転生してみたものの
振り返ってみたものの(1)
ごめんなさい。
ありがとう。
俺はそう伝えなければならない人が、たくさん居る。
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第19話:振り返ってみたものの(1)
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「大丈夫、敬太郎?何か欲しいモノある?」
心配そうな表情をした一人の女性が俺の頭に手を乗せる。
それに対し、俺は大丈夫、と口にしようとしたが、上手く口がまわらなかった。
代わりに出たのは、何の音にもならない息だけだ。
「無理して喋らなくていいわ。ほら、りんごジュースがあるの。少し起き上がって飲みましょう」
本当に心配そうな表情で俺のベッドの脇で動き回る女性に、俺はチラリと時計を見て、今度は頑張って声を出してみた。
「おか、さん……俺、だいじょ、ぶだから……仕事行ってきて、いぃよ」
「…………」
俺の言葉に、その女の人……俺の母親は一瞬辛そうに眉をしかめると、リンゴジュースを片手に、ゆっくりと俺の体を起こした。
熱くて、熱くて仕方が無かった体には、母親の手は少し冷たいくらいだった。
「おかあさ、俺、ひとりで、だいじょぶ。きょうの、家庭、訪問もできる」
「馬鹿言わないの。日程は変える事ができないから今日先生には来てもらうけど、敬太郎は寝ていていいのよ。先生も事情を話したらいいっておっしゃったわ」
だから心配しなくても大丈夫よ
そう、どこか必死さを感じさせる表情の母親に、俺はふらつく頭を抱えながらどうしようもない気持ちに陥ってしまった。
また、俺はこの人に迷惑をかけた。
もう、迷惑だけはかけないようにと気を付けてきたのに、いざとなってこんな事になるとは。
とりあえず、俺にかまっていては母親は仕事に遅れてしまう。
只でさえ、今日は家庭訪問で仕事を早引きさせてしまうのだ。
これ以上迷惑をかけて、仕事に影響を出させるわけにはいかない。
俺は母親に差し出されたリンゴジュースを少しだけ口に含ませると、コクリと喉へと運んだ。
冷たい液体がイガイガと痛かった喉に染み込む感じがして、とても気持ちがいい。
これで、少しだけ声も出しやすくなった。
「お母さん、俺……一人で大人しく寝てるから、大丈夫だよ。迷惑かけてごめんね」
「……敬太郎」
俺がそれまでより幾分ハッキリとした声で謝罪すると、母親はやはりどこか辛そうな表情で俺の頭を撫でてきた。
何故だろう。
こんな表情をさせたいわけではないのに。
もう迷惑はかけたくないのに。
俺はいつもこの人に悲しい顔をさせる。
俺は頑張ってこの人の“息子”になろうとしているのに、どうも上手くいかない。
俺がグルグルとそんな事を考えていると、俺の頭を撫でていた母親の手が俺から離れて行った。
その手を、俺はどこか他人事のような感覚で見つめる。
「それじゃあ、お母さん、ちょっと午前中だけお仕事に行ってくるわね。2時の家庭訪問の時間までには帰ってくるから。いい?何かあったら、ここにケータイ電話を置いとくからすぐお母さんにかけてくるのよ」
「う、ん……わかった……」
俺はきっと使う事のないであろう、ケータイ電話を母親が机の上におくのを見届けると、そのままゆっくりとまたベッドの上に体を埋めた。
外気に触れていたせいか、布団が少しだけひんやりする。
母親は俺に布団を肩まできれいにかけると、じゃあねと一言残し部屋を出て行った。
母親が階段を下りて行く音が聞こえてくる。
そして、1階からぱたぱたと言う音を少しだけ響かせて、最後には玄関の閉まる音が聞こえてきた。
ばたん。
1階から聞こえてくるその音は本来あまり大きな音ではない筈なのに、今は風邪で頭がぼんやりしているせいか、酷く大きく聞こえた。
そして、その直後に広がった無音の世界。
シンとする家の中に、俺はやっと一人になったと何故だか酷く安心するのを感じた。
迷惑を、かけちゃいけない。
誰も、悲しませたくない。
その想いは今も俺の中に深く、大きく横たわっている。
あの日を境に、俺は決めたのだ。
俺は“篠原 敬太郎”として生きる事を。
“森田 敬太郎”を捨てる事を。
その思考を境に、俺は夢か現か、どちらとも認識のとれない曖昧な世界へと意識を飛ばした。
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『おばさん、俺、家に帰りたい』
そう言った瞬間、目の前に立つ女性は顔色を真っ青にして俺を見てきた。
そう言った俺は、体の小さな、まだ保育園に通い始める前の3歳の子供だった。
おばさん。
そう呼んだ相手は、俺が生まれた瞬間泣きながら喜んでいた、あの女性。
一般的に言うと、俺の母親にあたる人物だった。
この夫婦にとって、俺は初めての子供であったらしく、それはもう二人してかいがいしく俺を育てていった。
二人が俺の名前を決めて、やっぱりこっちにしようと楽しそうに話しあっている瞬間も俺は自由に動けぬ体でしっかりとその姿を見ていた。
『敬太郎、あなたはこれから敬太郎よ』
そう言われた瞬間、俺は何の違和感も無くその名前に両親を見上げた。
それに、いつの間にか勝手に口角が上がっていたようで、両親は名前を呼んだ瞬間微笑んだ俺に大層喜んでいた。
“敬太郎”
あぁ、そうさ。
俺は“森田 敬太郎”だ。
なぁ、ここはどこだ?
あんたらは誰だ?
一郎はどこだよ?
俺、もうすぐ受験近いし、明日も学校に行って昨日の答えのプリントを貰って来なきゃなんないんだ。
なぁ、一体俺はどうなったんだよ。
なぁ、頼むよ、頼むから……、
俺を家に帰してくれ……!
俺はあまりに突然の出来事に、全く状況が飲みこめずに居た。
加えて、何も己ではできない赤子の体。
しかし、ハッキリとある俺の意識。
その差は俺を大いに苦しめた。
食べるにも、あの見知らぬ女性の手を借り。
下の世話だって他人にしてもらう始末。
何かを伝えようと口を動かしてもそれは意味のある言葉を発する事はない。
赤ん坊なのだから仕方ないとは言え、それは俺に大きな精神的ダメージを与えた。
正直、俺はこの見知らぬ家から飛び出したくて仕方なかった。
敬太郎、敬太郎。
そう俺の名前を呼ぶ癖に、ここは全く“敬太郎”の居場所ではなかったのだ。
日々募っていくストレスと苛立ち。
その気持ちが最初に爆発したのが、俺がまだ1歳にも満たない時。
やっと、少しばかり意味のある言葉を口に出せるようになった時だった。
『おばさん、おばさん』
俺は母親である女性に小さな口を動かして、ハッキリそう言ったのだ。
あの時の彼女の表情を、きっと俺は永遠に忘れる事が出来ないであろう。
俺はただ現実に反抗したかったのだ。
もう、本当はその頃には、俺はあの事故で死んでしまったのだと言う事をなんとなく理解していた。
しかし、それは15の俺には到底受け入れ難い事実だったのだ。
自分の“死”なんて、まだ俺は想像もした事も、しようとすら思わなかった。
まだ俺は15歳の子供なのだから。
俺の名前は“森田 敬太郎”
あなたは俺の母親じゃない。
俺の母親も父親もちゃんと別の場所に居るんだ。
その心からの叫びと、現実に対する抵抗が俺に残酷な言葉を発し続けさせた。
『おばさん、俺、家に帰りたい』
『……な、に言ってるの?おうちは此処でしょう?』
そう言って俺の体に触れようとする母親の手を俺は勢いよく叩き落とした。
『俺の家はここじゃない!ここじゃないんだ!俺を家に帰して!』
そう言って叫ぶ俺は、母親は必死に抱きしめてなだめようとしてくれたが、俺はそれすらも受け入れられずに居た。
俺のせいで母親が日に日にやつれていくのを俺は間近で見ていた。
明るかった母親の顔からは笑顔が消え、表情が無くなっていく日々。
それを、俺は見て見ぬふりした。
俺に与えられた新しい“家族”が崩壊するのを。
そんなある日。
7歳だった俺が小学校で苗木から育てた大量のプチトマトを持ちかえった日。
俺が玄関から家に入ると、リビングで母親が一人泣いているのを、俺は見つけた。
今まで、反抗する事はたくさんあった。
この女性に対し、酷い事もたくさん言ったし、やってきた。
しかし、泣いているのを見るのは……これが初めてだった。
女性……母親の泣く姿を俺はただじっと見つめていた。
見つめる事しかできなかった。
母親は、俺がジッとリビングの前に立ち尽くしているのに気付くと泣き顔のまま小さく俺に微笑んだ。
『おかえり、敬太郎』
母親は泣いていた。
初めて、俺が見た涙。
俺が流させた、涙。
否、きっとこの母親はずっと泣いていたのだ。
それを俺は見て見ぬ振りをしてきただけだ。
しかし、現実、あのどんなに俺が反抗してもしっかりと俺を息子として扱ってきた母親は、ただひたすら一人で泣いていた。
あぁ、自分の子供に、親と認められないというのはどれほど辛いモノなのだろうか。
その日、俺は初めて、他人の痛みに目を向けた。
自分の事しか見えていなかった、新しい世界で、俺はやっと“他人”に目を向けたのだ。
『ただいま……、お母さん』
そう言った瞬間、俺は確かに新しい世界に足を踏み入れた………
気がした。
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