つまりは、明日からまた1週間が始まるということ。
つまりは、二人は共にあるのだということ。
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飯塚 和真。
あと1カ月で24歳。
現在、見知らぬ場所で、素っ裸。
更には見ず知らずのアソシエという金髪碧眼の男に手を引かれて歩いている。
素っ裸で。
いや、アソシエのかけてくれた紺色の上着だけは肩にひっかけられているが。
(逆に、変態くさいな。この格好)
和真はどこか遠い目をしながら、ぼんやりとそんな事を思った。
先程から、和真の手を引くアソシエは嬉しそうな表情を浮かべながら、何やらペラペラと様々な情報を和真へ与えていた。
自分の名前、年齢、ここがどこなのか、そして和真が何故ここに居るのか。
この、わけのわからない状況に対しては、すごく助かるしありがたい情報を大量に提供してくるアソシエであったが、素っ裸なこの状況で和真はその情報に全く集中できないでいた。
それもそのはず。
「なんだ、アレ…」
「もしかして、アレ……」
アソシエに手を引かれながら歩くその場所には、たくさんの人が居た。
アソシエと同じ、どこか西洋の民族衣装を思わせる紺色の制服に身を包んだ人間達が、素っ裸で歩く和真を不審気な目で見つめる。
まぁ、そこは大いに納得出来うる点である。
もし、和真がギャラリーの立場であったなら、きっと彼らと同じような目で素っ裸の阿呆を見ていただろう。
ただ、唯一救いだったのが、そうやって和真に視線を寄与してくる奴らが全員男であった事だ。
さすがにあの刺すような視線に女性まで混じっていたならば、和真はその場に座り込んで動けなくなっていたところである。
そんな苦行の如き移動時間を過ごした和真であったが、ある扉の前でその時間も終わりを告げた。
「カズマ、ここが俺の部屋だ。そして、これからカズマの部屋にもなる」
「………あー、うん」
和真は魂の抜けたような声で項垂れるように頷くと、しっかりと手を繋いだままのアソシエに引っ張られて部屋の中へと入ろうと一歩踏み出した。
その瞬間。
「成り上がり者が、また、あのような変なモノを」
微かな囁き声だったが、確かにその声は和真の耳に響いた。
(……なんだ?)
その明らかに悪意の込められた声に、ちらりと声のする方を振り返ろうとしたが、その瞬間、アソシエに握られていた手がより一層強い力で握りしめられた。
アソシエは和真の手を握りしめたまま、無言で自分の部屋というその部屋の扉のノブに手を掛ける。
その間も、嫌という程響く多くのささやき声と視線に、和真は嫌なものが込み上げてくるのを感じた。
先程まではその視線の意味も、呟かれる言葉も、全て素っ裸な自分に向けられたモノだと思っていた。
しかし、ここに来て和真もようやく気付いた。
その視線と言葉が、一体誰に向けられたものであったのか。
(……なんだよ、これ)
ヒソヒソと響く多くの人間の声。
寄越される多くの人間の視線。
怒鳴られる度に、自分の不甲斐なさ、存在価値に自信が持てなくなる。
ドアノブを強く握りしめたまま、少しだけ震えるアソシエの後ろ姿を見て、和真はどうしようもなく苦しくなった。
何故、アソシエはこんな嫌な視線に一人で耐えているのか。
成り上がりとはどういう意味なのか。
和真を見た時の、あの笑顔の意味はなんだったのか。
わからない事だらけだ。
しかし、和真には一つだけわかる事があった。
この彼の後ろ姿は、
あの場所に立つ
(俺……みたいだ)
そう思うや否や、和真は静かに息を吸い込むと顔を上げた。
そして、ヒソヒソと響く嫌な言葉達を振り払うようにアソシエに握り締められた手を、思わず強く握り返した。
そんな和真の思わぬ行動に、アソシエはハッと俯いていた顔を上げた。
そして、それと同時にアソシエの背中に衝撃が走っていた。
「俺は知ってるよ。お前は悪くない」
「っ!」
隣で囁かれた微かな言葉と、背中に走った衝撃。
それにアソシエは目を瞬かせた。
そして、そんな事をしてしまった自分自身に、和真は驚いていた。
(俺はいったい、何を……)
そう、自分のやった行動について行けずにいると、和真の手を取っていたアソシエはふっと息をつき泣きそうな、でもどこか肩の荷が下りたような笑顔で和真を見ていた。
その笑顔が、とても綺麗で強くて。
和真はアソシエの背中に触れている手に力を込めた。
辛い辛いと眠りにつく毎日。
どうしようもなく不甲斐ない自分。
頑張れば頑張る程に空回る。
それでも明日はやってくる。
そんな毎日をそれでも
俺たちは、生きていかなければならない
「ありがとう、カズマ」
まだ、出会って1時間弱。
それでも和真はこのわけのわからない状況で、本能のように悟ってしまった。
(俺は、コイツを守る為にきたんだ)
飯塚 和真。
あと一カ月で24歳。
未だに彼は素っ裸だ。
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「ピッタリだな、カズマ」
「あぁぁぁぁぁ、やっと服が着れた……」
和真はやっとの事で手に入れた衣類に身もだえた。
それは、現在アソシエが着ている紺色の制服と同じモノで着方がわからず悪戦苦闘した結果、やっとその服に袖を通す事ができた。
まぁ、殆どアソシエに着せてもらったようなものだが。
ただ、全く着なれぬ衣類の中に、一つだけ和真がアソシエの手を借りずに身につける事ができたものがあった。
それは、
(ネクタイってどこにでもあんだなぁ)
ネクタイだった。
和真はよくわからぬアルファベットに似た文字の描かれたネクタイを手にとると、なんとなく職場を思いだし嫌な気分になった。
そんな和真をアソシエはどこか不思議そうな顔で見ていたが、するりと慣れた手つきでネクタイを結ぶ和真に驚いた表情を見せていた。
兎にも角にも、和真はやっと裸体の変態から一般人に戻る事ができたのだ。
アソシエはそんな和真をニコニコした表情で見ていると、皺ひとつない真っ白なベッドの上に腰かけた。
現在、和真はアソシエの部屋に居る。
そこは、机と本棚、クローゼット、そしてベッドしかない殺風景な部屋だった。
ただし、広さは一人で生活をするには広すぎるのではと思える程十分だった。
和真の住まう社員寮とは似ても似つかない程、綺麗で片付いた部屋だ。
「で、だ。」
「ん、どうした?カズマ」
和真はいつもの癖で締まりきったネクタイを少しだけ緩めると、ベッドに腰掛けてこちらを見ていたアソシエの隣に勢いよく腰かけた。
そんな和真を、アソシエは笑顔のまま見つめる。
「やっと服が着れたところだし……俺はお前に言いたい事がある」
ずっと素っ裸が故に、本来の問題に集中できなかった。
しかし、服を着た今。
和真は現在、目の前に横たわる問題に目を向けなければならなくなった。
和真は現在、見ず知らずの、しかも聞くところによると和真の住んでいた世界とは全く異なる世界に居るようだ。
ただ、自分はいつものように、あの狭い社員寮で眠りについただけの筈だったにも関わらず、だ。
和真は隣でジッと自分を見つめるアソシエに向かって問うた。
「俺はこれから何をしたらいい」
「…………っえ?」
和真の問いにアソシエは思わず間抜けな声を上げた。
和真の言葉は、彼の予想していたものとは全く違っていた。
(……カズマ、きみは)
アソシエは、和真が“帰りたい”と言うと思っていたのだ。
「なんだよ、その顔」
「だって……和真は他の契約者と違って、自分の世界の記憶をきちんと持ったまま呼ばれたみたいだから……」
「…………」
「きっと、帰りたいって言うと思ってたんだ」
「…………」
そう。
本来、召喚の儀を経て術者の元に呼ばれる召喚獣もとい契約者は、召喚師に従うように己の世界での記憶を封印されて呼び出される。
封印といっても、全く記憶が消されるわけではない。
ただ、記憶にモヤがかったように不鮮明になるのだ。
そして、特に不鮮明になるのが、契約者の“感情”にまつわる記憶だ。
故郷に対する契約者の感情に制約をかけることにより、故郷への名残を消す効果を目的としている。
それは、一種の召喚の儀による副作用だ。
それほどまでに、誓いの指輪を通して交わされる主従関係は強固なものなのだ。
しかし、先程までの和真の様子からその傾向は一切見られない。
和真が自分の名を何の躊躇いもなく口にしたのが何よりの証拠だ。
召喚師は召喚獣を、まず新しい名を与える事により縛る。
しかし、和真ははっきりと言った。
自分の名前は“カズマ”だ、と。
そう、はっきり和真から名乗られた瞬間、アソシエは全く顔には出さなかったが、それを己の魔力不足が招いた結果だと落ち込んだ。
他人よりも極端に少ない己の魔力。
そのせいで、和真は自分の世界をはっきりと記憶し、そしてアソシエに名を付けるという制約を行わせなかった。
全て、自分の力不足の招いた結果。
アソシエはそう思った。
故に故郷への郷愁と突然呼び出された事への戸惑いを胸に抱いた和真は、きっと自分に“送還”を求めてくるだろうと思った。
いくら召喚獣といえど、感情を持った生き物だ。
そんなの簡単に予想できる当たり前の感情だ。
だが、アソシエはその願いを聞き入れるつもりはなかった。
一生に一度のチャンスを使ってやっと自分の前に現れた契約者だ。
和真が魔力を全く持っていなくとも、その想いは変わらない。
きっと自分と居る事で和真にも多くの苦労と嫌な思いをさせる事は目に見えている。
けれど、それでもアソシエは和真を還さないと決意していた。
(カズマは……俺の契約者なんだ)
アソシエはベッドに掛けられたシーツをクシャリと握りしめると、未だに背中に残る、温かい衝撃に目を閉じた。
この部屋に来るまでの間いつもの如くアソシエは成り上がり者として奇異の目を向けられた。
いつもの事だ。
しかし、今日はカズマが一緒に居た。
成あり上がり者の自分と、魔力のない役立たずの召喚獣。
その組み合わせに、周りからの嘲笑はいつもに増して酷かった。
自分の力不足のせいで、呼び出されたばかりの和真も同様の扱いを受ける。
後ろ指を指される。
他者に存在を蔑にされる日々。
どうしようもなく不甲斐ない自分。
頑張っても頑張っても一向に前へ進む気配のない自分。
それでも帰る場所のない一人ぼっちの自分は。
ここで生きていくしか方法はないのだ。
そう思ってアソシエがどうしようもないもどかしさに唇を噛みしめた時だ。
背中に走った衝撃と共に、アソシエの耳に和真の声が響いた。
『俺は知ってるよ。お前は悪くない』
そう言って自分の背中を叩く和真の手の温もりに、アソシエは酷く切ない気持になった。
成り上がり者として、周りから無条件で見下されてきた学のない自分。
それが、今こうして隣に立つ事になったばかりの和真が小さく笑ってそう言ってくれた。
出会ったばかりで、互いの事なんか何一つわかってない筈なのに。
10年前に家族と故郷を亡くしてから初めて、無条件で満たされる気持を味わった。
あの瞬間。
送還なんか絶対にしないと決めていたアソシエの決意は、さらに固くなったのだ。
(カズマは俺の契約者だ)
そう、送還を求められても断固として譲らないと意気込んでいた矢先に、和真の先程の言葉だ。
アソシエは少しばかり肩すかしをくらったような気分だった。
そんなアソシエに和真は言葉を続けた。
「記憶があるとかないとか……俺にはよくわかんねぇけど。とりあえず俺はここが俺の見てる夢だった場合の事を想定して考えた」
「……は?」
「とりあえず、今、目が覚めたら俺はアイツと出張に行かなきゃならない。だから俺はまだ目を覚ましたくない!」
そう、勢い込んで答える和真にアソシエは首をかしげた。
アソシエには和真の言っている言葉の半分も理解できていなかった。
そんなアソシエの隣で、和真は少しだけ落ち着いた思考の中、現状を夢であると思う事にした。
夢にしてはやけにリアルだとか、落ちた時の痛さが本物だったとかいろいろと思うところは満載だが、現状の不可思議さを納得する思考の術は、今はそれしかない。
(とりあえず、今は死んでも起きたくねぇ)
和真は気分的には明日に迫った上司との出張を前に、大きなため息をついた。
(まぁ、とりあえず……)
それに先程、自分の中に沸き起こってきた使命ともとれる感情の渦に、和真は逆えそうになかった。
(とりあえず、夢でも服は着れたし。まぁ、いいか)
和真は現状を夢として受け入れ、夢の中での先を見据えた。
それは和真の数少ない武器だ。
和真は、どんな状況でも、知らぬ間に前を向く。
それが常に不幸に勝利する和真の必殺技である。
しかし、この時の和真はまだ知らない。
嫌な事から逃げても、やはり逃げた先でも結局は嫌な事に立ち向かわねばならぬということに。
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