?春日さん!」

香椎花が部長に呼ばれるのは最近しょっちゅうの事だ。
部長は香椎花がお気に入りだ。春日も正直これには困っていた。
香椎花がいくら仕事の飲み込みが早くとも、まだ新人でスピードも正確さも安定していない。そんな中でそんな無駄な時間を費やされて困るのは春日であるし、香椎花自身だ。

「そうだね。俺の時も部長はヒステリック強かったし。怒鳴られない日はなかったね」
「でしょう!?なのに、あれはなんですか!?」
「部長にもそれとなく言ってはいるんだけど……ぜんっぜん聞いてないね。あれは」

結局、仕事が間に合わなければ残業になり、時間外になる。
最近、香椎花の時間外の付き方は目に余るものがあるのである。だからと言って、確かに仕事をしているわけなので時間外をつけるなとも言えない。春日の会社は完ぺきなホワイト企業とも言い難いが、決してブラックなどではない。
ただ、限度というものがあるのだ。
時間外を付け過ぎると、それはもう正当性の高い非難が飛ぶ。
上からの無言の圧力や経理からの有言の圧力が、容赦なく春日を襲うのである。

『他の新人はこんなに残業代はつかないのに、どうして貴方のところの香椎花だけ。指導の仕方がおかしいんじゃないのか』


もう溜息しか出ない。

「それに……アイツ無駄に総務に行きすぎ」
「…………あ、あぁ」

溜息しか出ないと思った瞬間、花畑から大きなため息が漏れた。
春日は出そうだった溜息をゴクリと飲み込むと、今まで以上に鬼の形相となった花畑を見た。
この顔の時の花畑は、ここ最近よく見る。
これは、そう。分かっている。
嫉妬に狂った男の顔だ。

「アイツ、今日もレイと無駄に喋りやがって」
「あはは」

花畑の言う“レイ”とは総務部の女性社員の名前だ。
かくいうこの花畑とレイは同期であり、恋人同士なのである。
この二人は明らかな両片想いを経て去年の冬から付き合いだした。職場でそれを知っているのは春日を含むごく少数だけだ。
かくいう春日は二人が付き合うまで花畑から何かと相談を受け(春日自身の恋愛経験は棚に置いて行く事とする)付き合うに至るまでをかなり詳細に見てきた唯一の人間だ。

レイは面倒見もよく気さくで、少しキツイ人間の集まる総務部の中では声をかけやすい女性だ。
そんな女性を香椎花がほっておくわけがない。コミュ力Maxの香椎花は総務への用事を全てレイへ伝え、頼る。香椎花に恋愛感情が皆無なのは、春日の目から見てもハッキリわかる。ただ年上の気さくな姉程度の認識なのは間違いない。
けれど、嫉妬に狂った花畑にはそれが分かっていないようだ。
仕事では冷静沈着で、きっちり他者のフォローまでこなす、近年まれにみるよくできた新人の花畑も、恋愛関係ではその沈着さはいっさい発揮されていない。

「アイツ、マジでムカツク」
「……ごめんね」
「……春日さんも大変でしょう」
「俺は全然大変じゃないよ。花畑、今度また飯でも行こうか」
「そうですね。是非」

二人して珈琲をすすり、春日はこちらもフォローも近々しなければなとぼんやりと思った。休憩室の天井はいつものように、いつもの場所が汚れている。
自分の教育の不出来さが、後輩達をこんなにまでさせてしまっていると思うと、早くどうにかしなければなとも思う。
そこへ、タッタッタッと軽快な足音が休憩室に近づいてきた。

その瞬間、少しだけ穏やかになっていた花畑の目が鋭くなった。
そして、まだカップには大量の珈琲が入っているにも関わらず、中身を全て流しへと捨ててしまった。花畑が手早くカップを洗い終えたのと、渦中の人物が勢いよく休憩室へと入って来たのは、ほぼ同時だった。

「もー!なんすか!なんすか!春日さん!先に行かないでくださいよー!マジ悲しいじゃないっすか!」
「じゃ、お疲れ様でした。春日さん」
「あ、うん。お疲れ」

露骨も露骨。
花畑は春日にだけ一瞥すると、無言で香椎花の隣をすり抜けていった。
仕事に私情など一切持ち込まないあの後輩の、極度の怒りを垣間見た気がした。

「もー俺悲しかったー!マジブルー!ナイチンゲール!」
「ごめん、ごめん」

春日はここで折を見て誘うぞと、心を奮い立たせながら香椎花を見た。
香椎花は珈琲を呑まない為、自分で購入してきたと思われる紙パックのコーヒー牛乳をズボボボと勢いよく吸い上げた。

「つーか、春日さん聞いてくださいよー。さっきっすね、俺部長に今晩飲みに行こうって誘われたんすよー!」
「え!?」
「ね!?えっ!?ってなるっしょ!?マジでビビったんすから!」

春日の『え!?』は決して驚いての『え!?』ではない。部長に先を越されてしまった、の『え!?』である。
部長が気に入った新人や社員を飲みに誘うのは特に珍しい事ではない。むしろ良くあることだ。香椎花は遅かれ早かれ誘われるであろうとは春日も思っていた。
しかし、まさかこのタイミングとは。部長はつくづく春日にとってはタイミングの悪い事をしてくれる。

「じゃあ、今日は部長と初飲みか。きっと美味しい所連れて言ってくれるよ」
「いや、冗談じゃないっす。断ったっすよ」
「…………」

え!?
春日は一拍遅れて、今度は本当の本気の驚愕的「え!?」を放った。
こんなに混じりッ気無しの本気の「え!?」も久々である。

「断ったの!?」
「はい」

あんなに部長に懐いていた香椎花だ。春日は喜んでついていくと思った。
けれど、香椎花はその瞬間「ハッ」と今まで見せた事のないような邪悪な表情で笑うと、ズボボボとコーヒー牛乳をすすった。

「行く訳ないじゃないっすか。誰が好き好んで部長なんかと。時間内でも疲れんのに、仕事終わってからとマジ勘弁―っすよ」
「え?え?」
「春日さんは純粋っすねぇ。マジ俺の癒しっすね。あんなん上辺だけっすよ、上辺だけ。部長マジうっとーしいし。うざいし。ぜってー無理。俺、部長みたいなやつ掌で転がすのマジ得意なんで。こうやってコロコローって」

そう言って香椎花は片手を開いてくるくる回してみせると「あ゛−、疲れたー」と天井を見上げた。

春日は最早目がテンであった。
若いから純粋で悪気がないなんて誰が言ったのだろう。
そう、そんなの春日達が勝手にこの19歳の香椎花 園という人物の表面を見て、勝手に作り上げた偶像に過ぎない。
過ぎなかったのだ。

「なんて言って、断ったの?」
「えー。えっとー。『部長と二人なんて二者面談じゃないいすかー。嫌っすよー』って」

春日は頭を抱えた。
きっと部長はさして怒ってはいないだろうが、それを聞いた周りの反応を思うと頭が重い。新人が上司の誘いを断るなんて前代未聞だ。付き合いの飲みは古いサラリーマンの慣習ではない。現在も綺麗に息づいている慣習だ。
そして、それを春日これからやろうとしていたのだ。

「マジ部長も空気呼んで欲しいっすね。あ、春日さーん。今度ご飯行きましょうよー。俺、この部長の愚痴、誰かに言いたくて言いたくて仕方なかったんすよねー」
「あ、うん。是非」
「あははは!なんすかゼヒって!春日さんまじたまにおかしい言葉遣うっすよねー!」

今、絶好の機会だった。
けれど、春日は普段通りの笑顔を作るのに精いっぱいで、もう香椎花を呑みに誘う事は不可能だった。
いや、それは言い訳だ。
春日はこの期に及んで日和ったのである。怖気づいたのである。

『俺、部長みたいなやつ掌で転がすのマジ得意なんで』

香椎花 園という19歳の持つ明るさと純粋さと傲慢さと、そして腹黒さに。
春日は恐れたのだ。
部長と同じように裏で『春日さんってマジうざいっすよねー』と言われるのを。
春日はには、まだ、覚悟がなかった。


嫌われる覚悟も、向かっていく覚悟も。









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【大宰府さん】
今日、おうちにお邪魔してもいいですか。
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「…………甘木」
「なんですか?大宰府さん」
「今日は、俺、定時で上がるから。死んでも定時で上がらせてもらうから」
「……それはいいですけど大宰府さん。書類、落としまくってますよ」

甘木は大宰府の足元に落ちている書類を拾いながら、無表情のままただ明らかに機嫌だけがよくなった上司に「引くなぁ」と小さく呟いた。
この人物の機嫌をここまで良くできる相手など一人しか居ない。

「俺も、早く仕事終わらそ」

甘木はそう一人ごちると、普段からは比べ物にならないほどの厳しい表情でデスクへと戻った。
この上司にして、この部下あり。
職場でも、甘木と大宰府は影でそう呼ばれていた。

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