[携帯モード] [URL送信]

つまりは、明日からまた1週間が始まるということ。
つまりは、試験の時であるということ。
--------------



赤い“何か”が舞った。
その赤が“生き物”の血であると和真が理解したのは、それから少しだけ後の事だった。

舞い散った赤を前に、和真はやっと理解した。

この世界は自分の生きてきた世界とは全てが異なるということに。

恐怖と共に、思い知らされてしまった。




















「っなぁ……まだ着かないのかよ…っはぁぁ」

どれほど階段を上っただろうか。
上ってもの上っても終わりの見えてこない螺旋階段に、和真は酷く息を切らせていた。
口の中はもう鉄の味で満たされていて、なんとも気分の悪い限りだ。
去年1年間のデスクワークが、まだ若い筈の和真の体力を根こそぎ奪っていったのがありありと伺える。

「ハァハァ聞き苦しい声出してんじゃねぇ。キモイ。黙って歩け。このクソ下僕」

「っは、っはぁ無茶言うなっ!」

「カズマ、もう少しでつくから。頑張れ」

「っう、嘘付け!お前それ5分前にも同じ事言ってたぞ!?」


そう、和真は半分泣きそうになりながら優しく背中を撫でてくるアソシエに言い返す。
そんな和真に、アソシエもただ困ったように苦笑を洩らす事しかできない。
なにせ、確かにこの階段は少なくともあと10分以上は上り続けなければならないのだ。
所以、先程のアソシエの言葉はわかりやす過ぎる“気休め”でしかないのである。

「……つーかさぁっ」

和真は膝に手をつき苦しげに肩で息をすると、とうとう階段のを上る足を止めてしまった。
何事も一度足を止めてしまうと、次に足を踏み出すのは至難の技だ。
それは和真とて例外ではなく、もうこれ以上一歩だって前に進める気がしなかった。

「お前ら二人!」

しらっと標準装備で誹謗中傷を行ってくるリスフラン。
和真を心底気遣いながらも、明らかに気休めとしか思えない励ましの言葉をかけるアソシエ。

「なんでそんな普通なんだよ!?」

そんな二人に共通するのが、どちらも全くもって疲れやきつさを表に出していないという点だ。
顔色一つ変えずにスイスイ階段を上って行く二人を前に、和真は一人息を乱しながら叫ぶが、それも体力をただいたずらに無駄遣いしただけであった。

「俺達は兵士だから。そのせいだろうね」

「兵士……?」

和真はそのどことなく耳馴染みのしない言葉に、いつの間にか和真の目の前で和真を覗き込むように肩に手をのせてくるアソシエとバチリと目が合った。

兵士。
和真の世界でも、全く聞かない言葉ではない。
しかし、それはどうあっても和真とは住む世界が違う、どこか縁遠い存在であった。
そのせいか、一見穏やかで人を殴った事もないように見えるアソシエが“兵士”という職業についているのが、なんとも和真には理解し難かった。

「とは言っても、俺はまだ見習いで、きちんと師団の構成メンバーとして認められてはいないんだけどね」

「……ふぅん。どうやったら一人前って認められるんだ?」

「試験に受かったら」

「試験……?」


“試験”
そう、どこか和真にとっても馴染みのある言葉を、アソシエはどこか緊張した様子で口にする。
試験、結果、評価、価値。
誰もが等しく同じ土俵で戦わざるを得ない、和真とて今までの人生で数多くの試験を経験して生きてきた。
自分の事を何も知らぬ他者から、評価される材料を提示するため。
人は人を試験する。
試験の結果、得られた数値、結果をもって他者から自分の評価を受けるのだ。

評価が低ければ落とされ、高ければ先へ進める。
試験に至る過程がどうであれ、結果の出せぬ者に選べる選択肢はない。
試験と評価、そして選択肢のある未来は、必ず対だ。

和真の目に映るアソシエの表情は固く彼の握りしめる拳は少しだけ震えている。


「なぁ、その試験て今からやるのか」

「……うん、そうだよ」

そんな、アソシエの姿に、和真はまた“あの”本能とも言うべき感情が己の中に湧き上がってくるのを感じた。

(俺は、アソシエを守らないといけない)


そして、選択肢のある未来を彼に、アソシエに。

「行こうぜ」

そう言って、和真がアソシエの固く握りしめられた手を取った時だった。


【遅い】


「っ!?」

そう、重低音な腹の奥底から響き渡るような声が和真の頭の中に響いた。
そして、そのまま和真の体は何か強い力で引きつけられるように、螺旋階段の上部へと引き寄せられる。
それも、もの凄い力と、スピードで。
余りの力に、和真は内臓が押しつぶされるような、体の中でぐちゃぐちゃにかき回されるような、とにかく酷い感覚に襲われた。
全く足を動かしていないのに、和真の体は螺旋に合わせぐるぐると回る。
そして、それは和真によって手を握られたアソシエも同様だった。

ただ、余りの一瞬の出来事に和真はアソシエの手を離す事が出来ず、ただ必死にアソシエの手を握りしめる事しかできなかった。
頭がクラクラする。
気持ちが悪い。
意識が遠く。

「カズマ!」

背後から自分の名を呼ぶアソシエの声を聞いた時。
和真はハッと目を見開くと、目の前に迫っていた石壁に息を呑んだ。

(やばい!ぶつかる!)

しかし、次の瞬間和真の体は今度は石壁とは逆の方に力いっぱい引っ張られた。
その力の根源は、和真が必死に掴んで離さなかったアソシエの固く大きな手だった。
背後から同じように引っ張られてきた筈のアソシエは、壁にぶつかる瞬間緩んだ力に、自分の体を主軸にして和真の体を引っぱったのだ。
おかげで和真は石壁に体をぶつける事はなかったが、しかし、その衝撃は和真の掻き混ぜられた内臓に最後の大打撃を与えてしまった。

「っうっぇぇぇぇ」

「っカズマ!?大丈夫か!」

和真はグルグルと回る意識の中、力いっぱい自分の元へ引っ張ってくれたアソシエの腕の中で勢いよく嘔吐した。
掻き混ぜられるような感覚が腹の底を行き来し、その言い知れぬ気持ち悪さに和真は必死にアソシエの服にしがみつきながら吐いた。
和真は頭の片隅で、アソシエの上着が自分の吐瀉物でドロドロに汚れていくのを冷静に見つめ悪いと思いつつも、湧き上がってくる生理的欲求に勝る事ができなかった。
アソシエも、そんな和真の事をわかっているのか、ただ心配そうに和真の名前を呼び背中をさすり続ける。

「カズマ、カズマ……大丈夫か?」

「……っわりっぅ…げほっ」

ひとしきり和真が出すものを出し終えた頃、和真の背中を撫でるアソシエの背後から、遅れてやってきたリスフランが溜息をつきながら上がってきた。
上がってきた瞬間、あたりに広がる、吐瀉物特有のすっぱい匂いに顔をゆがませる。
その匂いの元がカズマだと知ると、リスフランの眉間には今までにない程の皺が刻まれた。

「ったく、きったねぇ野郎だな。これしきの事でげーげー吐きやがって」

「っはぁ、るさい…ごめ、アソ、しえ」

「気にしなくていい!カズマ、大丈夫か!?」


大丈夫だ。
とは口が裂けても言えそうになかったが、和真はとりあえずアソシエの腕の中からゆっくり体を離した。
そして、改めてアソシエと自分の間が己の出した吐瀉物で酷い有様になっているのに、またしても軽い吐き気を覚えた。


「ほんと、ごめ。つか、なんで……いきなり、こんな」

「……たぶん」

「お前らがおっせぇからマリックス様の王子様が痺れを切らしたんだろうよ」


和真は乱暴に口の周りを手で拭うのを横目に、リスフランは勢いよく溜息をつきながら、彼の目の前に広がる大きな扉を見つめた。
マリックス様。
またしても聞きなれないその名前に和真がアソシエを見上げると、そこには先程階段を引っ張り上げられる前に見た、緊張したアソシエの表情があった。


「……あ、あそし」

え。

そう、和真がたどたどしくアソシエの名を呼ぼうとした時だ。
今度は頭上から勢いよく降ってきた大量の水が、和真とアソシエを襲った。
それは、器用にも二人の数十センチ隣に立っていたリスフランには一滴もかからないように降り注いでおり、“何か”の意思を強く感じる豪雨だった。


【汚らわしい獣風情が、主の部屋へ汚らわしい身のまま入る事は許さぬぞ】


「っあ゛あ゛ぁぁぁ!」

「カズマ!?」

またしても和真の頭の中に響く低い声。
しかし、それは階段を引っ張られる時とは比べ物にならない位、大きく、そして力強いものだった。
ズキンズキンと絶え間なく襲ってくる頭痛。

和真は理解できなかったが、これこそが“魔力”による力の行使であった。
圧倒的な魔力の差。
体全体、頭の先から爪先に至るまで、全てを蹂躙されているような恐怖。
和真は今まさに、圧倒的な力をまざまざと見せつけられ、体の自由を奪われているのだ。

それは全て、この目の前に広がる大きな扉の向こうから感じる。
和真は、絶え間なく襲ってくる痛みに視界が歪むのを感じながら、力の根源である扉を睨みつけた。

圧倒的な魔力の中に、嫌な悪意を感じる。
本当に胸糞悪い程の悪意を。
次の瞬間、嫌いで嫌いでたまらない上司の顔が、何故か和真の頭をよぎった。
地位でもって礼を強要し、縮こまる相手を前に自分の感情を叩きつけてくる。
嫌いで嫌いで嫌いで嫌いでたまらない、あの


「クソハゲ野郎がぁぁ!」


和真はずぶ濡れでふらつく体を感情のまま動かすと、勢いよく目の前の大きな扉を蹴り開けた。
そんな和真の行動に、アソシエとリスフランは余りの驚きに目を見開く事しかできなかった。
先程まで魔力による身体支配を受けていた和真が自分の意思でそれを破った。
扉の向こうから感じる魔力には緩められた気配はない。
その結果が導き出す答え。
それは。


「獣が……俺の支配を破りおったか」

「……はぁ、はぁ、」

「成り上がりの魔力のない獣と聞いて、少々油断しておったようだ」


和真はびしょびしょに濡れそぼった体を必死で支え、今度はきちんと聴覚に響いてくるあの低い声の主に目をやった。
そこには、広い重厚な机と椅子に座りこむ一人の美しい“蒼い”男が居た。

透き通るような蒼。
その瞳から肌から全てが蒼で覆い尽くされている。
その蒼は和真へ瞬間的に海を彷彿とさせた。
しかし、それは包み込むような、俗に言う母なる海とはかけ離れた、荒れ狂う嵐に惑う海という印象だった。

海が怒っている。

それを体現するその男の和真へと向けるその目は、何にも例えようがないくらい嫌悪と蔑みに満ちており、ただただ和真を不快にさせるのみだった。
その嫌悪を体全体で感じた和真は、その瞬間理解した。

あの階段で無理やり体の自由を奪ったのも、冷たい水でアソシエと自分の体を濡らしたのも、すべてこの目の前のマリックスという男の


「汚い。本当に汚い。なぁマリックス、俺はお前が望むなら今すぐあいつを叩き出してやるが」


召喚獣である、この男だという事を。

「だめだよ。ユエキス。彼らには今から試験を受けてもらわないといけないからね。もう少しだけ我慢しておくれ」

そう言って、椅子に腰かけるユエキスの背後から現れた一人の壮年の男に、いつの間にか和真の隣に駆け寄ってきていたアソシエが勢いよく頭を下げていた。
ついでに言うならば、アソシエの隣に立っているリスフランも和真に対する態度とはうって変って恭しく頭を下げている。

「マリックス様!遅れて申し訳ありません!第4師団第4班見習い召喚師、アソシエ=アベニ只今参りました!」
「同じく、第4師団第4班、班長。リスフラン=ショパール参りました」

そんな二人に、和真は自分も頭を下げなければならない状況なのだと理解したが、和真はどうにもこうにもそのタイミングを逸してしまっていた。
そして、更に言うならば二人が頭を下げているマリックスという男の隣に居る、ユエキスという蒼い男に、和真はどうしても頭を下げたくなかった。
何故かこのユエキスという男、和真のあのクソ上司を彷彿とさせる。
故に、頭を下げたくない。
別にクソ上司のように禿げているわけでもなく、あまつさえこんなに美しいわけでもない。

だがしかし、ユエキスは和真にとってあの嫌で嫌でたまらない上司と何かが同じだった。


それが何かはわからない。
が、とりあえず和真にとってユエキスはどうしようもなく嫌な対象物となってしまっていた。


「……なんでもいい。マリックス、早く試験など終わらせて、こいつらを外に出せ。俺達の部屋にこんな汚い奴が居ると思うと、不快だ」

「わかったよ、ユエキス」


体全体で和真に不快感を示す己の契約者にマリックスは苦笑しながら、己の薬指に嵌めこまれた蒼い指輪に口づけをした。
その瞬間、ユエキスの表情が少しだけ軟化する。
そして、そのまま見つめあった二人は、何がきっかけかは不明だが長い長いキスタイムに突入した。

「……………はぁ」

そんな二人のやり取りに、頭を下げていた筈のリスフランは下げた頭の下でげんなりしていた。
嫌な水音が部屋中に響き渡る。
耳をふさぎたくて仕方がない。

(いい年こいてよくやるぜ)

リスフランは何度もこの光景を見てきた。
故に、正直リスフランはうんざりだった。

マリックス=ラグーン。
年は45歳。
この男は、第1師団から第5師団の管轄する北の領土を守衛する最高責任者である。
年齢相応の渋い外見と、落ち着いた雰囲気。
最高責任者として彼は体術、魔力、経験、それら全てが申し分なかった。
そんなマリックスは水の召喚獣である、ユエキスを有する。
マリックス同様、彼の召喚獣であるユエキスもまた誰もが認める力を持つ召喚獣だ。

ユエキスは数年前の北方水撃の陣の際、敵陣の約50キロ四方を全て水で沈めた猛者である。
水の召喚獣は気性の穏やかな者が多いと言うが、ユエキスに関しては全くそれは当てはまらなかった。
美しく、透き通った女性的外見からは似ても似つかず、彼は荒らぶる鬼神であるともっぱらの噂である。

そして、更にユエキスの主に対する忠誠と言う名の溺愛も、この聖都バイパスの召喚師団では知らぬ者はいない。
北方水撃の陣も、もとはと言えば戦地で陣頭指揮をとっていたマリックスの体調がすぐれなかった為、早く聖都の医者に見せねばと先走ったユエキスが、マリックスの指揮を無視して行った大惨事である事は有名な話だ。

その後、敵地とは言え土地をめちゃくちゃにしたユエキスの不始末で、マリックスが大幅な減俸をくらったもの有名な話ではあるが。

そう、リスフランが半ば現実逃避しかけていると、ひとしきり長いキスを終えた二人が、ようやく互いの唇を離した。
ユエキスは離れる唇に不満そうにしていたが、さすがにあからさまなリスフランの溜息に、マリックスが苦笑しながらユエキスを制止した。

続きは終わってからだ。
という、マリックスの言葉を、リスフランは聞かなかった事にした。

「さぁ、顔を上げなさい。見習い召喚師、アソシエ=アベニ」

「はい!」

そう言って勢いよく顔を上げたアソシエの顔は明らかに真っ赤に染まっていた。
そんなアソシエの表情に、リスフランはまたしても内心溜息をつく。
こうして二人のバカップル具合を目の当たりにした新人は、すべからく同様の反応を見せる。
しかし、普通この試験の儀を行うのは10代の少年達が殆どだ。
変わってアソシエは今年24歳の成人男性なのだから、この初すぎる反応はいかがなものだろうか。

リスフランは己の後輩の可哀想な程に初な反応に、なんとなく目を背けた。
そして、背けた先で、同じように耳まで真っ赤にして目を瞬かせる和真に更にどうしようもない気持ちになってしまった。
この瞬間、リスフランの中で和真の位置は後輩の無能な召喚獣というポジションからアソシエ同様、可哀想な後輩の一人にカウントされた。

変な店に、無理やり経験のない後輩を連れてきてしまった先輩のようなこのシュチエーション。
どうにもならないいたたまれなさ。

そんなリスフランの気持など知る由もなく、和真もリスフランも目の前で繰り広げられた己の理解の範疇をこえる光景に、ただひたすら狼狽するしかなかった。
和真はいつの間にか前に出ていた自分の立ち位置を少しでもマリックス達から離すべく、素早くアソシエの隣に移した。
先程までユエキスに感じていた、どうしようもない程の苛立ちも今となっては欠片も残ってはいない。
今はただひたすら、この部屋に率先して入った自分を恨んだ。


「アソシエに、そしてその契約者であるカズマ。君達にはこれから試験を受けてもらう」

「は?」

突然マリックスの口から放たれた自分の名に、和真は思わず眉をしかめる。
何故か、嫌な予感しかしないのは気のせいではないだろう。

「なに、簡単なものさ」

そう言ってマリックスは左手の薬指に嵌められた蒼い指輪に静かに息を吹きかけた。
その瞬間、和真とアソシエの周りには大きな半透明の水の障壁が作り上げられる。
余りに突然の状況の変化に、和真とアソシエはビクリと体を揺らす。
障壁の外ではリスフランが厳しい表情で二人の様子をうかがっている。


「っおい、なんだ……これ」

「……わからないけど、たぶん」


アソシエは息を呑む。
和真は足がすくんだ。

二人の目の前には2体の3メートルはあろうかという見たこともない獣が居た。
どこかライオンを思わせるその野生動物は明らかに自分達に敵意を抱いている。
グルルルと唸る獣の口からは、大量の涎が垂れ流されている。
その目ははっきりと和真達を食糧とみなす捕食者の目だ。


「その獣を二人で殺しなさい」


いや、普通に無理だろ。

和真は目の前の獣を前に、心の底から目を覚ましたいと思った。

[*前へ][次へ#]
[戻る]


あきゅろす。
[小説ナビ|小説大賞]
無料HPエムペ!